第18話 知らぬが仏

 一連の話が終わる頃、調査員プラス一名を連れた忍は、ザナドゥと遭遇した部屋へ再び足を踏み入れようとした。


「あれ?」


 だが、ドアを開けた先に部屋なんて無かった。

 窓も壁も穴だらけなのはともかく、床一面がものの見事に消失している。無防備に足を踏み入れた忍は、そのまま一階まで真っ逆さまに落ちていった。


「何やってんだ、あんた?」


 しかし慣れとは恐ろしいもので、セノビアからの反応も冷たいし、忍がすぐジャンプして元の位置に戻ったところで愛南も男性調査員も眉一つ動かさないのだった。


「ここが、そのザナドゥって自称女神がいた部屋?」

「そのはずだったんだが……な~」


 何事もないかのような愛南に便乗し、忍も平然と話を進めた。

 途中の工場内も損傷が酷く、床がごっそり無くなっていたり、壁が今にも崩れそうだったり、歩くだけでも一苦労だった。今さら部屋の一つ二つ無くなっていても驚かないが、これでは調査のしようがない。調べて欲しかった黒服の死体も、血痕だけ残して消えていた。


「無駄足させちまったか?」

「いえ、そうでもありませんよ」


 忍に答えた男性調査員が、電動の釣竿に小さい液晶画面とバーコードリーダーをくっつけたような機械で、部屋の跡地に向けている。


「なんすか、それ?」

「ガイガーカウンターみたいなものです。大気中の霊子を観測して数値化できるんですが、ほら」


 男性調査員が、三人に画面を見せてくる。『108.88sp』と表示されているが、「ほら」と言われても単位からして分からない。


「簡単に言えば、その空間の異界侵食率を表してるんだよ。120が最大で、それに近づくほど現実が汚染されてるってことさ」


 見かねた愛南が口を挟んでくる。さらに、ゼノビアまで元気よく手を挙げて割り込んできた。


「そして異界の侵食が進むと、魔物デーモンが発生しやすい環境になってしまうんですよね?」

「おおっと! なら、異界の侵食がどうして起こるのかは分かるかな?」

「えっと、生物の負念が場に蓄積すると魔物デーモンが生まれる。魔物デーモンはこの世の存在じゃないから、その場にいるだけで物理法則を歪めてしまう……でしたよね。そうなると別の魔物デーモンの発生を助長して、歪みがますます増大する。だから魔物デーモンを駆除する狛犬われわれがいる」

「正解♪ よくお勉強してるカルディナレくんには花丸をあげちゃおう!」


 愛南が白衣の内ポケットから本当に花丸ワッペンを取り出し、したり顔でゼノビアへ手渡す。

 空気を読んで受け取ったゼノビアだが、彼女の浮かべた笑顔は引きつっていた。子供扱いが嫌いなのか、ノリについて行けないのか。


「んでね~、今回問題になってるのが、侵食を引き起こしている元凶を倒してるにも関わらず、未だに空間が平常化していないことなんだ」

「元凶……ああ、あの物騒なヤツ!」

「いや、おそらく方陣の方じゃないかな? 話を聞く限り、あのデカブツは方陣によって造られた人工の魔物デーモンのようだし」


 ゼノビアの意見に、忍は改めて物騒なヤツが出現した状況を思い返した。

 ザナドゥが方陣を完成させると同時に、死体がネバネバに変質していた。そして他の死体や機械類、工場の建材まで飲み込んだ挙げ句、あの物騒なヤツが生まれたのだった。


「おお、確かにそれっぽいな。けど……あの方陣、丸ごと物騒なヤツに取り込まれちまったぞ?」

「っ!! しのぶくん、そいつの魔晶は!?」

「おう、ここにあるぞ」


 豊満と呼ぶのも生ぬるい胸の谷間に手を入れた忍は、200mlのコーヒー缶サイズもある魔晶を引きずり出した。琥珀色に煌めく決勝は、巨大なべっこう飴だ。

 破格のサイズの魔晶だが、三人の視線はそれより何より忍の胸の方に釘付けだった。特に男性調査員に至っては、両目をいっぱいに開いて凝視している。


「な、何でそんなとこにしまってんのさ!?」

「入るかなって思ったら、案外とすんなり」

「くっ、この男は……っ!? てかデカくね、それ?」

「ええ、目測ですが110センチ──いえ、120センチはありますね!」

「違ぇーよ、馬鹿」


 色ボケする男性調査員をバッサリ切り捨てた愛南は、落ち込む彼を押し退けて魔晶を手に取った。


「そんなに大きかったのか!? カップ数ってどれぐらいなんだ?」

「Lだってよ。んなもん、既製品じゃ合わねえからオーダーメイドして、出来たのがこのチタンフレームとカーボンナノファイバー製のランジェリーよ! 一着10万するけど、これならどんなに暴れても胸が動かねえ」

