第9話 再び、師匠となる


 次の日。

 ルドルフは早速、クライのいる門番の待機所まで足を運んでいた。


「ハッ……! ふっ! せいっ!」


 ひゅんひゅん、と、鋭い風切り音を鳴らして鍛錬に励むクライの姿。


 まだ日が出て間もないというのに、懸命なことではあるが。


「……無闇やたらだな」


 その光景を、ルドルフは厳しく断じた。


 単純な体力はつくだろう。

 だが、なんの工夫も意識も見られない繰り返し動作はやがて作業となり、その疲労感から、達成感だけを得ることになる。


 技術というものは、意識して取り組むことで、初めて身に付くものなのだ。


「さて、どうしたものか……」

「あれ、ルディさん?」


 それをどのように伝えようかと考えていたところで、先に気付いたクライが訓練の手を止め、ルドルフの方へ振り返る。


「どうしたんですか、こんな朝早くに?」

「あぁ、いや。少し日課の散歩を」

「そうですか。ふふっ、なんだかお爺さんみたいですね」

「そう、かな……」


 ハハハ、と、思わぬ指摘にルドルフは乾いた笑いを漏らす。


「クライさんこそ。こんな朝早くから修行とは、精が出ますな」

「クライでいいですよ。わたしにはこれくらいしか、できることがないので」


 剣を握る手に視線を落としながら、クライは弱々しく言う。


「昨日はありがとうございました。おかげで山賊から村を守ることができました」

「大したことじゃない。それに一味の大半を片付けたのは、紛れもなく君だ」


 ルドルフの言葉に、クライは首を横に振る。


「いえ。どちらにせよあそこで敗れた時点で、わたしだけでは守れなかった。この村の門番なのに……」


 不甲斐ない、と。

 彼女は、剣の柄を強く握りしめる。


「その点、あなたは強い。恐ろしいほどに。まさかあの男を、あんな倒し方するだなんて」


 デコピンひとつで人が吹き飛ぶところなど、まぁ見る機会はないだろう。


 我ながら今の自分が如何に人並み外れた存在かを再認識させられる。


「……ルディさん、あなたは一体何者ですか?」


 あのとき聞けなかった続きを、彼女は改めて訊ねてきた。


「あの時、あなたが使った技に見覚えがあります。きっとそれを肌で感じた者なら、誰もがある人物を思い浮かべる、御業です」


 じっと、凛々しい視線がルドルフをまっすぐに捉える。


 技一つで、その背景まで見通す。それだけの時間を共にしてきたのだ。

 この事に置いて、見え透いた嘘は彼女に通用しないだろう。


(……ヘタなごまかしは利かぬか)


