からあげメガネと恋模様〜デブをダイエットさせて美少女育成しますっ⁉︎〜

ハネダタロウ

1 メガネ、そして、ダイエット




 ——僕は眼鏡を崇拝している。この上なく愛している。眼鏡は世界だ、そう思う。



 昼休みの教室の喧騒の中、パキッと乾いた音が控えめに響いた。

 呆気ない最期であった。

 目の前では高校生活を一年以上共に駆け抜けてきた相棒が見るも無残な姿と化している。

 フレームは歪み、つるに至ってはへし折れてしまっていた。

 普段の均整のとれた美しい姿はもう、見る影も無い。


「ぼ、僕の眼鏡がぁ……」


 目から涙がこぼれ落ちる。

 もはや我が半身とよんでも過言ではない相棒、茶ブチの丸いフレームが重厚でチャーミングな眼鏡は悪魔の鉄槌でもって破壊された。

 相棒はグニャグニャとなってしまい、僕の心も視界もグニャグニャだ。グニャグニャが、グニャグニャしてて、グニャグニャなのは、涙故だろうか、それとも僕の視力のクソさ故だろうか。


「えっ、うそっ、泣いてる」


 地面に崩れ落ちた僕のはるか上方から女の子の焦った様子が伝わってくる。

 だが、そんなのは知ったことではない。誰がなんと言おうと、相棒はもう戻ってこない。

 僕は悲哀に頰を濡らしながら、相棒を死に追いやった屈辱の瞬間を思い返す。



 


「おいメガネ、早く買ってきたまえ」


 目の前に座る同級生から指示される。平均ちょい下のいわゆる凡な顔つきのくせにたいそうな口ぶりだ。凡顔な彼のかけている眼鏡はレンズの小さく丸いものだ。プラスチック製フレームの色合いは赤系のグラデーションで、センス系のお笑い芸人やタレントがかけていそうな眼鏡である。明らかにその路線はお前には無理だ。眼鏡負けしている。今世では諦めろ。

 悪口もそこそこにしておこう。僕の名前は目黒兼人めぐろ かねと。あだ名はメガネ。眼鏡しか印象に残らない地味な見た目と名前の頭文字からついたあだ名だ。仲のいいやつは大抵、メガネと僕のことを呼ぶ。なんかいじめられっ子っぽいあだ名だが、気にしてはいない。むしろこのあだ名を恐れ多くも誇りに思っている。なぜなら、僕は眼鏡を愛しているからだ。もはや僕の人生は眼鏡のためにあると言っても妄言ではないほどに。だから、生まれて初めてチビ関係以外があだ名になって嬉しいとかではない。そんなはずはない、決して。僕の眼鏡愛に一片の曇りもない。


「兼人、俺はアイスカフェラテでよろしく!」


 目の前の細マッチョでイケメンな同級生からテンション高めに追加の指示が送られる。彼の眼鏡は茶色で細めの丸いプラスチック製リムとメタル製のつるのコンビネーションだ。彼のハイセンスぶりと嫌味なくらいにマッチしている。

 確かに僕はチビで喧嘩が弱い。でも、パシリのような言葉をかけられても、パシられてはいないし、いじめられてはいない。むしろ不思議なことにクラスメイトの殆どはなぜか僕にビビって近づいてこないくらいだ。

 今回、飲み物を買ってくるという状況に追い込まれたが、このパシリの真似事に関しては悔しいことに僕の責任だ。只々、僕の力が足りなかった。


「我は、野菜ジュースを所望する。弱虫よ」


 凡なクソ野郎からも買い出しの内容をやや芝居掛かった口調で伝えられる。

 ここまでくれば誰が見ても事態を察することができるだろう。

 そう、これは罰ゲームだ。僕はジュースの買い出しを賭けた神聖なる眼鏡しりとりに負けてしまったのだ。眼鏡の知識が足りなかったのだ。眼鏡への愛が足りなかったのだ。

 悔しくて目の前の椅子を蹴飛ばしたくなる。蹴飛ばした後、四本の脚を一本一本丁寧に折りたくなる。でも、我慢だ。僕が弱いのが悪い。


「待ってろ。すぐ買ってきて、リベンジを申し込んでやる」

「ふっ、何度やっても結果は変わらぬぞ、小僧が」

「急ぎすぎて怪我するなよ!」


 そうして、眼鏡仲間の友人たちの挑発や気遣いを背にして、僕は悔しさを誤魔化すように歯ぎしりしながら教室の後方のドアへと駆け出す。一番近い自販機は一階の階段のすぐそばだ。最短で一分半で帰ってこれる。いや、一分半で帰ってきてやる。 

