18.ゾフィーの八年前の告白、そして海賊放送の復活

「奴は居ないぞ?」


 ハルゲウに再び舞い戻ったリタリットが戸口で最初に言われたセリフはこうだった。


「そうだな」


 そして言われた側は、そう言いながらずかずかと扉の中に入り、また仮の寝床を勝手に作り始める。


「いいのか?」


とビッグアイズはポケットに手を突っ込みながら訊ねた。

 リタリットは何も答えなかった。


   *


「何でーっ。あんたまた来たのかよ」


 両手にジョッキを目一杯に持ったまま、キディは両眉を上げた。

 その晩、「赤」の集合場所となっている店に出向くと、見覚えのある元少年が、黒いギャルソンのエプロンでフロアを動き回っていた。それを見て、歯を向きだしにしてリタリットはにやりと笑うと、年少者に対してそれ相応の対応をする。


「また来て悪いかよ」

「ちゃんと金持ってんのかよ?」

「いっちょ前に言うじゃないの」


 ぱちん、とキディのおでこを指で弾き、げらげらげら、と彼は笑う。そして辺りを見渡すと、空いているテーブルに近づき、ビッグアイズに手招きをした。


「何あいつ、ここで働いてんの?」


 席についてからリタリットは訊ねた。


「ああ。小回りが利くから、とここの店主に結構気に入られてるよ」

「へーえ。それでオレ達は今日は、何でここに来てんの」


 目の前にどん、と置かれたビールのジョッキに口をつけながら彼は訊ねる。


「ここに戻ってきた、ってことはお前、これからの行動に参加するってことだろう?」


 ビッグアイズは低い声でつぶやく。喧噪の中だというのに、その声はひどくはっきりとリタリットの耳に届いた。


「まあね」

「どういう風の吹き回しか知らないが、参加するなら、するなりに役割をやってもらいたいがね」

「ふうん。ちなみに、アンタの役割は何だ? BE」

「俺? 俺は、そうだな。今の所は役らしい役が無い。ヘッドとは違ってな。所詮俺も実働部隊の一人だ」

「ふうん。確かにそんな感じはするな」

「おそらくお前もその中に入れられるとは思うが。それでいいのか?」

「良いも悪いも」


 ふい、とそこまで言うと、リタリットはフロアを所狭しと歩き回るキディの姿に目を止める。


「ビッグアイズ」

「何だ?」

「アンタはさ、自分が誰だったか、考えたことがある?」

「何だよいきなり」


 ビッグアイズは眉を寄せる。


「いいからさ、ある?」

「そりゃ、考えたことは無いと言や、嘘になるが」


 ふうん、と言いながら、彼の視線はまだフロアのキディに向けられたままだった。


「アレにも、あるのかなあ」

「キディか?」

「何か、嫌~な過去があったらしいじゃん」

「まあな。誰に聞いた? BPか?」

「まあね。まあでもそんなこたどーでもイイよ。でもさ、忘れたままで居られたら、楽だろなあ? 奴はあんなに今楽しそうなのにさあ」

「まあ確かに、起きたもろもろをリセットしてやり直せるっていうなら、生きてくのも楽は楽だろうな」

「アンタでもそう思うか?」

「そりゃあ俺だって、か弱き人間様だからさ」

「ヘッドがじゃあ、過去思い出したら、どうする?」


 リタリットはゆっくりと視線を向ける。ビックアイズは、大きな目を更に大きくする。


「俺が、じゃなくてか?」

「アンタが、じゃないよ。ヘッドだ。それでもいい?」

「それでもって」

「そういうことになったら、アンタはそれでいいのか、って聞いてんの。オレは。だってそうしたら、ヘッドは彼のずっと頭の中に残ってる奥さんと子供を探すだろ? アンタはそれでいいの?」


 そう言いつつも、リタリットの声は次第に小さくなる。


「でもアンタは自制心強いから、大丈夫なのかもね。オレは何かみっともないけど」


 ばん、とその時彼は自分の頬に衝撃を感じた。強くはない。だが、仲間の手は、確実に自分の頬をはたいていた。


「あいにく俺は、そう自制心は強くないぞ」

「よぉく判りました。そういえばそうだったね」

「お前の言いたいことは判る。だがなリタ、あいにく俺は、そういう感情であれを見てるんじゃないんだよ」

「だろーな」

「そう思えるのか?」


 やや意外そうな顔で、ビッグアイズは顔をさする仲間を眺める。


「なぁんとなく。だってさ、アレだって、別にあのでかウサギとそういう仲じゃないだろ?」

「判るか?」


 リタリットは親指を立てる。その立てた指の向こう側には、カウンターから食事の皿を受け取ると、やはりすいすいと人とテーブルの間をすりぬけるキディの姿があった。


「帰ってきてから判った。そうなってしまうのは、結局そう多くないだろ?」

「まあな。元々にそういう素質があるんじゃなければ、あの環境でない限り、そうそうそういうことは無いだろ。空気の温度も湿度も違えば、住んでる人間の意識も変わってくる」

