第6話 師匠と弟子、再会

「ど、うして……?」


 ひどく掠れた声であった。


 故に届かなかったのだろう。

 投げられた問いは霧散して、かつての愛弟子クライは何食わぬ顔で、二人に近づく。


「わたしの名は、クライネス・クライノート。ここで村の門番をしている者です」

「門、番……?」


 ルドルフは目を丸くした。


 門番であれば、この古い待機小屋にいるのも不思議ではない。

 だがそれ以上に、剣聖の肩書きを持つ彼女がこんな辺境村の門番をしていることが、不可解でならなかった。


「あなた達は? 見たところ、商人でも冒険者といった風体でもありませんが」

「わ、分からぬか? 儂じゃよ、儂! る、でぃふぉッ‼」


 悲痛の声。

 正体を明かそうとしたところ、そばにいたラストの肘鉄が見事にみぞおちへめり込んでいた。


「わし……? るでぃふぉ……?」

「気にしないでやってくれ。森の木の実にあたったのか、数日前からどうにも腹の調子がよくないみたいでな」


 うぅ、と苦痛に呻くルドルフをよそにラストが無理やりに話を進める。


「それは大変ですね。すぐにでも村長のもとへ案内してあげたいところですが……その前にあなた達のことをお聞かせ願えますか?」

「なに、ただのしがない旅人だとも。それとも、この村に旅人は入れぬのか?」

「いえ。そういうわけではありませんが……せめて、お名前だけでも。一応、門番としての務めもありますので」

「ふむ、道理だな」


 納得したところで、ラストが応える。


「余の名はラスト。姓はない」

「ラストさんですね。そちらの方は?」

「あっ、わし……じゃなくて、オレは……」


 途端に話を振られて、ルドルフは慌てて逡巡する。


 隣からの視線の圧がすごい。

 先ほど腹パンならぬ腹肘をぶち込んできたことや話の流れから、いまは話を合わせろということだろう。


 純粋な元弟子の眼差しを裏切るようで後ろめたいが、仕方がない。


「オレはルディ。同じく旅人だ」


 我ながら安直な偽名であると思った。

 しかし、この目の前の少女は人懐っこい笑顔を浮かべて。


「旅人のラストさんとルディさんですね。わかりました。では、村長のもとまでご案内します」


 「どうぞ」と言って、景気よく門の内側へ招き入れてくれた。


 故郷へ帰ってきて、それを他でもない愛弟子に迎え入れられたことが、ルドルフにとっては言葉にし難いほど感動的なものがあった。


「おい、戦狼」


 そんな感動にひとり打ち震えているところで。


 隣からぼそりと、呼びかけが飛んできた。


「おぬしは死んでおるのだぞ? なにを馬鹿正直に名乗ろうとしておる」

「……だからと言って、加減があるじゃろ」

「戒めのためだ。魔王の秘術で蘇ったなぞ知られれば、問答無用で斬り捨てられるのだからな」

「そ、それは確かに……」


 腹を大事そうにさすりながら、ルドルフは己の不用心さを省みる。


 当事者以外に言って、すぐに信じられるような現象ではない。

 万に一つ信じられたとして、魔王に従属している事実に変わりはなく、それはかつて相対したクライにとって吉報となるはずがない。


「いやしかし、まさかこうも早く剣聖に巡り合うとはな。ツイておるぞ」


 くっくっく、と。

 思いの外、事が上手く運んでいることに、ラストは喉を鳴らす。


 以前に話していた、剣聖の懐柔は必要不可欠であるということ。

 ここで仲間にすることが出来れば、彼女を広告塔に話はとんとん拍子に進み、王国の力を全面的に借りることができることだろう。


 だが、


「どうやって仲間にするつもりだ? こちらの正体は曝せんのだろう?」

「そこの問題でいま躓いておる。なにせこの段階で遭遇するとは思ってもみなかったからな」


 ルドルフの当然の問いに、むぅっとラストは考え込んでしまう。


「そも、どうしてこんな辺境で門番をしておるのかも謎だしな……」

「どうかされましたか、お二人とも?」


 コソコソと背後で内緒話をする二人を気にしたのか。

 クライがくるっと、首だけを振り返らせる。


「ああ、いやその……!」

「つかぬことを訊くが、おぬしはあの剣聖であろう? どうしてこのような場所に?」


 後ろめたさから慌てふためくルドルフに反して、早速ラストが切り込む。

 このあたりの胆力は、さすが元魔王といったところか。


 その質問にクライは一瞬、驚いた表情をみせた。


「少し込み入った事情がありまして……剣聖を含めたかつての勇者パーティーは解散しました。それから門番としてこの村に身を置かせてもらっているのです」


 困ったように、クライは目を逸らす。

 言葉こそ丁寧なものだが、具体的なところは毛頭として話す気はないといったメッセージが態度に込められていた。


「では、いまはあの古小屋に住んでおるのか?」


 それを見て、ラストはすかさず別の角度から問いを重ねた。


「はい。元々、剣聖として旅に出る前まではお師匠様とともにあの小屋で暮らしていたので」

「お師匠様と?」

「はい、そうです。わたしのお師匠であり、聖王国の英雄。ルドルフ・フォスターとです」


 ぱあっと笑顔を咲かせて、クライはここ一番の晴れやかな声で言った。


「世間ではわたしのことを謳うものが多いでしょうが。この平和は間違いなく、お師匠様がいなければ、あり得なかったものです」