 そう意気込んで、勢いよく走り出した。それがマズかった。

 廊下は走っちゃいけません。よく聞く言葉だ。これは当然だが、廊下で走るのと同じくらい教室で走るのは危ないのではと思う。廊下はスピードが出た状態での意図しない衝突が大事故につながりやすくて危険だが、教室の場合は密度が高く動きの自由度が低い分衝突頻度が上がるから危ないのではないだろうか。だから、この事故が起きてしまったのもある意味必然なのかもしれない。

 それは突然であった。駆けていた僕は横から衝撃を感じた。柔らかくて巨大なボールみたいなものを全力で顔面にぶつけられた感じだ。

 僕はチビである。そして、ガリガリだ。さらに、ケンカが弱い。

 だから、衝撃を受けて簡単に、派手に吹き飛ばされた。


「うああっ⁉︎」


 悲鳴をあげながら僕は周囲の机を巻き込んで倒れこみ、そして地面に倒れ臥した。クラスメイトから軽く悲鳴が上がる。

 僕は倒れたまま、痛みを堪えながら目を見開く。すると、視界がぼやけていた。目元手をやると、僕の相棒が……ない。

 一刻も早く相棒の行方の確認を急ぐ。僕は君がいないと生きていけないんだ。顔をあげ、周囲をキョロキョロと見渡す。一メートル先も鮮明に見えないが、それでもブンブンと首を振る。

 すると、相棒よりも先に、この事態を引き起こした下手人の姿が確認できた。というか彼女の姿が視界に飛び込んできた。

 彼女はデブな女子であった。ぼんやりとしか見えないが、あんなにデカい女子はクラスで一人しかいないから間違いない。デカチビコンビのデカい方だ。ひときわ目を惹く小っちゃいのと巨大なデブの二人組の女子、デカチビコンビ。僕は彼女たちとは大して仲良くないので詳しくは知らないが、チビの方は結構可愛く、その上ランドセルを背負わせたら映えそうなことから一部の生徒や教師や用務員のお爺ちゃんに絶大な人気があるらしい。そして、そんなチビと四六時中一緒にデブは、実はあまり評判がよろしくない。彼女はブサイクな上に辛めで冷ややかな性格や言動で知られていた。

 状況から考えるに、どういうわけかデブが僕に向かってタックルを仕掛けてきたのだろう。そして、僕はケンカが弱いから、当たり前に吹き飛ばされた。

 目黒兼人がチビでか弱いから吹き飛ばされた。この事実は屈辱的で、どうにかして揉み消さなければならない由々しき事態だ。

 だが、一番の、そして致命的な問題はそこではなかった。

 タックルの時、僕は顔面から思いっきり吹き飛ばされた。顔面から。よりにもよって顔面に食らってしまったことで、命の次に尊い眼鏡の位置がズレた。いや、ズレたどころではない。眼鏡はきれいに明後日の方へ飛んでいった。

 そして、眼鏡が飛び、そして、着地するのと同時に、デブも地面に倒れこんでいた。タックルの勢いそのままに、可愛げのないデカい尻を下にして。

 直後、パキッと音がした。

 ぼんやりとした僕の視界はその光景をおぼろげにしか捉えられなかった。だから余計に、乾いた音が、相棒の断末魔が鮮明にパキッと聞こえてきた。

 僕の心はパキッと折れた。




「あのっ、ごめんなさい」


 僕が地面にひしがれて相棒との突然の別れに悲しんでいると、上方から声がした。女の子の声だ。謝罪の声であった。果たしてどのような謝罪が、誠意がこれから見せられるのだろうか。相棒を亡き者にした罪は重い。だが、どんな誠意がそこにあろうと、僕の相棒はもう、帰ってこない。

 僕は悲しみに体を震わせる。怒りに体を震わせる。教室中の椅子の脚を一本一本へし折った後、一箇所にまとめて窓から外に蹴落としてしまいたい、ついでに勢い余って窓ガラスも粉々にしてしまいたい、そんな気分であった。