「そうだな」

「何お前、リタ、自分が元からそういう気あったって、思い出したとかした訳かよ?」

「まっさか」


 へらへら、と彼は笑う。そうだなそんな訳ないよな、とビッグアイズもまた笑った。


   *


 お疲れさま、と言いながらキディは上着を片手に店を後にする。

 まだ春先の夜は、肌寒い。首筋にぶるっと震えがくる。

 慌てて上着を羽織りながら、帰る方向に目をやると、街灯の下の見覚えのある姿に、元少年はわざとしかめっ面を作った。


「何だよあんた、まだ何か俺に言い足りないのかよ」

「言い足りないのはあるがな。ちとばかり、つきあってくんない?」


 衛星光にきらきら、と治まりの悪い金髪は光る。リタリットのこんな口調を聞いたのは、キディも初めてだった。

 何かまたからかっているのではないか、という疑問はあったが、別段逃げる必要もないので、そのまま二人で道を歩き出した。


「確かあんた、ヘッド達のとこに居候してるんじゃなかったの? だったらもう終電の時間は過ぎたんじゃない?」

「ああ。言うの忘れた。泊めてくれ」

「……」


 呆れた、という顔になってキディはこの幾つか年上の男の顔を見つめた。


「別にオレが行ったとこで、お邪魔虫って訳じゃないだろ? オマエら」

「そうじゃないかもしれないよ?」


 強がる相手の言葉にリタリットは肩をすくめる。


「無理すんなって。オマエそういう気ねーだろ。見りゃ判る」


 キディは首を傾げる。


「何で」

「なーんとなく」

「答えになってないよ、リタ」

「じゃあさ」


 リタリットは足を止める。


「何で自分がそぉいうのダメなのか、オマエ考えたコトある? キディ」


 不意に振り向く。キディは自分の顔が明らかにこわばるのを感じる。


「オレはさ、キディ」


 そしてくるりと身体ごと振り向く。ポケットに手を入れて、片方の足を軸にして綺麗な円弧を描く。


「今でも、奴の過去がどうとかってのは聞きたくもねえ。だいたいオレの知ったコトじゃねえ奴の過去のことなんて、聞いたって腹が立つだけじゃねえか」

「そりゃああんたが、BPにべた惚れだからじゃないか」

「おーそうだよ? それで何が悪い?」


 キディは言葉に詰まる。


「だからオレはそんなの、聞きたくもないし知りたくもない。だけどな、それでもオレが惚れてる奴のそうゆう部分ってのは、嫌だけどな、そうゆう過去って奴が作り上げちまったもんなんだよな」


 ああ全く、とリタリットは頭をかきむしる。


「悔しいが、あのおっさんの言ったコトは合ってる。ったくもって忌々しい」

「あのおっさん?」

「オマエんとこのマスターだよ。ウトホフトとかいうおっさん」


 ああ、とキディは大きくうなづいた。


「彼はいいひとだよ」

「いいひとね。でもなキディ覚えとけよ。いいひとだけじゃ、ああいう役には上がれないんだ。ああいう集団じゃ」

「ふうん。でも俺別に集団の上に立とうとか思わないしさー」

「ばーか。そんなこと言ってるんじゃねーよ」


 ではどういうことなのだ、と元少年は聞きたかった。だがどうも、いつもと調子が違う。キディは正直言って、そんな相手の様子にやや戸惑っていた。


「そういえばリタ、BPが今何処に居るのか知ってる?」

「知ってる。ビッグアイズが言っていた。首府に向かったってな」

「いいの?」

「いいのって?」

「だから、BPのとこに戻ってきたんだろ? あんたは」


 いんや、とリタリットは首を横に振る。


「じゃあ何しに来たのさ」

「決まってるだろ。反乱軍なら、反乱らしいことをするためさあ」


 くくく、とリタリットは笑った。


「それにしても今日の衛星は綺麗だなー。おいちょっとキディ、手ぇ貸せ」


 え、と言う間もなく、ぐい、とキディは手を取られ、バランスを崩す。


「何するんだよ」

「いやあまりにも今日のひかりは綺麗だから、ちょっとステップなと踏んでみたくなってさ」

「ステップう?」

「そ」


 ふわり、と取られた手が上がり、もう片方の手が腰に回る。キディは何が何だか判らずに、瞬きを繰り返すだけだった。


「ほら、足をこう出して、スロースロー、クイッククイック……」

「ってこれ、リタ、ソーシァルダンスじゃんか!」

「悪いか?」

「悪かないけど」


 首を傾げながらも、相手の言う様に、動かす様に手足を動かすと、それでも少しづつ動きはダンスらしくなっていく。


「音楽も入れてやろーか」


 そう言うと、一つのメロディを口ずさみはじめた。それはキディも聞き覚えのある、有名なクラシックの曲だった。ただ覚えがあると言っても、それはさわりだけのもので、全体を流して歌え、と言ってできるというものではない。


