第15話 狂気、決着
「──作戦は以上だ」
最低限の指示と、省略化した内容の伝達。そこにクライとの問答はなかった。
それは、いまでもその身を盾にしてくれているクロちゃんの状態が長く続かないことを、お互いに理解していたからである。
「さっきも言った通り、これは魔力の流れを知覚できるおぬしにしかできんことだ。心してかかれ」
「……はい。わかりました」
『ぶ、ひぃ……っ』
二人が最後にそう交わしたところで、遂にクロちゃんの黒い肉壁が、ずしぃんっとその場にへたり込む。
限界が、訪れたのだ。
「ようやく、鬱陶しい視界が晴れましたね」
倒れたクロちゃんの向こう側では、一仕事を終え、仰々しく諸手を広げる、ダンデの姿があった。
「さてさて、どうですか? そこの魔物が八つ裂きになっている間、なにか良い策は浮かびましたか?」
「どうだろうな。あれば、こちらが教えてほしいくらいのものだが」
「そうですね……こちらの標的はクライさんだけですので。彼女さえ差し出してくれれば、貴女やルディさんは正直どうでもいいのですよね」
「……つまり、この娘を引き渡せば、余は見逃すと?」
「そうお伝えしているつもりですが?」
言われて、ラストの視線が流れ、クライを一瞥する。
確かに、この戦いの始まりはクライを始末するということから始まった。
つまり、そもそもな話、ラストがわざわざ身体を張るほどの義理など、どこにもないのだ。
「あの、ラストさ──」
「くっ、くっくっく……くっははっは!」
思い至ったクライが声を掛けようとしたところで、ラストは盛大な大笑いを吹き出した。
なにが可笑しいのか。
ダンデもまた眉をひそめて、土埃と傷にまみれた、黒ドレスの少女を眺めていた。
「よもやだ。よもや、その程度の脅しで。余が尻尾を巻いて逃げるとでも思ったのか? くっくっく、これはとんだお笑いぐさだ」
「ふむ。では、貴女はここでその娘と心中するつもりだと?」
「これ以上笑わせるなよ、小僧」
喉を震わせながら、ラストが不遜に言い放つ。
「よいか。余は余の味方をする者の味方だ。そして、その味方のためならば、余はどのような責も負い、どのような裏切りも受け容れ、どのような手を使ってでも、余の味方をする者を守り通す。それが余が
「あやつ……?」
疑問に首を捻るクライへ、再びラストの赤い瞳が向く。
熱い情熱と厚い信頼に染まった眼差しは、僅かながら動揺していたクライの心を落ち着かせる。
「ここでおめおめと逃げ去ることは、余の矜持と盟約に反する。よって、この者を放って余が逃げることはあり得ぬ。たとえ天地が裂けようと、偉ぶった神どもが何を宣おうと、な」
「分かったか、この生臭坊主が」と、ラストは豪語した。
その変わることのない、気高く力強い風格は、クライを奮い立たせるには充分であった。
「くだらない。そのような情に絆され、貴女はその命を投げ捨てるのですか?」
「ハッ、くだらぬのはどちらだろうな? 神のお導きだの託宣だの、目にも心にも映らぬ、誰ぞ知らぬ者の空虚な言葉に踊らされ、操られるおぬしらの方が、よっぽどつまらぬ生き方をしているように、余には思えるがな」
「なん、だと……?」
ダンデのその地を這うような低く、悍ましい声を聴いたのは、二度目であった。
だからこそ、分かる。
いまラストは、神父の狂気なる琴線に触れたのだと。
「……いいでしょう。もはや問答は無用です。どうやら貴女方も、まだまだその気のようですしね」
「くくっ、察しの良すぎる男も考えものだな」
はぐらかすようにラストが喉を震わせると、今度は真剣な眼差しで、クライを見詰めた。
「──頼んだぞ。剣聖」
ただ、一言。
事前に全てを伝え終えていたラストからの、最後の激励。
まだ出会って一月程の付き合いである彼女だが、彼女の言葉はどれも強く、一切の偽りがない。
故に、曇りのない彼女にならこの背中を預けられると、クライは確信した。
「……はいっ!」
クライは頷いて、倒れ伏すクロちゃんを窺う。
よかった。微かだが息はある。
ラストの言っていた通り、防御魔法と分厚い剛毛のおかげで、致命傷には至らなかったようだ。
「……まったく、なにをそんなに盛り上がっているのか。よほど策に自信があるようですね?」
「自信なんてありません。ただ、ここで負けたら死んでしまうから。わたしを信じてくれた人が、わたしを支えてくれる人の思いが、ここで死んでしまうから」