 怒りをにじませて、僕は顔を上げる。すると、そこには驚愕の光景が広がっていた。


「なっ⁉︎」


 何もまともに見えなかった。確かに、0.1の低い視力はその非力さを存分に発揮している。視界は涙も相まって綺麗にボヤけていて、正しく像を結ばない。

 だから、信じられないものを目にした。


「すみませんでしたっ」


 小さな女の子が多分綺麗に腰を折って謝っている。だが、こんなチビどうでもいい。小さ過ぎて視界の端にうつるのがせいぜいだ。

 ただでさえ小さい体を腰を折ってさらに小さく見せているチビな女の子の横、そこには大きな女の子がいた。

 デブだ。

 ブサイクだ。

 そして、憎き相棒を葬ったクソだ。

 たぶんケンカしたら女の子だけど逆立ちしても勝てない。それでも言ってやる。クソだ。クソでバカでアホでハゲだ。……ウソだ。流石にあまり常識のない僕だってわかる。ハゲはダメだ。ハゲ呼ばわりするのは人間としてあるまじき行為だ。たとえバカでもうんこでもウジ虫でも、ハゲだけは言っちゃダメだ。

 それはさておき、眼鏡は素晴らしい。眼鏡は世界が歪んで見える目も心も汚い人類に、正しい世界を映してくれる。しかしながら、いくら正しいものが見えようともその姿を受け入れる目が、心が、腐っていたとしたら大切なものは映らない。

 僕は涙をゴシゴシ拭う。初めて、ちゃんと、裸眼で、正面を見る。

 すると、目の前にはデブでブサイクだけど、輪郭がぼやけることでなぜか細く見えた女の子がいた。

 長身で、過度に細すぎず、美人で。

 恐ろしいくらい綺麗な女の子がいた。

 僕の理想の女の子、長身のムチムチお姉さんがそこにはいた。眼鏡が似合うのはもちろん大前提である。

 胸の鼓動が激しくなる。

 亡くなった相棒のことなんか一瞬で吹き飛んでしまった。

 高校二年生になって、同じクラスになってもう三ヶ月。なぜ今まで気がつかなかったのか。

 デカチビコンビのデカいデブは痩せたら超絶美しい。そして、眼鏡が超似合う。たぶん。

 歪んだ視界から見えた偽りの姿。相棒の喪失によるショックが生み出したまやかしかもしれない。

 でも。

 それでも。

 それでも、綺麗だった。

 胸がドキドキして止まらない。

 これはもしや、一目惚れというやつなのかもしれない。

 別に、色恋関係でイチャイチャしたいとかそういことではない。

 ただ、僕は彼女が輝く可能性にドキドキしているのだ。


「あ、あの……」


 横の小っさい女の子がなんか言っている。

 知るかボケ。チビ。アホ。ハゲ。今それどころじゃないんだ。……ハゲだけはごめんなさい。

 僕はアイドル育成ゲームをやっている途中に気分転換でやった野球ゲームで、能力値オールSの選手を奇跡的に作り出したときを思い出していた。野球ゲームをメインに三日間徹夜して選手を量産してもオールSを作り出せないどころか、最後の方は集中力が切れてオールAすら作れなかったのに、アイドルを育ててたらなぜか野球のスーパースターを作り上げてしまった。わけがわからなかった。

 あの時は、突然の出来事に魂が抜け落ちたように頭の中が真っ白になり、しばらくぼうっとしてしまった。

 わけがわからない。

 今もそんな気分であった。


「き、気にしないでくれ」


 茫然自失となった僕はそう言ってその場から足早に逃げ出す。

 胸が高鳴って、高鳴って、それ以上その場にいるのは僕には不可能であった。

 あと、彼女の前で眼鏡をかけてない醜態を晒し続けることが耐えられなかった。




 彼女の前から逃げ出した僕は、王子と信長の元へと戻った。アイスカフェラテを好むイケメンと野菜ジュースを所望した自称が我の痛いヤツ、相棒を失う直前まで一緒にいた二人だ。

 僕は今、何も見えない。これでは胸のトキメキと面と向かってハグして語り合ってハグするどころか、生きることさえ満足にいかない。そして何より、眼鏡をかけていないということは裸より恥ずべきものだ。だから、まずは仲のいい彼らの元へ向かった。彼らなら助けの手を差し伸べてくれるはずだ。