「で、♪……ほらっ」


 不意に腕を上げられて、背中を押される。ああああ、と口を開けたまま、キディはくるりとその場で一回転する。そして回転してバランスを崩した身体をリタリットは受け止め、その体重を腕に流す。そのポーズはちょうど、しなだれかかる女性の姿勢に似ていた。


「っと。はい終わり」

「びっくりしたじゃんかよ……」


 くくく、とリタリットは笑った。

 だがキディからその表情はよく見えない。ちょうど衛星の逆光で、顔は暗く、隠れたままだった。


「こんなのは、初歩の初歩なんだぜ?」


 そう言って、今度は一人で、腕に誰かを抱え込んだ格好のまま、リタリットは歌いながら足を進める。キディはそれを眺めながら唖然とする。ふわりふわりと空気を割るように動く腕。複雑なステップ。スロー・クイック・スロー・クイック。足どり軽やかに、時に素早く、そして時にはジャンプ。

 それを間違えずに、しかも歌いながら、軽々とこなしている。キディは思わず叫んでいた。


「あんた、昔そんなの習ってたのかよ!」


 過去のことを具体的に聞くのは基本的に、彼らにとっては御法度である。だがその時のキディからは、自然にそんな質問が口から飛び出していた。さあね、と少し離れた場所でくるくると動く相手は答える。


「絶対そうだよ、あんた、そういうの、身体が知ってるんだよ!」

「ああそうかもな」


 リタリットはあっさりと返した。


「認めるのかよ?」

「さあな」


 そして決めのポーズをわざとらしいまでに取ると、ふう、と首や肩を回した。


「やだね、全く」

「何が?」

「身体が覚えてるってことがさ」

「それは――― でもさ、それはあんたの記憶を取り戻す糸口にはなるじゃない」

「ふうん? じゃあオマエは思い出したい訳?」

「そんなことは、無いけど」

「別にいいさ。思い出せなんて、何で皆が皆言うんだろーな。BPにしろ、オレにしろ。今がシアワセならそれでイイじゃねーの……けどな」

「けど?」

「や、何でもない。でもな、オマエ、思い出したくないならそれでイイけどな、だったら絶対シアワセにならなきゃ仕方ねーんだよ」

「そりゃあそうだよ」

「判ってるならイイんだ」


 そう言って、ぽん、とリタリットはキディの肩を抱く。その力が奇妙に強かったので、キディは怪訝そうに相手の方を見たが、やっぱり相手の表情は、逆光で判らなかった。



 しかし、その晩泊まったはずのリタリットの姿は、次の朝には既にキディとマーチ・ラビットの前からは消えていた。



 ばん、と大きく扉を開き、ゾフィーはその部屋に入ってきた。

 付けっ放しのモニターからは、深夜ショーが流れている。夜中の、寝るのも惜しい若者達くらいしか見ない様な時間帯、実験的なショウやドラマが若手によって作られ、流されるのもこの時間帯である。

 画面の中では、わざと静止したような映像が延々と流れている。静止している訳ではない。静止したような形を取っている、役者や効果音が続いているのである。数分に一回の割合で、その動きははたと急激に変わり、また静止状態が続く。訳の判らないものだ、とゾフィーはそうこの番組は好きではない。

 そしてその不可解な映像の隣で、相変わらず散乱したビデオ・ブロックの山が積まれている。ゾフィーのやや緊張したような、怒った様な表情が、途端に呆れたというものに変わる。

 そしてその中の住人も。くるりと椅子を回すと、リルは慌てて笑顔を作り、訊ねる。


「あ、お帰りなさい、レベカさん。どうでしたか?」

「どーしたもこーしたも!」


 今にも崩れそうなビデオ・ブロックの避けながら彼女はリルの居るデスクに近づき、ぽん、とバッグをかろうじて空いた場所に置く。


「いなかったわよ、彼――― リタリット君。こっちが決死の思いで行ったというのに」

「いなかった、ですか? 留守ってことはないですか?」

「夜まで待ったわよ。だけど、居なかったわ。同じ建物の中の住人さんに聞いたけど、何か最近帰っていない、って言ってたけど」

「でも引っ越したという訳ではないでしょ?」

「そこまではね。でも元々、住人相互に知り合っているという訳ではないらしいの。だから下の階の店の人に聞いたぶんだけど。結構ちょくちょく遠出はすることがあったらしいんだけどね。同居人と」