「よほどそのお師匠様を慕っておるのだな」

「もちろんです。色々だらしがなく不器用な人ではありましたが。それ以上に優しく誇れる、わたしの大好きな英雄です」

「ほうほう。それはそれは師匠冥利に尽きる言葉だな。本人に聞かせてやりたいところだ」


 「なぁ、ルディ?」とにやにやしながらこちらへ視線を投げるラストに、ルドルフは顔を背けて応える。


 なんとも魔王らしく性悪なヤツだ。バレても知らんぞ。


「では紆余曲折を経て、おぬしはその後を継いだということだな。そのお師匠様もさぞ喜んでいることだろう」

「……それは、ないと思います」

「えっ?」


 途端に陰を差して言うクライに、ルドルフは疑問符を吐き出した。


 当時より身体は大きく成長したはずなのに。

 あの凛々しく逞しい佇まいだった少女が、これほどまでに小さく見えてしまうとは。


 一体、この四年間で彼女の身に何があったというのか。気になって仕方がないものの、いまここで安易に触れられるものでもないと感じられた。


 そうして、しばらく歩いたところ。

 村広場にまでやってきたルドルフ達の視線の先に、チラホラと村人たちの姿が見えてくる。


「あっ、いました。ダンデ先生!」


 探し人を見つけたクライがそう声を上げると、水汲み場にいた人だかりの中、黒い祭服に身を包む、ひとりの男が振り返った。


「やあ、クライさん。門番のお仕事、お疲れ様ですね。そちらのお二人は?」

「こちら、旅人のルディさんとラストさんです。幻惑の森を抜けてきたようで」


 簡潔に事情を説明したところで、クライがこちらへ振り返り、


「こちらが、この村の村長さん。村唯一の教会の神父もされている、ダンデ先生です」

「どうも、ダンデ・ラウレンティウスと申します」


 丸眼鏡の奥から人の良い笑顔を貼り付けて、ダンデは小さくお辞儀する。


 もちろん、ルドルフはすでに面識はあった。

 相変わらず胡散臭さの漂わせる村長だが、酒が大の好物であること以外は、割とちゃんとした神父である。


 クライを引き取った当初からの付き合いで、その時は随分と世話になったことを思い出す。 


「……む?」


 そんな生臭坊主の視線が、じっとルドルフへ向いていることに気付く。

 まるで記憶の片隅にある何かと、照らし合わせるみたいに。神妙な面持ちで。


「あの、ダンデ先生。ルディさんなのですが、どうやら数日前に森の木の実に当たったらしく、腹痛を患われているようで」

「ん? ああ、そうですか。それは大変ですね。すぐにでも教会で手当てしましょう」

「お願いします。わたしは持ち場に戻りますので」

「もう行かれるので?」


 ダンデが問うと、クライは凛として答える。


「はい。それがいまのわたしの務めですので」

「おいおい、クライちゃん。せっかくここまで来たんだ。もう少しゆっくりしていけよ」

「そうよ。あんまり顔を見せないから、みんな心配しているのよ?」


 早々に立ち去ろうとするクライを見て、辺りの村人たちは皆して彼女へ声をかける。


 しかし、当の本人は「すみません」と素っ気なく頭を下げるだけで。


「では、これで。ルディさんとラストさんも、また」


 そう短く告げて。

 クライはそそくさと、もと来た道を帰っていく。


「……すみません。少々お見苦しいところをお見せしてしまいましたね」


 クライの背中を眺めるルドルフとラストへ、聖職者然とした村長が頭を下げる。


 その様子に、再びラストがずけずけと踏み込む。


「なにかあったのか?」

「いえ、特にそういったワケでは。見ての通り、彼女はこの村のためによくやってくれています。私達も彼女がいるおかげで魔物の被害に遭わずに過ごせていますし、魔物避け柵の整備や水車の点検など。多様な雑用にまで励んでくれて。彼女には感謝の言葉しかありません。ただ……」

「ただ?」


 ダンデは物憂い気な顔でクライの帰っていった方角を見詰める。


 その道に、もう彼女の背中はない。


「あの子はこの村に帰ってきてからというものの、私達の住むこの村広場まで足を運ぶことが珍しくなりました。訪れるとしても、このように突然の来訪者の案内であったり、倉庫や防護柵の確認のためにこっそり日の出の早い時間に来るくらいで。極力、私達と出会わないようにしているのです」

「それはまたどうして? 聞いたところ、関係が悪いわけでもないだろうに」

「それは……いえ。これは私が話すべきことではないでしょう」


 彼女のいないところでコソコソとするのは気が憚られたのだろう。

 ダンデはそう言うと、踵を返して。


「では、教会へ向かいましょうか。そこでルディさんの手当てを──」


 その時であった。

 とてつもなく大きな轟音が、ルドルフたちの耳に届く。


「な、なんだぁ⁉」

「門のほうから聞こえてきたけれどっ……」


 ざわざわと騒ぎ立つ村人たちが見詰めるのは、この村への入り口──つまり、クライの戻っていった方角。


「クライ……!」

「お、おい! 余を置いていくな!」


 思い至った途端にルドルフは走り出し、そのあとをラストが追いかける。


 遠ざかる背後から、ダンデの制止の叫びが、聞こえた気がした。

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