「なぁ王子、信長。スペアの眼鏡は持ってないか?」


 僕は相棒の無残な亡骸を見せながら二人に問いかける。すると、すぐに反応が返ってきた。


「兼人、大変だったなぁ……。すぐに似合うのを俺のコレクションから見繕うよ!」


 二人のうちイケメンの方、王子正道おうじ まさみちは僕の方へ同情の視線を送るとすぐさま作業に取り掛かった。

 王子は王子正道なんていう大層な名前だが、名前負けしないほどに、眼鏡が似合って高身長で細マッチョでイケメンでムードメーカーでモテるというほぼパーフェクトな男だ。だから、チビでガリガリでフツメンな僕の憎むべき敵だ。しかし、そんな彼と僕は親友であった。どう見ても釣り合わない僕らが仲のいいのには海よりも深く山よりも高い理由がある。そう、彼も眼鏡が大好きなのだ。いつでも気分にあった眼鏡をかけられるようにと、彼は最低十本の眼鏡を常に持ち歩いているのである。

 王子は自身のカバンの中から専用のケースに収納されたたくさんの眼鏡を取り出して、机の上に几帳面に並べだす。取り出された眼鏡の総数は二十を超えるだろう。休み時間の教室において王子の机だけがオシャレな眼鏡屋と化していた。

 コレクションを全て並べ終えると、彼は顎をさすり出す。眼鏡と僕の間で視線を交互させながら数秒ほど黙考する。

 そして、漸く時は来た。


「兼人、これはどうだ?」


 その言葉とともに王子は丸いメタルフレームの眼鏡を差し出してきた。


「これか……」


 王子は自身のコレクションから渾身の一品をきっと考えに考え抜いた末で進めてくれたのだろう。こんなに感激する話はない。

 だから僕は差し出された眼鏡を受け取った。

 そして、王子の眼鏡を差し出してきた腕の手首を掴み、そのままくいっと捻り上げた。


「いだだだぁっ⁉︎」

「このチョイスはありえねぇだろバーカ」


 僕は捻り上げた腕を放り出し、怒りをにじませて王子に詰め寄る。そして文句を垂れる。見えないから距離が近くなる。

 互いの息遣いが触れてしまいそうなほどに僕と王子の距離は近い。

 すぐそばの上田信長うえだ のぶながから興奮したかのような荒い息遣いが聞こえてくるが、気にしないことにして、僕は続ける。


「メタルフレームの丸眼鏡なんて、巷にありふれてるし、かけている奴らの大半は流行から三周くらい遅れた薄っぺらいバカだ。奴らと一緒にされたくない。それに、これでは僕の眼鏡への愛を表現できない。却下だ」


 当たり前の理由である。ありえない。こんなチョイスをする奴はバカでアホでチビでハゲだ。……ハゲは悪かった。ハゲと蔑む奴は人間のクズだ。

 そういって眼鏡を返すと、僕の対応を見越していたと言わんばかりに王子は素直に受け取った。もしかしたら意気消沈していた僕への彼なりのジョークだったのかもしれない。

 そして今度は信長が声をかけてきた。


「主の相棒殿とはサイズ感が少々異なるやもしれぬが、これはどうか?」


 信長が手渡ししてきたのは茶色ベースでグラデーションのかかったプラスチック製の丸フレームの一品。相棒に非常に近いテイストのものである。代役としては最高だ。

 僕はそれをかける。すると、気の利く信長がすぐにサイズ調整に移ってくれた。


「信長、最高だ。ありがとう」

「うむ」


 我はそなたを誇りに思う。やはり持つべきは眼鏡好きの友だ。眼鏡好きの友がいればあとは眼鏡だけで良い。

 僕のはしゃぎようを見ながら、信長が続ける。


「そこまで喜んでもらえるなら、我も選んだ甲斐があったな。それはそうと、これは一体どういう状況なのかね」


 信長に加えて、整備が終わったのか王子も僕をまじまじと見てくる。

 スペア眼鏡の用意の早さから察するに、おそらく彼らもデブの尻がドーンでパキッの一部始終を見ていたのだろう。だからこそ、彼らは僕がブチギレていないことに疑問を浮かべているに違いない。眼鏡を粗末に扱うものには相応の報いを。我ら三人、眼鏡同盟の鉄の掟だ。