「同居人? 俺が行った時には居ませんでしたがね」

「しばらくその同居人も居なかったらしいから、ケンカでもしたのか、と心配していたけどね。心配されるような顔をしていた訳よね、彼」

「まあ、怒りっぽいけど、人懐こいという印象もありましたよ」

「怒りっぽい? それはあたしは知らないわよ」


 そう言いながら彼女は、はいおみやげ、とリルに向かってバッグの中から包みを取り出す。律儀な人だなあ、と声にならない声でリルはつぶやく。


「あ、林檎パイ」

「いい感じでしょ。丸ごと林檎が入ってるのよ」

「へえ」

「あたしも食べたいから、ここで食べましょ」

「ここで?」

「文句あるの?」


 無いです、とくすっと笑いながらリルはつぶやいた。この年下の青年には、逆らう術はなかったし、逆らう気は更に無かったのだ。

 どういう製法なのか、まだ内部でみずみずしい林檎が口の中でぷしゅ、とはじけ、酸味が広がる。その酸味にゾフィーはやや目を細めながら、わざわざ立ち寄って買ってきて良かったわ、とつぶやく。


「それで、行き先は判ったんすか?」

「全く。でも、君の言ったあの街のドクトルとマスターを当たるという手もあるわね。いずれにせよ、彼らは『集団』だとは思うのよ」

「集団。根拠はありますか?」

「彼がヴァーミリオンであるなら、そして記憶が無いというなら、―――送られていた可能性があるのよ」

「何処に?」

「ライよ」


 彼女は断言する。


「政治犯だから。水晶街の事件は、大量に政治犯を作り出したでしょ」

「そうでしたね」

「忘れていないとしたら、地下に潜ったと考えられたわ。でも記憶が無いなら、そっちの可能性が高い。ただ、その場合、どうして『ハイランド君』がそうされてしまうのかがなかなか理解できないのだけど」


 ゾフィーはそう言いながら、フォークで切った一片を口に運ぶ。だがふとリルを見ると、手をつけた様子は無い。


「どうしたの? 食べないならあたしがもらうわよ?」

「レベカさん―――」


 宙をさまよっていた目が、ふと焦点を結んだ。


「俺、結構ずっと考えていたんすが、こうゆうのはどうでしょう?」

「何?」

「ハイランド君が、ハイランド君だってことをIDの段階で隠していたとしたら」

「身分証明書の段階で? けどそれが無かったら、首府で行動することはできないでしょ?」


 首府では、IDの携帯が義務づけられている。他の都市と違い、市内に入るためには、そのチェックが必要となる。

 無論ゾフィーもリルも、普段からそれは携帯しているものだった。無しでは、首府内にある携帯型以外の端末は利用できないし、そもそもゾフィーの持つような放送用の小型端末といったものは、その個体ナンバーが、届け出されているものである。


「だから、それを別の人間と入れ替わっていたら? 入れ替わりでなくてもいいんすが、要は、別の人間のIDを持っていたら」

「それがどんなメリットがあるというの?」

「ありますよ。少なくとも、ハイランド君は、自分の出身はそう好きなものでは無かったんじゃないすか? ―――って、俺はそう思ったけど。調べた結果としては」

「嫌っていた、ね。でもその反面すごく執着していた様にも思えたけど」

「だから、そのあたりが俺にはちょっと判りにくいんすが」


 そこまで言って、リルは言葉を切った。


「一体、レベカさんは、ヴァーミリオンって名乗っていた彼を、どう知っていたんすか?」


 彼女は眉をひそめた。彼女にとってそれが知られたくないことであるのは、リルもよく判っていた。だがどうしてもその部分が判らないことには、謎が解きようがないように彼には思えたのだ。


「ものすごく、プライヴェイトなことよ」

「でもレベカさん、俺はここまで関わってしまったんすよ?」


 そう言ってリルは彼女に詰め寄る。彼女の林檎パイと、彼女の間に手を置き、半ば腰を浮かせる。

 体温の感じられる距離だ、とふと気付いて、彼女は少しばかり鼓動が速くなるのを感じる。だが気を取り直し、自分の感情を押さえ込むかの様に、あえて相手の目を真っ直ぐ見据えた。