「だから」、と、クライは立ち上がりながら、小さく、力強く呟いて。
傷と流血にまみれた身を低く落として、聖剣を構えた。
「わたしは必ず、あなたを倒す」
「ははっ、まるで剣聖のような語りぐさですね」
クライの口上を一笑に付しながら。
ダンデもまた大仰に、白く輝く宝剣を天に掲げて、宣言した。
「いいでしょう。では、その崇高な決意諸共この執行神官たる私、ダンデ・ラウレンティウスが天に召して差し上げます!」
≪勇気≫と≪狂気≫。
互いの強い意志がぶつかり合い、空間が一気に張り詰める。
ピリピリと表皮を焼くような、鋭い殺意に中てられながらも。
やがて、その緊張の火蓋は切られる。
「──行きますっ!」
掛け声は、自身を奮い立たせる、まじないとして。
クライはまたダンデ目掛けて、一直線に駆け出した。
「ははっ、また最初と同じ突進ですか! どこまでも能がない!」
それを見るなり嘲け笑ったダンデが、無情に掲げた宝剣を振り下ろし、斬り上げ、再び縦に落とす。
計三つに渡る、不可視の斬撃。
空間を伝播する剣圧は、どれもが必殺の一撃である。
「神の導きのもと死ね、クライネス・クライノート!」
死の宣告と共に、迫り来る三本の刃を感じながら。
クライは足を止めることなく、さらに死地の奥へと踏み出し、手に握る剣を身体の前で三度、振り払う。
すると──……ギィンッ、ギィンッ、ギィンッ、と。
立て続けに、甲高い金属音が鳴り響き、クライの身体が視えない衝撃に揺れる。
「なっ、あの斬撃を払った……っ⁉」
驚愕に、ダンデは丸眼鏡の奥にある細い目を見開く。
「まさか、見えているのですか……?」
「いえ。見えてはいません。ただ、感じるんです」
しん、と。
心を静め、この身体に伝わるすべての感覚、全神経を集中させる。
それは、奇しくも闘気を扱う時と、全く同じような要領で。
「その視えない斬撃の正体は、宝剣から無尽蔵に溢れ出す高出力の魔力を、圧縮して放つ、魔力のエネルギー波ですね」
「なっ……⁉」
クライの指摘に、ダンデは分かりやすく動揺した。
魔力は、魔法という元素や現象へ変換する以前のエネルギー体そのものであるため、エネルギー波として放つこの魔力の斬撃は通常、視認することはできない。
だが、魔力コントロールの極致である<闘気>を扱うクライであれば、例外となる。
「これだけ高出力で圧縮された魔力。自分の魔力をコントロールするより、よっぽど簡単に感じ取れる」
体内を巡る魔力に向き合い、触れ続けた彼女だからこそ。
その宝剣から溢れ出す魔力の揺らぎを、エネルギーの流れを、肌で知覚することができた。
それに勘付いたのは、ラストとクロちゃんを身を挺して守っていた、あの時で。
その一部始終を目の当たりにしていたラストが、より事象を詳らかにし、クライに理解させたのだ。
「わたしに、その攻撃は通じない」
「くっ、往生際が悪いですよ!」
そう叫んで、ダンデは怯むことなく、向かい来るクライへ魔力の斬撃を放ち続ける。
クライもまた疾走しながら、これらを剣で捌くも、所々で打ちもらした斬撃に皮膚を裂かれる。
「くっ……!」
鋭い痛みに、表情が歪む。
感じるからと言って、完全に形として視えるわけではない。所詮は大まかな予測の範囲を出ない。
かと言って、受けに回ってしまえば、先程の二の舞になる。
だからこそ、クライは立ち止まらない。
最速、最短を目指して。
回避も最小限に、致命傷となる部位のみを剣で守り、死が迫る不可視の緊張感の中を、駆け抜ける。
「ははっ、驚きました! ここまでとは!」
捨て身の特攻を仕掛けるクライに、ダンデは驚嘆と称賛を綯い交ぜにして嗤った。
「ですが、近づいてどうします⁉ 接近戦でも貴女は私に及ばないっ!」
すぐそこにまで迫るクライを認めて、ダンデは斬撃を飛ばす中距離仕様から一転、接近戦に臨む姿勢を整える。
宝剣によって超強化されたダンデの身体能力は、先刻にラストと話した通りだ。
剣技以外の全ての要素で劣る相手に、まともにやり合って勝てるはずもない。
それを重々承知の上で、クライは何の迷いもなく、
「<闘気・纏>ッ!」
闘気による一瞬の加速。
強引なチェンジオブペースで、ダンデの懐へ向け、肉薄する。
「その程度の加速で、この私が遅れを取るはずが──!」
「≪それは影の使徒、闇の底から這い出て、彼の者を縛り捕らえよ≫!