 彼らは僕に眼鏡への愛を問うているのだ。

 ならば、僕もそれに応えよう。


「諸君、人は眼鏡をかけるために存在する。だが、僕は思う。その言葉の逆もまたありうるのではないのだろうか」


 王子も信長もキョトンとしている。僕は続ける。


「眼鏡は人がかけるために存在する。つまり、充実した眼鏡ライフのために、眼鏡が似合う人を育て上げるのも眼鏡貢献の一環ではないかと僕は思う。みんな、どうだろうか?」

「意味がわからん。続けろ、同士」

「デカチビコンビのデカいデブ、細川珠実ほそかわ たまみに一目惚れした。多分痩せたら超かわいいと思う。だから、僕は彼女をダイエットさせる。タマミのダイエット。マミエット計画だ」

「は?」

「は?」


 僕の素晴らしい発案に二人はポカーンとアホみたいに口を開けている。だからもう一度繰り返してあげよう。


「僕は、きっと、細川珠実を眼鏡が似合うムチムチお姉さんに育て上げる。眼鏡のために、マミエット計画を成功させてみせる!」

「はぁぁぁ⁉︎」

「はぁぁぁ、あ゛ぁぁぁ⁉︎」


 僕の復唱に、二人は揃ってギャグのように驚きの声を上げる。

 だが、王子よりも気の小さい信長はいささか驚き過ぎてしまったようだ。

 驚きの余り、ずるっとコケてしまった。

 そして、運の悪いことに、変に頭を打ち付けたのだろう。ずるっとアレが動いてしまっていた。

 王子の静かな叫びが上がる。


「おい信長っ、しっかりしろ! ズレたぞ! 見えかけてるぞ!」

「あぁぁぁ!!」


 信長が叫びとともに一瞬で、頭に手をやり、熟練の動きでズレを直す。

 そして頭に手をやりながら辺りを見回した後、王子と目を合わせてサムズアップした。

 ひと段落ついたのだろうか。やがて、信長が僕の方を向く。そして同じくサムズアップをしているのだろう。たぶん。

 だから僕もサムズアップして返す。満面の笑みも付け加えて。

 何がきっかけかはわからない。だが、不審に思ったのか、信長が頭を押さえながらこちらに向かって問いかけてきた。頭を押さえながら。あれ、頭を押さえて……。


「おい、メガネ……お前、もしかして、見えてないのか?」


 僕は信長の問いにこくりと首を縦に振る。

 眼鏡の度が合っていない。とりあえず素っ裸が恥ずかしいからかけたのだ。

 視界は依然としてよろしくない。僕はぼやけて一メートル先もクリアに見えない。

 だから信長が僕を見てヅラを押さえながら怒っているかなどわからない。多分怒っていないんじゃないかなぁ……。たぶん、きっと……。


「やはりそうか……。我は、名前を呼んではいけないアレがズレていないかを確認するために、王子に手鏡を借りていたのだ。だから手を前に突き出していたのだ。だから、決して我の頭にサムズアップを要求していたわけではない」


 信長が怒っている。

 どうやら僕は図らずも、名前を呼んではいけないアレことヅラがズレた彼に満面の笑みでサムズアップしていたらしい。とても申し訳ないことをしたと思う。

 だが、信長の頭がテカってたかなんてわからない。僕は見えないのだ。

 ただ、僕は思う。

 僕は友達が大切だ。だから、ハゲは悪口として相応しくない。

 だから、これは不可抗力だ……。


「ぶっっっ!」


 僕は思わず吹き出してしまった。


「貴様、笑うなァ! 元はと言えば、貴様が原因でこうなったんだろうがァ!」


 腹を抱えて笑う。限界であった。


「はははははっ!」


 僕の様子に反応して、信長がツッコミなのか嘆きなのかよくわからない叫びをあげる。


「な、なぜだ、なぜだ……なぜなのだっ⁉︎」


 あの時、僕はほんのちょっと引っこ抜いてみただけなんだ。むしゃくしゃしてやっただけなんだ。本当にちょっとだけ、ちょっとだけなんだ。

 だから僕はワルクナイ。

 昔も、そして、今も。

 僕は友達が大切だ。だから、ハゲは悪口として相応しくない。そう、思う。

 ……ムリ、ツボった。


「はははははっ!」

「だから笑うなァッ!」 



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