「そんなに、知りたいの?」

「知りたいすよ。これはもう純粋に興味っす。嘘はつきませんよ。でも興味は、あなたのことだからすよ?」

「リル君?」

「あなたが好きなんす」

「リル君!」


 彼女は思わず叫んでいた。目の前の真剣な瞳に、思わず眩暈がする。覚えがある、こんな瞳。彼女は首を横に振る。


「別に、だからって、俺を好きになってとか、そういうのじゃないすよ。ただ、あなたが知りたいことに、力になっていたいだけなんす。だから知りたい。それだけなんすよ?」

「違うのよ」


 彼女は首を横に振る。


「何が違うんすか?」

「君が見ているあたしなんて、結局は取り繕って、これでもかこれでもかとあたしが作り上げたあたしに過ぎないわよ」

「でも作り上げたのは、その元々のあなたでしょ。それもひっくるめて、今のあなたなんでしょ。俺はそのことを言ってるんす」

「じゃあ聞けばいいわ。聞いたら、君はそんなこと言ってられなくなるから」


 リルは一瞬息を呑んだ。そして一度浮き上がらせた腰を元に戻した。


「リル君、君、水晶街の騒乱について、どのくらい知ってる?」

「水晶街、すか? 俺はまだその頃は、初等学校卒業したばかりのガキだったから――― ああ、放送はされたから、それは見ましたけど」

「そうよね。報道はされた。だけど、報道は結構上辺だけのことだったりするのよ」

「上辺」

「八年前よ。あたしは実業学校の専科を卒業して、この放送局にアルバイトで入っていたわ。今でもそうだけど、この放送局で女を雇うのは、大学卒業資格が無いと駄目よね。あたしは実業しか出ていないから、とにかく取っかかりが欲しくて、アルバイトって形で入ったのよ」

「そういう意味では、男のほうがまだ緩いすね。俺も実業出身だし」

「でもまあそれは、明日変わるってものじゃないから、そうそう言ってられないわ。とにかくあたしはあたしのできることを、で何とか潜り込んだ、って具合ね。18歳だった。そして兄貴は21歳だったかしら。中央大に一年浪人して入ったのよ」

「一年でも凄いじゃないすか」

「そうよ、凄かったのよ」


 ゾフィーは目を伏せる。


「自慢の兄貴だったわよ。頭は良かったし、頼りがいもあったし。比べられはしたけど、しても仕様が無いこと判ったから、あたしはそうそうに中等じゃなく実業へ進んで………… まあそのせいで放送局は回り道したけど。でもそれはどうでもいいわ。逆に中等から大学というコースだったら、入れなかったかもしれないし、局アナ嬢にされていたかもしれないし」


 リルは黙ってうなづく。


「兄貴は――― アジンって言ったんだけど、妹のあたしから見ても、よくできたひとだったわ。頭はいいし、だけど勉強バカじゃなかった。だから何って言うんだろ。知識じゃなくて、智恵のある人。そういうのだったのよ。で、天は二物を与えずって言うけど、彼に関しては、絶対与えたわね。そこまで徹底されると、妹ももうひがむ暇すら無いわ。かんっぜんに『違うもの』だったもの」

「じゃあ、レベカさん、お兄さんのことすごく好きだったんすね」

「ううん」


 即座に彼女は首を横に振る。リルはその彼女の反応に首を傾げた。


「違うんすか?」

「尊敬はしてたわ。でも嫌いだった」

「そうなんすか?」

「比べられもしないわよ。そんな奴、自分のきょうだいなんて思える? 失敗って文字を何処に置き忘れたか、って思ったわよ。だから比べられもしないけど、向こうをちやほやするのは当たり前じゃない。親も、親戚も―――」