そこへ掛けて、ラストの束縛魔法が展開される。
それは同じ魔法でも、先程とは拘束力がまるで異なる。
四肢どころではない、影から伸びた無数の手が、ダンデの全身に絡みつく。
「なっ、これは……!?」
「ごふっ……くくっ、詠唱を一節多くした誓約による強化だ……そこに、いまの余が持つ、全ての魔力を注ぎ込んだ。流石の馬鹿力でも、ほんの少しくらいは封じれるだろう……?」
そう歪めた口から吐血しながら、ラストは思いの丈を乗せて、叫ぶ。
「いまだ。行け、剣聖!」
「はいっ!」
死地から一転。
訪れた千載一遇の好機に向け、クライの踏み込みがより疾くなる。
ここまで作戦通り、完璧に事を運んでいる。
あとは、決め手となる、一撃のみ。
──決めるっ!
「こんな、ものオォォォッッ!」
だが、ダンデの底力は二人の想定を上回った。
ブワァッ、と。
全身から噴き出した大量の魔力によって、取り巻く影の手を吹き飛ばすダンデ。
それは、魔力をコントロール下に置いた闘気とはあまりに対極的で、暴力的で、宝剣から供給される無尽蔵な魔力あってこそ可能な、荒業であった。
「あと一歩、あと一歩が足りなかった! 実に惜しく、危なかったですよ! クライさん!」
「──、っ!!」
すでに懐まで侵入しているクライであるが、足りない。
膂力と魔力の差から、しっかりと振り切らなければならないクライと、雑に振り払えばよいだけのダンデとでは、攻撃モーションに明確な差がある。
一歩……あと一歩、早ければ……!
『よ(い)いか、クライ』
その時だ。
唐突に、かつて最も尊敬した老兵と、この世で二番目に大嫌いな青年の声が、重なって聴こえた。
『闘気を習得する際、【纏】【操】【極】【瞬】の順で行うが。その実、体得しやすい順序は逆だ』
『単純な話、本来流れているものを留める【纏】は最も難しく、その点、瞬間的に魔力を放出する【瞬】は普通の人間でも時折見掛けられる、火事場のなんたらというやつだ』
『では、なぜわざわざ難しい方から習得すると思う? なに、これも簡単な話だ。それを意識的に行えるかどうか。そこに意義がある』
『なにせ闘気は、魔力を完全に制御した状態のことを言うのだからな』
遠い記憶と、新しい記憶が交錯して、二人の微笑みが重なる。
ああ、そうだ。
どうして気付かなかったのだろう。
性格の悪そうな三白眼に、頬の三本傷。加えて、ボサッとした剛毛な白髪。
闘気の話でも、一言一句が重なる。
師弟であったとは云え、そんなこと、ありえるだろうか?
いや、そもそも。
この手の中で看取ったあの日、師は言っていた。
──世界でたったひとりしかいない最っ高の弟子──
どうして、忘れていた。
どうして、気付かなかった。
走馬灯のように駆け巡るクライの記憶が、心が、確信に近付く。
こんなときだというのに、嬉しくて、たまらない。
「お師匠、さま……?」
「死になさいっ、剣聖クライネス・クライノートッ!」
ダンデの凶刃が、歓びに震えるクライへ向け、容赦なく振るわれる。
せっかく、再会したのだ。
せっかく、また師弟となれたのだ。
ならば、もう一度。
あの人をお師匠様と呼ぶまで。呼ぶために──……ここで、倒れるわけにはいかない。
「──〈闘気・瞬〉ッ!」
刹那、踏み出したクライの身が、足下から弾ける。
それは、本来であれば最後に習得するはずの、最も簡単な〈闘気〉の型。
魔力を瞬間的に放出し、爆発的な加速で足りなかった一歩を、埋める。
「ハッ──!?」
想定を超えたクライの加速に、乱雑に振り下ろしたダンデの宝剣は空を切る。
そこで、懐の奥深くまで潜ったクライが、勝利の光明を見据える。
狙うのは、必殺の一撃ではない。
勝負を決める、会心の一撃。
つまり狙うのは、宝剣を持つ右腕──!
「はあぁっ…!!」
裂帛の気合と共に、カウンターの要領で下段から上段へ。
すべての思いを込めたクライの一撃は見事、宝剣を持つダンデの右腕を斬り上げた。
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