第5話 具現化1

 時刻にして午前0時。今日が終わって明日に差し掛かった土曜の夜は、今朝の行方不明事件のこともあって市街地も人気がなく、夜の暗闇とともに静けさが漂っていた。とりわけ街灯のない道中は、もはや黒化していてそこに潜む者を見えなくさせる。人目に気づかれにくい夜は、正しく彼らの世界へと一変させるのだ。


「あー、この身体を依り代にしたのは正解だったな」


 そう呟く人間の姿をしたニンゲンは、息絶えた女性の食事を再開する。


「ぐちゃぐちゃ、くちゃくちゃ、くちゃ、くちゃ、くちゃ」


 汚い咀嚼音が先行する中、男はえずきだす。


「おえっ。それにしても人間ってのはまずいもんだ。だが、半分以上喰わなくてはこの身も手に入らない。はあ、不味い。こんなもん、全部喰えるわけないだろ」


 着物を剥がされ、頭と胴だけになった女性の遺体。男は食事を中断すると、裂けた顔と胸部を失った胴を抱きかかえ、深い闇へと消えていった。


――――――


 夜が明け土曜の朝になる。


「うわ、いい天気だな」


 カーテンを開いた零を待っていたのは、外に出なくても暑さが伝わってくるほどいい天気だった。


「よし、頑張ろう」


 昨晩の不安とは裏腹に零の心境は、やる気と決意に満ちていた。こんな何もない自分にも何かに取り組めることがあったんだと単純に思えてしまったからだろう。しかし、本当の自分がどうだったかと言われても、今の零にはわからなかった。

 ほんの芽生えた多少の違和感をこれ以上考えることなく、いつもの制服姿の恰好で、昨日約束した市街地に向かった。商店が建ち並ぶ通りにはすでに、神島さんの姿があった。初めて会った時もそうだったが、神島さんは、天使の象徴として知られている袴を履いていて、薄い蒼に風が靡いたような模様が彩られた着物に、紺色の袴と革製のブーツは、とてもしっくりくるぐらい似合っている。


「おはようございます」

「ええ、おはよう。さあ、行きましょうか」

「その、何処に?」

「何処に? って決まっているわ、鍛錬場よ。案内するからついてきなさい」


 言われた通り彼女の後を黙々とついていき、市街地を抜け、誰も立ち入らないであろう獣道に入ってから数分が経つ。


「あの、こんな人工物だらけの森の中にあるんですか?」

「心配せずとももうすぐ着くわ」


 今、零が歩いている上は、かつて車が走ったとされる高速道路であり、コンクリートを突きぬいて生えた根や草によって森の一部になっていた。そんな人工と自然が合わさりあった場所を抜けた先に、鍛錬場はあった。四方を囲んだ塀が待ち受けていて、塀を越えると一つの白の鳥居が零を迎え入れていた。


「此処が私の鍛練場よ」


 学校や住宅街に商店街といった、活気に溢れた市街地とはかけ離れたところに、ぽつんと身を隠すかのようにそれはあった。塀の中にある立派な武家屋敷は、正面からでは全ての全貌は分からないほど大きい。

 中に入ると、無駄に長い廊下があって、左右の襖には何処に繋がるのだろうか、幾つもある。成長途中の子どもである零は、自分の立場を忘れて好奇心に掻き立てられる。


 その襖の一つに手をかけた神島に案内された部屋は、道場であった。十五畳の畳で敷き詰められた道場には、木刀、鉄刀の鍛錬刀のほかにも巻藁が積まれており、まるで戦国時代にタイムスリップしたようだった。零がそんな道場場に圧倒されていると、神島の手にはもう一つの袴が用意されていた。


「これが天の袴。神のご加護を纏った特殊な衣服で、特徴としては軽やかな割に丈夫。天使の潜在能力の具現化に連動して、必要に応じて鎧を身に纏うことができるわ」


 そんな服装では鍛錬ができる恰好ではないと、神島に袴一式を渡され、履き方を教わる。


(こんな感じなんだ)


 彼女のお下がりだろうか。サイズはピッタリだった。はじめて履いた袴は彼女と同じ紺一色で、白い着物には淡い青色の籠目模様が入っていた。袴に新鮮味を感じながら周囲を見渡す。


 至る箇所にある畳のほつれや使い古された幾つもの鍛錬刀を見れば、日々の鍛錬に励んでいたんだと誰が見ても分かる。


「さあ、はじめるわよ。まず、私が手本を見せるわ」

「あ、はい。お願いします」


 零を道場の真ん中に促すと、神島は神棚に一礼する。次に彼女は静かに瞑目し集中力を高め始めた。すると袴の上から鎧が具現化され、それと同じように右手にビシビシと閃光を灯しながら剱が具現化された。彼女のようにとても綺麗な光沢のある日本刀であった。