「胸の話から離れろ! それとしのぶくん、やっぱその体を楽しんでるだろ!? 言っとくけどその姿はアバターとかじゃないからな! 紛れもなく生身の君の体だからな!」

「お、おう……そんな怒んなよ……」


 愛南の剣幕にさしもの忍も冷や汗が出て、ゼノビアと大人しく聞きに回らざるを得ないのだった。

 一息にツッコミ過ぎた愛南は、息を整えてから改めて魔晶を掲げ、日に透かすなどして観察する。男性調査員も機械の設定を変えて魔晶にかざした。


「……しのぶくん、これこのまま持ってっちゃっていい? 換金はこっちでやっとくから」

「おう」


 忍が威勢良く返事をすると、次に愛南はゼノビアの方を見た。


「確か、カルディナレさんって退魔真剣の使い手でしたね。歪みの矯正を頼めますか?」

「ふふん♪ いいでしょう、任されました」


 自信満々に鼻を鳴らしたゼノビアは、左腕を水平に伸ばして力を込める。同時に手首と一体化した弓が出現した。


「さっきもやってたけど、その武器ってどっから出してんの?」

「強いて言うなら私の精神領域かな。イメージの現実化だ」

「イメージ?」


 頷いて、ゼノビアはさらに逆の手に白い尾羽の矢を三本、出現させた。


「集束した霊力にイメージを投影して実体化させてるのさ。まあ、構造が単純な武器しか創れないし、短時間しか実体を保てないがな」


 喋りながら、狙いも付けずに部屋の中へ向けて立て続けに射ち出した。

 ほとんど同時に放たれた矢は、空中の何もない場所で視えない何かに刺さったように唐突に急停止した。そのまま白い光に解けるように消滅する。


「終わりました」


 弓を消しながら振り向いたゼノビアは、鬱陶しさを覚えるぐらいやりきった顔で前髪を掻き上げた。

 その仕草にややイラッとした男性調査員だが、再度検査器を部屋にかざすと計測結果に度肝を抜かれる。


「れ、0.07spっ!? すごい!」

「だから、数値なんて見せられても分かんねえって」

「……怪異の影も形もない数値です」

「ふっ。この程度、どってことないさ」


 ゼノビアはますます得意顔となり、再び前髪を掻き上げた。どうやら彼女のお気に入りポーズらしい。

 一方、忍はちょっとむすっとした様子だ。


「あんぐらい、俺でも出来るし」

「こらこら、張り合わないの」


 そう言って不貞腐れて愛南に嗜められた忍であるが、ゼノビアの腕前には素直に感心していた。


 退魔真剣──。

 それは二千年の歴史を持つ(と自称する)、日本古来より続くとある一族が編み出した必殺剣である。

 術者の精神力を極限まで研ぎ澄ませることによって刀身に破邪の力を宿し、形なき者を斬り邪なる者を滅する。その強力無比な剣を、一族は一子相伝で繋いでいた。

 しかし! 強力過ぎる技が災いし、時代とともに技を継ぐものが減少っていった。なにしろただの木の枝ですら退魔真剣の使い手に掛かれば鋭いナイフに早変わりし、石つぶてに砲弾にも匹敵する威力を持たせる。練習中の死亡事故が後を断たず、ある代でついに後継者が途絶えてしまったのだった。

 これはイカンと焦った当主は方針を転換し、間口を広げて弟子を募集し始めたのだが、これが功を奏した。

 時を同じくして狛犬制度が発足し、強力な魔物デーモンと戦う力を欲した者が大勢門下に加わったのだ。

 現在はいくつかの分派も生まれ、退魔真剣は日本で最もメジャーな退魔術として一般人にまで知れ渡っていた。


 ゼノビアも数多くいる退魔真剣の使い手の一人であるが、どうやらその実力は大きく抜きん出ているようだ。特に、イメージの実体化など並の使い手に出来る芸当ではない。

 愛南と男性調査員に請われて、ナイフや槍などを出したり消したりしているゼノビアを一歩外から眺めていた忍は、突然真顔になって彼女に呼び掛けた。


「ゼノビア」

「へっ──ひ、ひゃいっ!?」


 凛々しく引き締まった顔の忍に、ゼノビアの声が上擦った。


「この後、時間あるか?」

「じ、時間!?」

「暇だったらよぉ……ちょっとデートしようぜ?」

「で!?」


 忍の口から飛び出した予想外の単語に、ゼノビアの顔から首から真っ赤に染まった。熱くなった顔を隠すように両手で頬を抑え、堪らず俯いてしまう。


「うわぁ……」


 何を言い出すんだと忍の顔を見上げた愛南は、長い付き合いから即理解した。忍が言った『デート』とは、一般的な色っぽい意味では断じてありえない。

 何故なら、忍は地獄の悪魔も戦くような、口許が耳まで裂けたような凄惨な笑顔だったのだ。

 そのあまりの凄みに、直視してしまった男性調査員が無言で腰を抜かしたが、音に反応して動く花の玩具のごとく身悶えしているゼノビアが、忍の笑顔に気付くことはなかった。

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