 であれば、と。

 ルドルフは意を決して、口を開く。


「オレは、【戦狼ワーウルフ】ルドルフ・フォスター──……その、もうひとりの弟子だ」


 そのまさかすぎる告白に、クライは「……えっ?」と疑問符を漏らした。


「姉弟子の剣聖が旅立ってからの数年間。オレはルドルフ・フォスターのもとで剣の修行を受けた。そこで〈闘気〉を習得した」

「そんな、たかだか数年であの技を覚えられるはず……!」

「おかしいか? 聞いた話じゃ、姉弟子は一年で体得したと聞いたがな」

「そ、れは……っ!」


 ルドルフの実例を用いた指摘に、クライは一瞬の怯みをみせた。


 ボロが出てもかなわない。

 すかさず、二の句は言わせまいとしたルドルフが、怒涛の勢いで捲し立てる。


「それにあんたも見ただろ? オレが〈闘気〉を使って、あの大男を倒すところを」


 「だからわざわざ訊いてきたんだろう?」と問われて、クライは押し黙る。


 安易な嘘ならバレるだろう。

 だが、その弟子となれば全ての話に辻褄が合う。


 後は、実際に起きた出来事と過去話エピソードが真実味を添えてくれる。


 実際、ルドルフの思惑通りに事は運び、クライはこの偽りの事実を受け入れざるを得ない状況にあった。


「……確かに、そうですね。あの技はお師匠様の〈闘気〉そのものだった。そうであれば、理解できる」

「そうだろ? 分かってくれたなら、話は……」

「──だからこそ、許せない」


 低く、震えた、怒りの声であった。


 あまりに変貌したその声に「へっ?」と、ルドルフは一瞬、それが彼女から発せられたものであることを理解できなかった。


「話の通りであれば、あなたはお師匠様の最後の弟子になる。であれば、どうしてあの人を止めなかったの?」


 キッ、と、吊り上げた目の端には涙が溜まっていた。


「あの人は最後の数年間を王国のスパイとして、魔王軍の幹部として! その身を、命を削った! 長い間ひとりで……仲間を裏切り、傷つけ、たったひとりで戦い続けたっ!!」

「お、おい……」

「どうして! どうして止めなかったの! あの人をひとりにしたの⁉ そばにいたはずなのに! あなたはそんなにも強いのにっ……! どうして、あの時……っ!」


 ──あなたはいなかったの?


 たじろぐルドルフも関係なしに、クライは食って掛かる。

 その胸が張り裂けそうな声で泣く少女を見て、ルドルフは遅まきながら気付く。


(儂だけじゃ、なかったのか……)


 生前の最期。

 結局、彼女をたったひとりで魔王のもとへ送ることになってしまったことを、ルドルフはずっと悔いていた。


 それは彼女も同じであったのだ。


 数年間、スパイとして敵対し続けた師匠を誤解し続け、ひとりで戦わせてしまったことを、悔いていたのだ。


 たったひとりの師匠として、弟子として。


 互いに、互いを支えられなかったことが、たまらなく悔しかったのだ。


「……す、すまない」


 咄嗟に、口をついて出てきた謝罪。

 それに対して、クライは当然のごとく、涙を流す目を尖らせる。


「許さない。ぜったいに許さない。あなたも、わたしも……あの人を、お師匠様をひとりにした罪を、許すわけがないっ!」


 そういうつもりで言ったわけじゃないんだが、と伝わるはずのない思いは胸に留め、ルドルフは押し黙る。


 そうすると、クライもまた口を開くことがなくなり。小さく鼻をすずる音だけが、二人の間に流れる。


「……わたし、あなたのことが嫌い」


 しばらくして、泣き止んだクライは率直にルドルフへ告げる。


「あの時、お師匠様を止めないばかりか、ひとりにして。どこでなにをやっていたのか、わたし達と一緒に戦うこともせず。そのくせ今更になって目の前に現れて、無様だのなんだの偉そうに言ってくる。そんなあなたが大嫌い」


 「弟弟子のくせに」と。

 ボソッと呟いたのをルドルフは聞き逃さなかった。


「……だけど、あなたがわたしより強くて、あの人の技を受け継いでいることだけは認めるしかない」

「つまり、なにが言いたいんだ?」


 迂遠な言い回しをするクライに、ルドルフが言葉の先を催促する。


 瑠璃色の瞳を不服に細めて、クライは言う。


「──わたしに、剣を教えて」


 こちらを見詰めるその青い瞳は、いつか見た決意に固めた瞳であった。


「あなたのことは大嫌い。この世で二番目に大嫌いだけど。あの人の剣を正しく受け継いだあなたにしか、頼めない」


 その威勢の良い申し出に、ルドルフは口元が綻ぶのを堪えきれなかった。


 黄泉返り、若返ったあとも。

 また、この子の師匠をすることになるとはな。


「フッ、およそ人にものを頼む態度ではないな」

「土下座でもしろと? 死ぬほど嫌だけど。それで教えてくれるなら、するけど」

「いや、いい。そんな形ばかりの礼儀より、剝き出しの本性で頼まれた方がよっぽど清々しい」

「……やっぱりわたし、あなたのことが大嫌いみたい」

「ははっ、そうか」


 ルドルフは笑って受け流して、近くまで寄る。


「では、要望にお応えして。また一からオレが教えてやる。覚悟しろよ、クライ」

「弟弟子のくせに生意気。でも、そうね……よろしくお願いします、せんせー」


 そう口にしたクライは、どこかツンとして複雑な表情をしていた。

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