陽だまりとハンバーグ

umekob.(梅野小吹)

PROLOGUE - きみとの約束

第1話 オムライス


 ふんわり、まあるく焼きあがった黄金色の輝き。お洒落な白いフライパンからするりと滑り落とされたそれは、薄橙色に色付いたチキンライスの上にバウンドし、ふるんと柔らかそうな表面を震わせる。


 真っ白なお皿とチキンライスの上に乗る、まあるくて、柔らかそうなそいつ。ほかほかと湯気をまとう本日のメインディッシュは、今まさにその輝きを作り上げた彼の手によって丁寧にテーブルへと運ばれてきた。



「はい、出来た。オムライス」


「……ふわあ……!」



 思わずじゅるりとよだれがこぼれそうになり、私は慌てて口を閉じる。気を取り直して再び目の前に置かれたオムライスを見下ろした私は、つい胸を高鳴らせた。


 だって運ばれてきたそれは、私の知っているオムライスではない。よくある薄焼き卵でご飯を包んだアレではなくて、なんだかオシャレなレストランで出てくるような、まあるい大きな卵のかたまりがご飯の上で黄金色に輝いているそれだったんだもの。


 まるで子どものように目を輝かせている私の正面で「何その間抜けな顔」と笑っている彼は、一旦きびすを返し、そしてまたすぐに戻って来た。


 その手には色鮮やかな野菜が宝石のように散りばめられたサラダと、美味しそうな匂いのする小鍋。



「有り合わせで作った。デミグラスソース」


「……えっ、オムライスってケチャップで食べるものじゃないんですか?」


「ケチャップがいいならそれでも良いけど?」



 彼は小鍋を持ったまま、「どっちにする?」と問い掛ける。私はじっと小鍋を見つめた。ふわりと漂う湯気から香るソースの香りに、思わずごくりと喉が鳴る。



「せ、せっかくなので、デミグラスソースで……」


「ん、おっけ」



 ふっと目尻を緩めて、彼は小鍋を傾け、デミグラスソースをまあるい卵の周りにとろりと垂らして見せる。黒く輝くソースがチキンライスを囲うように広がって、ぐう、と私のお腹は素直に音を立てた。


 この匂いは何だろう。バターかな?

 勝手にお腹が空いちゃう、魔法みたいな匂い。



「フォークがいい? スプーンもいる?」


「あ、えと、うーん……! フォークだけで大丈夫です……!」


「ん」



 何もかも頼りっぱなしの私に嫌な顔一つせず、彼はてきぱきとカトラリーケースにフォークとスプーンとお箸を入れた。ああ、フォークだけでいいって言ったのに、と焦燥するが時すでに遅し。彼は気遣いまで完璧なのだ。その後、彼は取り皿と自分の分のオムライスも運んで来て、ようやくその忙しい足が動きを止める。


 お洒落な木製のテーブルと、丁寧に敷かれたテーブルクロスの上に並べられた、彩りも見た目も鮮やかな料理たち。写真を撮ってSNSにアップする訳でもないのに、彼はいつも、並んだ料理の見た目にまできっちりとこだわってから椅子に腰掛けるのだ。



「いただきます」


「いただきます!」



 今か今かと待ちわびた私は彼が手を合わせるのと同時に、いやむしろ食い気味に声を発して、カトラリーケースの中のスプーンを握った。……あ、結局スプーン使っちゃってる。まあいいか。

 彼はそんな私を呆れたように見つめた後、黄金色に膨らんだ卵のいただきに銀のスプーンを差し込んで切れ目を入れた。


 とろり。


 割れた卵の中身は待ちわびていたかのように半熟状態のままトロトロとしたたり落ちて、下に敷かれたチキンライスを覆い、黄色い輝きで蓋をする。ああここで初めて、彼のオムライスは完成したのだと私は理解した。



「た、食べても、よいでしょうか……?」



 ふと、不安になって問い掛ける。顔を上げた彼の表情は、やはり呆れ顔。



「いや、食えよ普通に。遠慮とかしなくていいから。そういうなんだし」



 ──約束。


 そう、私たち二人は、ある「約束」を交わしているからこそ──今ここに座っている。それはひどく単純で、けれど難解な、よくわからない約束だった。


 そもそも私は、目の前の“彼”の事をよく知らない。親戚ではないし、友達でもないし、もちろん恋人でもない。彼について知っている事と言えば、髪が黒くて、緩めのパーマがかかっていて、顔と目付きはちょっと怖くて、ついでに態度もちょっとだけ怖い、だって事ぐらい。


 ……ああ、あとそれから。



「……っ、おいふぃ!」


「ふはっ……、口一杯に頬張って喋んなよ。リスかよお前」


「でも、これ本当においしっ、ごほ!」


「あー、ほら、喉詰まらせてっから。飲み込んでから喋れ」



 呆れたように、でも少し嬉しそうに彼は笑って、私に麦茶を手渡してくれる。


 そう、私が彼について知っているもう一つの事。それは、彼の作る料理がとっても美味しい、という事だ。



「……お前いつも感想、美味しいってそればっかだな」


「だって、美味しいから……」


「……あっそ、そりゃどうも」



 彼は首の後ろを掻きながらそっぽを向いた。照れているのかな、なんて考えながら私は麦茶で喉を潤し、多分照れ隠しに目を逸らし続けているのであろう彼の横顔を見つめる。


 親戚でも、友達でも、恋人でもない──ただ偶然、アパートの部屋がお隣同士だっただけの私と彼。

 そんな私たちが、ひょんなことから交わしてしまった、とある約束。


 それは本当に単純な口約束で、


「毎日一緒に晩ご飯を食べる」


 という、ただ、それだけ。


 どうして私たちがこんな約束をすることになったのかと問われると、どこから説明すればいいのか少し迷ってしまう。けれど私たちは本当にただの他人で、お互いのことを全然知らなくて、これからもきっと、それ以上も以下もない。と、思う。


 そんな私の独り言に、これから少しばかり付き合ってはくれないだろうか。もちろん彼の作る美味しいご飯のことも、たくさんお話したいと思っているから。


 私はふんわりとろける黄金の輝きに銀のスプーンを差し込み、デミグラスソースと絡めて、ゆっくりと口元へ運ぶ。そしてまた繰り返すのだ、いつもと同じ台詞を。


 きっと彼はまた、照れてしまうんだろうけど。



「うーん、美味しい!」


「……何度も言うなよ、分かったって」




 .

〈本日の晩ご飯/オムライス〉

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