4-2 戦場

 各地で繰り広げられる戦闘、あるいは虐殺を無視して、センは両脚で地面を蹴り前へと進んでいく。

「器用だな」

 センの疾走は、いわゆるヒトのそれとは走り方が違っていた。

 両脚は地面から離れず、その足裏は車輪の形へと変形。更に推進力として足裏から突起を生成し地面を弾く事による移動は、ヒトというよりは車輌のそれに近い。変異部位の制御が相当優れているからこそ出来る芸当だろう。

「構造はそう複雑でもない。億劫がらず、お前も自分でやれ」

「できたらやってるんだけど」

 センの移動に追いつけない事は、M.A内での追走で思い知っている。だから、俺はセンに手を引かせ、それに半ば引き摺られるようにして後に続いていた。

「まぁいい。もう目的地だ」

 一際多くの変異者の死体の並ぶ先、そこにいたのは五人からなるM.Aの部隊だった。

 その手前でセンは速度を減衰、おもむろに右手を掲げ、振り下ろす。

 瞬く間に大斧と化したセンの右腕は、だが下りきる前に停止。止めていたのは、センが腕を振るより前からすでに異様に肥大化していた変異体の両腕だった。

「例の変異体か!」

 叫んだのはM.A職員の内の一人。声は驚きではなく警戒、叫んだ職員を含む四人が弾けるように散り、俺達を包囲する形を取る。

「俺はどうすればいい?」

 センの目的は、おそらくは変異体との闘争だ。なるべく邪魔の入らない形でそれを行うため、M.Aから一度引いて体勢を整えたのだろう。俺はそのおまけ、とは言え、この場にいる以上、ただ突っ立っているというのもおかしな話だ。

「好きにしろ。雑魚なら狩ってもいい」

「はいはい」

 センの言葉は予想通り、だから俺は前に出る。

 向かう先は四人の変異者、その内のどれでもなく、両腕の肥大化した変異体。センの大斧の一撃が戻り、体勢を立て直しかけたそいつへと距離を詰める。

 迎撃に向かい来るのは、外へと払う横薙ぎの左腕。俺の身長の半分ほどにまで肥大化した腕の幅を、下を潜って抜ける。沈んだ体勢に上から右腕が降ってくるも、そこに合わせるのは右手。明らかな質量差は、しかし俺にとって受け流せないほどのものではなかった。

 これで、開いた。両腕が離れ開いた、変異体までの道を進む。戻ってくる左腕は追いつかない、右腕から生えた一本の棘も、前進と同時に容易に躱す事ができる。

「まず、雑魚一人」

 変異させた右手を突く、と見せかけて左で抜いて投げた短剣が変異体の首を貫き、それで終わりだった。崩れ落ちる変異体の首、突き刺さった短剣を横に引くと、頭部が胴体から離れて落ちる。

「おい、お前――」

「ほら、セン。周り」

「チッ」

 こちらに気を取られたセンの周囲から、四人の変異者が同時に迫る。それぞれに動きはそれなりに機敏、だがセンの背から生えた一対の翼が周りを薙ぐと、それだけで三人が六つの肉塊に分かれた。

 残りの一人、辛うじて変異させた右腕で翼を逸らした変異者も、正面から見据えたセンの両腕、爆発的に肥大化した巨大質量は逸らす事も躱す事もできず、前から迫るそれに潰され裂かれ死んでいった。

「……さて、どういうつもりだ、雨宮」

 状況が終わり、センが口にしたのは圧を掛けるような言葉。

「だって、センが雑魚は殺してもいいって言ったから」

「あの変異体など、お前にとっては雑魚だと?」

「それはまぁ、見ての通り」

 両腕の変異体は、俺の一度の接近だけで殺す事ができた。結果だけ見れば強いとは言い難い。センに比べれば、ただの雑魚だろう。

 おそらくは両腕の変異を抑えきれない、単なる異形としての変異体。抑えきれないほどの変異細胞の量、そして実際に変異者ではあり得ない規模に肥大化した両腕を見るに、一般的な変異者よりは強力な戦力ではあったのだろうが、それでもセンに迫れるようなものではない。