「で、そのお兄さんは」

「死んだわ」


 リルは息を呑む。


「水晶街の騒乱の中で、死んだのよ」

「それは、巻き込まれて」

「思ってもないこと、言うんじゃないわよ。あそこで死んだのは、参加した連中だったでしょ?」

「……はい」


 彼はうなづく。当時中等学校の予科に入ったばかりの少年でも、そのくらいの情報は入ってきていた。いや、そんな知りたい盛りの少年だったから、知ったのかもしれない。


「結構な数の学生が検挙されたり、射殺されたりしたんでしたよね」

「そうよ。兄貴もその一人。でもねリル君、それはかなり無茶苦茶なことだと思わない?」

「と言うと?」

「普通は、そう、そのちょっと前に起こった、ベグランの騒乱事件がいい例かな。だいたい情報ってのは、当局に漏れるものよ」

「そういうものですか?」

「テルミン宣伝相と付き合うようになってから、確信したわよ。市民の間の情報なんてのは、かなり詳しく漏れる様になってるわ。あたしは当時、何でなのか、疑問だったけど」

「情報が、漏れていたと」


 ゾフィーは手を振る。


「ちょっと待って、順序立てて話させて。そうでないとあたしが混乱するわ」


 はい、と彼はうなづき、目の前の林檎パイをようやく口に入れた。口の中でしゃり、という音が響く。


「兄貴の話だったわね」

「はい」

「そう。兄貴はそれで一年浪人して中央大に入って、三年の時だったわ。騒乱は。だけど、彼は大学に入ってから、行動が変わった、とあたしは思ってる」

「入った時から?」

「その入ってしばらくしたあたりで、彼はヴァーミリオンと知り合ってるのよ」

「それは、ハイランド君が消息を経ったあたりですかね?」

「いいえ、もう少し後よ。そう、入ってしばらく、というか、一年の終わりだったかしら。まだあたしも実業の専科に居た頃だわ」

「なるほど」

「と言っても、表向きは、何も変わった訳じゃない。ただ、それまで仲が良かった、中等からの友達が来なくなり、その代わりに見たことが無い連中が、よく彼の部屋に溜まる様になったのよ。彼自身の外泊も増えていったわ」

「でもまあそれは年頃の男子学生としては」

「そう。だから別に大したこととは思わなかったのよ。うちも特別子供の行動に干渉することは無かったし。彼の部屋はあたしと違って広かったし」

「そうなんですか?」

「そういう所に差がつくから嫌よね」


 全く、とリルは肩をすくめる。


「その中の一人に、ヴァーミリオンが居たのよ。何かあたしは初めっから気にくわなかった」

「何でですか?」

「何っかいつも、あたしに対して、うすら笑いを浮かべている様に見えたのよ。だいたいその名前が気にくわなかったわ。ヴァーミリオン、朱色、なんて、あだ名に決まってるじゃない。なのにそれ以上名乗ろうともしなかったし」

「つまり得体の知れないひとだったと」

「まあそういうことね。そう、その得体の知れない奴が、好きじゃあないけど、一応尊敬していた兄貴と仲がいいと言ったら、何か嫌な感じがするじゃない」

「するんですか?」

「あたしには、したのよ。あたしが嫌な感じのする奴を好んで近づけてる、ってことが何となく嫌だったわ」

「それじゃやっぱりレベカさん、お兄さんのこと好きだったんじゃないですか?」

「かもしれない。そうよね、あたしも知らない部分でそうだったかもしれないわ。でも結局は判らないわよ。もう彼は居ないんだから。今生きていて、果たして仲良くなれるか、って言ったら怪しいわよ。彼とあたしは価値観が合わないんだから」

「で、そのヴァーミリオン君は、具体的にどう気にくわなかったんですか? その嫌な感じ、以外には」

「そうね」


 彼女は首を傾げる。


「彼が兄貴の恋人だった、ってことかしら」


 リルはう、と言葉に詰まった。



「別にそういうのを否定する訳じゃないけど。全く周りにいない訳ではないでしょ。特にこんな放送関係やっていて、俳優や歌手とか見てきてると。でもまだ当時あたしはほんの小娘だった訳だし、そういう刺激に弱かったのよね。理屈なしに気分悪かったのよ」


 リルはうーん、と小さくうめく。それはもう感情や生理的な問題であり、どういうこともできないのだ。


「最悪なことに、ある朝、兄貴しかいないと思って昔の参考書を借りに行ったら、……見てしまって」

「……それは…… 最悪」

「おまけにその時、兄貴は寝ていたのに、彼は目を覚まして、にやにやと余裕ありげに見たりするから、もうあたしは腹が立って腹が立って」

「それで参考書は借りられたんすか?」


 ゾフィーは苦笑しながらひらひらと手を振った。


「元々嫌だなあ、と思っていたのが、それで一気に嫌いになっちゃったのよね。声も聞きたくない顔も見たくない、半径10メートル以内には近づかないで状態、よ」

「……手厳しい」

「今思うと、何ってガチガチのお堅い娘だったんだなあ、と思うけど」


 今だって充分ガチガチだ、とリルは言いそうになって、慌てて口を押さえた。


「で、あたしはそれ以来、兄貴にも何かそういう意味の嫌悪感を持つ様になっちゃって、話すことも無くなってきたのよね。丸一年くらい」

「それは……」


 彼は苦笑する。


「そんなこんなしているうちに、あたしは放送局に潜り込むことができて、仕事が忙しくて、面白くて、何か家に帰る時間がすごく減っちゃって、兄貴やその友人達のことなんか、考える余裕も無くなった訳よ」

