華宴~かえん~

藤枝伊織

雹華

隠された娘


 雹華ひょうかはつばを飲み込んだ。

(おばあさま……)

 年に数回だけ、雹華はこの景色を見る。

 選ばれた吉日のみ、出向かうことが許される。



 ここは游国の女王が住まう城。その涼やかなたたずまいから睡蓮と呼ばれる王宮の廊下である。雹華は緊張した面差しで、侍女に促されながら歩いていた。足音を立ててはいけない。そう思ってしまうほどそこは静寂に包まれている。足音すら立てずに歩く侍女が恨めしい。自分の呼吸がやけにうるさい。口を押さえようにも、着替えさせられた豪奢な衣装を、施してもらったなれない化粧で汚してしまいそうでためらわれた。

 



 雹華は、唯一、女王金蘭と血のつながりを持つ人物であった。しかし、雹華の存在は秘匿されている。女王は女王であらねばならない。神の花嫁であり、ほかに良人おっとを持ってはならない。そうして雹華の母、佳英かえいはひそかに産み落とされ、貧民街に捨てられた。子供を亡くしたばかりの老夫婦に拾われ健やかに育ち、そして佳英は自らの出自を知らぬまま家庭を持ち、雹華を生んだことにより死んだ。女王が雹華を城に招くようになったのは、雹華が一〇になった齢だった。





 黒い雲が空覆いつくす中、家の前で遊んでいた雹華は大男にさらわれた。そして連れてこられたのは城下の屋敷だった。貧民街での誘拐は珍しいことではない。これから花街にでも売られるのだろうと思っていた。だが、そこで今雹華の前を静かに歩く侍女が今と変わらない感情の見えない表情で佳英の出自を教えてくれた。これは誰にも言ってはならぬことだと、幼いながらに雹華にもわかった。これは国の秘密だ。貧民街に住む家族にも会えないのだと悟った。なぜか涙は出なかった。


 生み捨てた我が子の存在をずっと知りながらも、それを隠し続けていた女王がなぜ雹華に連絡を取ってきたのか、その意味を雹華は知らない。知りたいとは思わなかった。

 女王は神の令閨れいけい

 そう教わってきた。

 その女王が祖母だなんて。


 雹華の中に湧き上がってきたのは、恐怖、だった。


 殺されるのだろうか。そう、思った。

 しかし、質の良い衣類と寝床、食事を与えられ、雹華は生かされていた。年に数回のみ女王に謁見し、生存を確認される。なぜ自分が生きているのか雹華はよくわからなかった。

 文字や算数を覚えた。正しい言葉や、所作を覚えた。

『朱』の苗字を与えられ、屋敷の主人として扱われた。

 これに何の意味があるのか雹華にはわからない。

 もう、貧民街に住む家族の顔を思い出せない。




     ***




 女王の間の扉が開かれ、遠くの玉座に座る女王の姿を確認した。女王の顔は冕冠べんかんが落とした影でよく見えない。深いしわの刻まれた頬が動いているのだけは確認できた。


「よく来た」


 女王の声は低く、威厳に満ちている。

 雹華は身を固くする。

 恐ろしい。

 女王はそんな雹華をよそに言葉を続ける。



「女王候補の娘よ」

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