第五話 探りたい腹が探れない忍び

 ふたつの仮説がある。

 まずは、軸足を「知らない」ということに据えてみても話は通るだろう。

 例えば涼森家がなにがしかの山で作事をする、ついてはかの虎の爪などあったら心強いのだが、ほれ梅太郎や何かお前さん手掛かりは持っとらんかね、見つかれば大手柄じゃが――などと親に言われて勇躍し、城下町の質屋にやって来たお暇な三男坊というように。

 だがしかし「知っている」に軸足を変えると、事態は最悪の方に向かう。

 それすなわち。

 徳川の小手先などこの肥後守はすっかり見通している、観念しろ、しかるのち首を出せ。

 という、みぎわにとっての最後通牒となる。

 さらに言えば、みぎわの首でことが収まらないほどこじらせれば、豊臣徳川の全面戦争の火種として大いに幅を利かすことになろう。

 みぎわは、嫌だった。

 己の首を対価に出すことよりも、戦をすることが。

 もう戦には飽いたのだ。

 人を殺して手柄にすることの価値がみぎわにはとんと分からぬ。

 忍びとしては失格かもしれないが、しかし忍びとして世を見てきたが故に考えるのだ。

 首を取るより効率的なやりようなど幾らでもあるはずなのに、どうしてほとんど誰もそれを言い出さないのか。

 唯一それを心得てなさると思ったのは豊臣方の大将だった関白秀吉公だが、彼もまた老いて散り、今や恐らくみぎわの想像する死の無い戦を理解できるのは徳川家康公だけなのではないかと、僭越極まることを思ったりする。

 戦をせぬための名古屋開府、という建前があるのでみぎわは質屋の真似事などを嬉々としてやっているのであるが、ただ自分の首が戦を起こすのであれば、それほど嫌なものは無い。

 どちらにせよみぎわは、忍びとしては不適格な、日本が平らかな世であってほしいという望みを燃やし尽くす火種にならぬようにせねばなるまい。

 なれば、己の役割はひとつ。

 嘘の上手い道化になることなり。

「ああもうやだやだ」

 駄々っ子のように畳敷きの座敷をひとしきり転がったのち、みぎわははたと気づいて決然と立ち上がった。

 そのまま表に駆け出す。

 仕舞い忘れたどじょう鍋はすっかり空になっており、持ち手にこよられた文を開けば、

「うまかった かさご」

 と一筆。

「むきいいいいいい! 儂の! どじょう鍋! なのに!」

 みぎわは、地団太を踏む。

 踏んだつもりが忍びらしい脚力が無意味に発揮され、鍋の周りを飛び跳ねて怒りを表現することになった。

「忍びだってどじょう鍋を食べる自由はあるぞ! いや、というか(ちうか)、忍びにとられた!」

 ちくしょうこのくそたーけ、と罵りながらみぎわは跳んだ。

 通行人がいたら仰天しただろうが、幸いまだうみなり屋の周りは開発が進まず茫漠たる田畑と草むらしかなかったので、往来の途絶える夜になれば忍びが奇行に走ろうと気にするものは誰もいない。

「辞めてやる! いつか辞めて、鍋物屋を開くことにする!」

 そこに風を切って矢が飛んできた。

 憤然と空中でつかみ取ると、またもやそこに文が結んである。

 開くと、こうだ――「おかわり かさご」。


 ×


「いやいや、良い日よりですな。探し物にはうってつけの」

 風呂敷包みをたすき掛けにした涼森梅太郎は胸を張ってそうのたまった。

 膨らんだ包みの中には、特大の握り飯が笹の葉でぐるぐる巻きにされて収まっている。

「ははあ」

 愛想笑いしながら、みぎわは否とも応ともつかぬ相槌を返す。

 虎の爪探しは難航していた。

 それはそうだ、うみなり屋にあるのだから出てくるわけがない。

 みぎわはいつまでも、だらだらと探索を引き延ばす腹積もりでいた。

 この若侍がとっとと飽きてくれるのが一番穏当な結果に終わる。

 誰も傷つかない。

 誰も損をしない。

 梅太郎は少しばかり気落ちするだろうが、きっと諦めるころには別の品物に、あるいは別の道楽に目線が移ることだろう。

 そうしたら慰めてやればよいとみぎわは思っていた。

 みぎわは――自分でも意外なことに、この若侍に少しばかり肩入れするつもりになっている。

 うみなり屋に梅太郎が訪ねてきた日から、はやひと月が経とうとしていた。

 梅太郎は加藤肥後守の一党が築城の折に拠点としていた界隈を訪ね歩いたり、元々の那古野山があったあたりを調べ上げて、虎の爪の行方を丹念に追っている。

 もしやと思う情報があれば、専門家であるみぎわを呼んで同道を乞う。

 その先に待ち受けているのは常に偽物ばかりだし(当然だ)、人の好い梅太郎を騙そうとする手合いもちらほらといた。

 けれども決して梅太郎はことを荒立てず、みぎわに八つ当たることもなく、どころか文句を言うことすらなく、拍子抜けするほど淡々と虎の爪モドキの見分を続けている。

 大したもんじゃないかとみぎわは、正直なところ感じているのだった。

 何度も通うものだから、うみなり屋の近所の人々とも知らん間に仲良くなっている。

 肩にかけた握り飯も、どうやら材木問屋のおかみさんが梅太郎に肩入れしてこしらえてくれたものであるらしい。

「当たりだとええですなあ」

 と、大股で先を行く梅太郎に並びかけて、みぎわは言った。

「分からん。が、なんの、外を歩き、見分を広めるのはまっこと楽しい。はずれならばはずれで、ずっと続くのも良いかなと思うてきてまったわ」

「それは困りますが」

「じゃなあ!」

 ははははは、と快活に笑う若侍が、何やら眩しいものに思われてくる。

 天下に何一つ恥じることなし。

 そんな事を言える人生を歩んでいるのだろうなと想像すると堪らない。

 ないものねだりはただ空しいだけだと言い聞かせても、なお。

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