「まあそうでしょうね」


 自分の少し前の立場を彼は思い返す。おそらくは彼女はもっと厳しい状況だったのだろう。


「でも、そんなある日、ものすごく久しぶりに兄貴や兄貴の友達と顔を合わせちゃったのよね。何か妙に人が多いな、と思って」

「どのくらい居ましたか?」

「そうね、だいたい七~八人ってとこかしら。母親は、いつもの溜まり友達だ、って言っていたから、その頃には、その人数が溜まっている様になっていたらしいの。ただ、母親の話だと、勉強の会に聞こえていたみたいね。あのひとも学校は実業の予科で止めているような人だから、兄貴達の話が何であるかは理解できなかったと思う」

「お父さんは?」

「親父はその頃、首府にはいなかったのよ。ちょっと離れた都市で工場主任か何かやっていたから」


 ああ、と彼は大きくうなづく。


「―――偶然だったとは、思うのよ。だけど……」

「けど?」

「たまたま、夜中にトイレに立つことって、あるでしょ?」

「え? ああ、ありますね」

「物騒な話が、聞こえてきたのよ」

「え?」

「物騒な話。リル君何だったと思う?」


 何って、と彼は腕を組む。


「その、騒乱の計画……」


 違うわ、とゾフィーは首を横に振った。


「ねえリル君、あの水晶街の騒乱は、何で起こったと思う?」

「何で?」

「あれは、結果よ」

「結果?」

「ある計画があって、それを実行寸前まで行って包囲されたからあの騒動が起きたのであって、騒乱自体が目的じゃあないのよ」

「―――って、そんな話、聞いたことが無いすよ?」

「そりゃそうよ。その部分は発表されてないもの。公式には」


 報道は上辺、と彼はゾフィーが言った言葉を繰り返す。


「そ。報道は上辺。あくまで当時、報道機関は、あれを『ただの大規模騒乱』として片づけたわ」

「じゃあただの、じゃなかった」

「違うわ」

「レベカさんはその失敗したほうの計画を…………」


 ええ、とうなづきながら、彼女はデスクについた手を組んだ。


「あの時、彼らは、暗殺計画を立てていたのよ」

「あ」


 んさつ? と思わずリルは大声を立てそうになったので口を塞いだ。


「そんな無謀な」

「無謀だと思う? だって、結局ゲオルギイ首相は暗殺されたのよ? ……犯人はその場で射殺されたけど」

「無謀では、無いと?」

「計画さえ上手く運んでいたらね。ただ、その時は上手く運ばなかったのよ」

「で…… でも」


 自分の声がやや震えているのが彼にも判る。


「でも?」

「そこには、ヴァーミリオンも居たんでしょ? 彼はハイランド君だとしたら、……それは父親の暗殺計画ってことに」

「―――とあたしも当初思ったのよ」


 そう言ってちら、と彼女はやや上目づかいでリルを見た。


「当初」

「その時、聞こえてきたと言っても、扉ごしよ? 誰がそこに居たか、は判らなかったわ」

「とすると、ハイランド君――― ヴァーミリオンは、その計画には参加していなかった?」

「らしいの」

「だけど、何で」

「そこが上手く判らないのよ。まあ当時から、急進派が暗殺を考える、ってのはよくあった話よね」

「ええ。過去の資料を見ても、ゲオルギイ首相の暗殺未遂はずいぶんとたくさん。実行されかかったことも資料にはあったし」

「そして実行されてしまった。でも、学生がやるには、相手は大きすぎると思わない?」

「思うっす。だけど、学生の間は、気付かない、ってことではないすか?」

「ええ、それはあると思う。彼らは頭は回るけど、その視界が狭いってことはあるからね。だから計画が起こったことは、問題じゃないのよ。問題は、どうしてそこに、ヴァーミリオンが参加して『なかった』か、ってことなの」