「天使は皆当たり前のように剱を出現できるから、教えることなんて剱術ぐらいだけれど、コツとしては意識を腕に集中し精神を落ち着かせて、魔力エネルギーを一定数放出し続けること」


 淡々と要点を説明してくれるけど、まるで言語の違う人と会話をしているかのようだった。そもそも言語の壁という常識的な問題は努力を繰り返せば克服できると思うけど、剱の具現化は、非現実的過ぎて努力とかいう問題以前の話にも聞こえる。


(何を言っているのかさっぱりわからない)


「……私にできますか?」

「それは貴方次第ね」


 うん、確かにそうだ。自分にはできないという認識が強いだけで身体はあの日から少なからず違うと思うから。だから自身の身体を信じるしかない。言われたとおりやるしかない。


「頑張ります」

「では、此処に座ってやってみなさい。剱の具現化ができれば、その袴は貴方を天使として認識し、自分の意志で鎧を纏えるわ」


(さっき、神島さんに言われたように、腕に全集中を。心に落ち着きを)


 しかし、時間だけが過ぎていく。零は何度もやっているが具現化する予兆は微塵も感じない。


(全くもってできると思えない。けど感覚さえ掴めれば、努力を入り込ませる領域が生まれるはず)


 諦めず静座し直し、心を落ち着かせ、自身に言い聞かせる。


(腕に集中、腕に集中っ――)


 それでも神島さんに見られているせいか、腕に意識しすぎているせいか、身体に余計な力が入って心の平然さを取り乱す。結局、二時間を経過して完全に集中力が途切れてしまった。そんな零にやっと天使の女性は助言を呈す。


「それじゃあ無理だわ。雑念が入り混じっている。それと腕に意識を持っていくのはいいけれど、脳で指令せず、無意識に腕に意識を集められるようにならないと駄目だわ」


 アドバイスだと思って聞き零さず入念に耳を傾けたのに、又もや難しいことを言って来る。


「むぅ、中々、難しいです」


 神島も眉を歪ませ今の説明では難しいと思ったのか端的に助言する。


「まず、雑念を消すことに専念しましょう。そうね。下半身を揺らして重心を探してみるといいわ。安定すると思ったところが貴方の重心よ」

(重心を……)

「そして、目を瞑って姿勢と呼吸を整える」

(姿勢と呼吸を……)


 零は、神島の的確な助言と指示に素直に従う。分からないことだらけの零にとって彼女だけが頼りである。そのうえ、できなければ殺される相手もまた彼女である。生かすも殺すも彼女の決断で決まるのなら零は、彼女の助言を忠実に守り必死にやり遂げるだけである。言われた助言を頭に叩き込み身体に感覚を植え付ける。


 静寂な空間で静かに深呼吸をする。暗闇の中で心臓の鼓動を感じ取りながら手足の重さ、無意識に力が入っていた箇所が自然となくなる感覚がある。しかし、すぐに安定していた精神の落ち着きは次第に崩れていき、集中力は再び途切れた。


「はあー。続かない。でも何だか少しつかめた気がします」


 今回、自分に足りないものは、持続力である。それでも初めて掴んだ感覚は、誰にとっても初めての感覚で、それは普段から意識せずに行っている動作とは違い、非常に不安定で落ち着きようのない子どものようだ。


「今ので十分だわ。慣れてきたのなら次第に時間を延ばして、集中力と持続力を高める。まずはそれを繰り返すことね」

「はい」


――――――


 翌日も同じく神島の修練場に通い鍛錬を積む。感覚が掴めればひたすらそれを繰り返し、当たり前にできる動作として慣れさせるだけだ。そうこうしてようやく雑念のない瞑想ができるようになってきた。そんな零を、神島は次の段階に促す。


「中々様になってきたわね。次は瞑想しているときの呼吸の意識を腕に持っていく。そして、意識的にも無意識的にもしている呼吸の在り方をまねるように、腕への意識が無意識にできればいつでも剱を具現化できるわ」

「頑張ってみます」


 昨日同様、言われたことをひたすらやり抜く。


(習得は難しいと思っていたけれど彼女の魂が宿っているからかしら? それなりの才能と可能性はあるわね)


 傍らで見ていた神島は零の頑張りと才能に驚きを感じつつ、あの時の懐かしさを感じていた。


「……」


 神島は、すぐさま過去の思い出を置き去りにして、今目の前にいるその子に向き合う。


(はあ、そんなに殺されるのが嫌なのね)


 そうこうして今日の鍛錬は夕方ごろに終わりを迎えた。たった二日間でまともな感覚を掴めたことに自信と充実感を覚えた零は、帰宅してもなお自室で鍛錬に励んでいた。そんなこんなで鍛錬漬けの休日は、平日へとバトンを渡した。

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