Eternal Rose

ウツユリン

プロローグ 『夜明け』

 白みはじめた東の空が紺から橙色へ移ろっていく。

 崖に建つうちの庭からは陽の出を遮るものがない。遙か向こうの水平線に紅の球体がかすかに頭を覗かせていた。

 『UVインデックス:2』の明朝体が、『UVインデックス:3 危険』へと変わって、ぼくのヘルメットのディスプレイの右下で白く点滅している。鬱陶しくてもこの表示は消すことができない。

 ヘルメットを両手で挟んで持ちあげる。

 シュゥ、と気密の解ける音と同時に、圧倒的な芝生の匂いが鼻を満たす。風には潮の香りが混じり、まだ訪れたことのない海へと思考を導く。

 そこで痛みがぼくを現実へ引き戻した。

「……いててっ」

 顔がチクチクして反射的にヘルメットを脇へ放りなげた。頬を触ると今度は、手の痛みが増す。曙光にうかぶ自分の真っ赤な手を見下ろし、ぼくはで痛む両手を意味もなく振る。ブラブラさせたところで痛みがやわらぐことはないし、手首の腕時計がこすれて逆に傷がヒリヒリする。

 とめどなく溢れる涙の塩分が灼けた頬に滲みた。

 けれど、この涙はまぶしさでも、痛みのせいでもない。

「これが本当の、なのか。痛いけど太陽って案外、きれいだね……カレン」

 ゴシゴシと目を拭ってぼくは傍を見下ろす。掘り返した土の跡がぽっかり空いた穴のように芝生を穿っていた。盛り土の横にはスコップ代わりに使った、光を反射する赤いとベージュの植木鉢がひっくり返っている。

 埋め戻したばかりの土からは30センチほど、茎が伸びていた。枝分かれした先で星形の萼に支えられたいくつものゴールデン・オレンジの蕾が花開くときを待っている。茎の頂点で一輪だけ、丸く、花びらの多いカレンデュラの花が風にゆれていた。

 スルスルッと、カレンデュラの茎を一匹のダンゴムシが登っていく。つつくと丸まって、ぼくの指を辿って手のひらに転がった。

「そろそろ行かなきゃ。実伊須ミース大杏ダイアンも探してるだろうし。キミを帰したら病院にいくって約束したし……まあ、陽の出をみるとは言わなかったけど」

 うちのほうから、ぼくの名前をよぶ声が聞こえる。二人ともきっとカンカンだろう。騙すつもりはさらさらなかったけれど、だまって出てきたのは事実だ。

 叱られるとわかっていても、いまは清々しかった。すべきことを済ませたぼくはいま、目をそらし続けてきた太陽と向きあっている。もしかすると、二人おやはぼくの"反抗"を喜んでくれるかもしれない。

「それはないか……ごほっ……」

 へへっ、と苦笑いしただけで唇が裂けた。気管を咳の機関車が駆け上がって喉を突きまわす。本当にそろそろ戻らないと、にならなくなりそうだ。

 握りつぶしてしまわないうちにダンゴムシを土に置いた。防御姿勢を解いた小さな甲殻類は、そのまま土の中へ潜っていく。よろめきながら立ったぼくは、放りなげたヘルメットを拾い、脇に抱えた。もう被るつもりはなかった。

「しっかり耕してくれよ」

 体半分まで昇った太陽が、纏った焔を誇示するように高度を上げ続けている。空はほとんど橙色の天下だった。

「またきてやるからな!」

 炎球を睨みつけ、ぼくは背を向ける。ボディスーツに覆われていない皮膚のすべてが痛かったけれど、それを太陽には悟られたくなかった。

「じゃあまたね、カレン」

 もう一度だけ、カレンデュラに目をやる。しばらくのお別れだ。

 カレンデュラに見送られ、ぼくは家路につく。灼けた素足で踏みしめる大地の感覚が心地よかった。

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