 リルは足を組み、あごに手を置いて、うーん、とうなる。


「彼は反対していた」

「とも考えられるわ。じゃあそれは何故かしら」

「そこがよく判らないすよね。……そう、よっぽど頭良くて、……いや、頭良くなくていいす。視野が広ければ」

「暗殺計画を立てても、失敗すると知っていたから? そもそもが反対していたから、兄貴達は、彼をその計画には入れなかった、ってことよね」

「だと思いますね。でも、その時ハイランド君は、確かまだ、レベカさんのお兄さんより一つ下じゃなかったでしたっけ」

「そうよ。兄貴より一つ下だったわ。その頃ずっとそういう関係が続いていたのかは…… 見たくもなかったけど、判らないけど……」

「そんな学生が――― ハイランド君は確かに頭はいいだろうけど、よくそんな見通し立てましたよね。いや、それとも父親の警備の厳しさを知ってたってことすかね?」

「そうかもしれないけど。でも、その頃ヴァーミリオンはハイランドの名前を出していなかったはずよ。だったらそういう理由で反対はできない。とすると―――」

「だいたい何で、朱色なんすか」


 それは突然だった。だが、根本的な問いかけだった。


「そうなのよ」


 ゾフィーは大きくうなづく。


「そもそもが何でそんな名前なのか、というのがずっとあった訳よ。あだ名というより、それってまるで」

「コードネーム」

「よね」


 二人は声を低めた。


「彼が、何かの組織から派遣されて、オルガナイズする様に指令を受けていた……とも考えられますよね」

「あたしもそれを考えてたわ。ただ、証拠はない」

「俺達が今話してることなんて、全部証拠無いみたいなことすからね。だいたいもう八年の昔のことなんだし」

「そうよ。だけどその八年前のことがずっと引っかかってるんだから、仕方が無いのよね」

「レベカさん」

「忘れてしまえたら、楽なのよ。だけど、あたしは――― 何かね、途中から、彼らが計画からヴァーミリオンを外してる、ってのは気付いていたのよ。だけどそのことをずっと彼には言わなかった。滅多に会わなかった、っていうのもあるけど、言いたくなかった、というのもあったわ」

「それゃあなたは聞かなかった、ということもあり得た訳だし」

「でも知っていたのよ。それは事実よ。そしてある日、放送局に居るあたしをわざわざ訊ねてきて、彼聞いたのよ。兄貴の行方を」

「行方?」

「さすがにそれはあたしにも寝耳に水、だったわ」

「ということは、お兄さん、家にいなかった?」

「母親はその時、大学の会活動の合宿だと聞いていたらしいわ。間違ってはいないわね」


 くす、とゾフィーは笑う。


「あたしは嫌な予感がした。だから言ってやったわその時。『知らないの?』って」

「知らない、と彼は答えた」

「そう。顔色が変わったわね。慌てて飛び出して、何やら知っているところを調べまくったらしいわ。でも何か彼は結局ずっと見つからなくて、そう、……あの当日よ」

「当日…… って、水晶街の」

「正確には、前日。どうしても見つからないから、頼む君の知っているところ、心当たりを教えてくれ、ともう、こんな風に」


 ゾフィーは手を伸ばし、リルの両のの二の腕をがっちりと掴んだ。


「両腕掴まれて、願い倒されたのよ。さすがにその時には怖かったわ」

「で、言ったんすか? 居場所」

「その時のあたしに判ると思う?」


 彼女は唇を噛みしめた。


「全く。皆目見当が付かなかったわよ。するとヴァーミリオンは、新聞を見せてくれ、ともの凄い剣幕で言ったのよ。慌ててあたしは事務所から取ってきて見せたわ。彼は首相のその日のスケジュールの欄を見ると、飛び出して行った。あたしはそれを追いかけた。地下鉄の駅へと彼は走って行った。最寄りの駅じゃなかったわ。わざわざ地上を通って、官邸に一番近い――― 中央図書館前、まで彼は行ったのよ。走れない距離ではなかったけど、結構足で行くとあるわね。彼は途中で道に置いてある自転車を勝手に持っていったわ。そしてもの凄いスピードで駈けだした」

「あなたは?」

「あたしはこの放送局の自転車を借りたわ」


 やっぱり自転車なのか、とリルは苦笑する。


「彼の背中を見失わない様に必死で漕いだわ。もう汗がだくだく。でもそうこうするうちに、その行く先で、ひどい音がしたのよ」

「ひどい音?」

「爆発音よ」


 と、その時、ぴー、という音が二人の前のモニターのスピーカーから響いた。

 その音に弾かれた様に二人がモニターを見ると、画面には、それまで映っていた深夜ショウの画像は無く、砂嵐が飛び交っていた。


「放送終了時間、ってこんな早かったかしら」

「や、そんなことないすよ。俺時々画面確認してたけど」


『……深夜の電波にその虚しい心を癒していると思いこんでる少年少女老若男女の諸君おはようこんばんわ。はじめましてどうも!』


 不意に、そんな言葉が雑音に混じって飛び出してきた。はっとしてゾフィーもリルも顔を上げる。


『電波にIDは不要。遠い場所から君達虚しい人々に捧げるこの放送、ああ何てお久しぶりなのでしょう!? 本日のライの大陸南西地帯K15ブロックの天候は晴れ。晴れ。晴れ』


「海賊電波だ!」

「まさか」

「まさか、じゃないですよ! それにこれ……」

「そうよ、これ……」


 リルとゾフィーは顔を見合わせ会う。ゾフィーは背中がすっと冷えるのを感じる。リルは思わずヴォリュームを上げる。


「リタリット君、の声だ……」

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