第19話 御伽話

 その森には美しい竜が暮らしておりました。竜は美しいルビーの鱗にエメラルドの瞳、黒曜の爪を持っておりました。

 森には竜の他に多くの生き物がおりますが、森で暮らす竜はただ一匹しかいません。竜は群れを作らない気高い生き物なのです。

 美しく強大な竜は森の王です。数多の魔物の暮らす森を竜がたった一匹で治めていました。


 ある日、森に武器を持つ人間の若者がやってきます。生きるために森で暮らす魔物を狩りにやって来たのです。竜は深い森を何日もかけて歩く若者を見つめながら、もしもあの武器が竜に向いたなら、炎を吐いて追い払ってやろうと考えます。

 決して命を奪う気はありませんでした。なぜなら竜は賢く、人間よりもはるかに大きな力を持っていたからです。竜にとって人間の若者など取るに足らぬ存在でしかありませんでした。

 それに知っていました。この世、とりわけ魔物の生きる世界は弱肉強食であり強大な力を持つ竜以外の生き物は生きるために他の命を奪わなければならないことを。

 しかし、どういうわけでしょう。武器を持つ若者は森で長い月日を過ごしても竜を狩ろうとはしませんでした。

 ときおり人を襲う魔物を斬ることはあっても、決して自分から武器を振るおうとはしません。


「お前の武器は何の為にある。単なる飾りか、それとも使い方を知らぬか」


 久方ぶりに浮かんだ好奇心には抗えず、ついに竜は若者の前に姿を現して問い掛けます。強大な竜を前にすれば、若者も恐怖から武器を構えると竜は考えていました。

 しかしどうでしょう。若者はやはり剣を構えずにあろうことか竜へ、笑いかけるのです。


「いいえ。私は剣の使い方を知っております。この剣は何よりも鋭い刃を持つ、自慢の剣でございます。もちろん飾りなどではございませんよ」

「ならば何故だ」

「この剣は殺すためでなく、守るために振るわれるものだから」


 若者の手の中で武器が白と金の光を放ちます。それに照らされる若者が竜には、何よりも眩く美しいものに見えました。


「面白い人間もいるのだな。いいだろう、我が森で生きることを許してやる。人間よ、名前は何という」


 長い金色の髪が武器の光で一層の輝きを増すようでした。若者、美しい娘は微笑みを浮かべて、名前を告げました。


 竜と娘が愛し合うのに時間はかかりませんでした。



 竜は永く微睡んでいた。目を覚ましたとき体は重く、日の差さない地下深くに縫い留められていた。

 そして隣に愛する娘はいなかった。

 自分の体の上で数え切れない人間が息づいているのにはすぐに気が付いた。地上の人の生活する微かな振動から街で起きる何もかもを竜に把握させた。

 小さき人の鼓動など竜にはどうでもいいことだった。竜を煩わせるのはいつだって、愛する娘の存在だけだった。

 しかし、娘はどこにもいないのだ。

 分かっている。ずっと理解していたことだ。小さき人に過ぎない娘を愛した瞬間からわかりきっていたことだ。

 だからこそ、竜は自ら鱗を剥がし、爪を抉り、人になろうとしていたのに。結局は娘とともに死ぬというささやかな願いすら叶わなかった。娘の父に殺され、それでもただ一人きりで残されることさえなければいいと、死を受け入れたのに。死ぬことすらも出来なかったのだ。


「あの、どうして私をそばに望んだのですか?」


 赤い髪の娘が震える声で囁いた。娘に言葉を返さず地上の様子に耳を澄ませる。あのとき、赤髪の娘とともにいた金髪の少年に浮かんだ紋を見たとき、竜は歓喜した。

 金色の髪が、かつて娘の持っていた白と金の光に照らし出されて……。あの武器であるなら自分を殺せるという確信があった。


 死ねば喪失の苦しみから解放される。


 愛する者のない生に竜はいくらの望みも持ちはしなかった。

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