「だが、それは曲解だ。私の意図がわかっていなかったわけでもないだろう」

 ただ、両腕の変異体が雑魚だったとしても、もちろんセンの言葉が正しい。

 センは変異体と戦うためにこの場に足を運んだ。ならば彼女が狩ってもいいと言った雑魚とは、つまりそれ以外の事を指しているに決まっている。

「どうせ同じだよ。あの程度の雑魚と戦っても、センは満足しない」

 もっとも、おそらく俺の言葉も正しい。

「……私が満足する相手なら、お前は殺さないと?」

「そんな相手なら、そもそも殺せないと思うけど」

「はっ、どうだかな」

 鼻で笑いながらも、センは俺を見て、そしてある程度の評価をした。

 それが、俺の目的だった。

 目の前で変異体を殺してみせる、俺の力に興味を持たせる。

 今俺がセンの隣にいるのは、成り行きと道具としての役割によるものだ。この場での事が終わってしまえば、そのまま捨てられる可能性もある、というより俺はそうなる可能性の方が高いと見ている。ならば、その前に俺にセンに俺への興味を抱かせる必要がある。

「なら、これはどうする?」

 もっとも、その時が訪れるのは予想よりも早かった。

「悠、そこから離れた方がいい」

「碧、か」

 センの姿を見つけ追ってきたのだろう。そこにいたのは銀髪の少女、枯木碧。そして、周囲を見渡すと、頭部と胸、右の脇腹から気泡のような変異部位の生えた変異体と、八人のM.A職員の姿により俺達は囲まれていた。

「なるほど、こうなるなら雨宮は不要だったか」

 追手の陣容を見て、センは俺と同じように状況を把握したらしい。

 センは、M.A.R予備生寮での一幕から、碧を釣る餌の役割として俺を連れてきたのだろう。だが、碧がM.Aの指示の上でセンを追っている現状、俺の餌としての価値はそもそも死んでいた。

「さて、と。どうしようか」

 問題は大きく分けて二つ。

 碧がM.Aの兵として動いている事、はさしたる問題ではない。

 元々、碧はM.A.R予備生、M.A側の人間だ。今、M.Aの指示に従わない理由があるとすれば、それこそ個人として俺を追うためくらいだろうが、碧にとっての俺がM.Aを敵に回す可能性のある行動を取るほどの価値のあるものだとは思えない。

 ただ、ここでの碧との遭遇自体は問題だった。

 碧がM.Aの兵として動いた事で、センはすでに俺の価値を見限った。そもそも碧との戦いはすぐ目の前に控えているわけで、それが終わればすぐに捨て置かれる――とまで断言はできないが、その可能性は十分にある。

 そして二つ目の問題は、センがこの場を生き残れるかどうかだ。

 俺達はすでに変異体を一人殺した。だが、その死体がそこらに転がっているというのに、追手は誰も動揺した様子を見せない。つまりここに揃えたのは先程の変異体一人とは比にならない戦力で、M.A側としてはセンを殺せる算段もあるのだろう。

「大変だったねー、悠くん。でも、もう大丈夫だよ」

 俺に声を掛けたのはM.A職員の内の一人。見覚えのある顔、そして声は髪を二つに結んだ女、柊のものだった。

 俺がセンに拐われた、と何の疑いもなく信じているふりをしている。理由は簡単で、俺を敵に回すよりも味方に付けたいからだろう。俺がぬけぬけと被害者を装ってM.A側に寝返る余地をあえて残しているのだ。

「どうする? 逃げるか?」

「いや、この状況なら十分だ」

 センにはM.A支部から逃げた時のように翼を生やし飛び去る手もあるが、今のところそれをするつもりはないらしい。変異体との一対一が望みかと思っていたが、現実的にそれが難しくなった現状では、この辺りが妥協点という事だろうか。

「じゃあ、俺はどうすればいいと思う?」

「知るか、好きにしろ」

 身の振り方についてセンに伺いを立てるも、返事はにべもない。俺の助けを計算に入れている、というわけではないのだろう。

「なら、ひとまず静観かな」

 だから、選んだのは前進。その先にいるのは碧、接近してくる俺に碧は構えを取るわけでもなく、ただ目を丸くして立ち竦んでいた。それに一呼吸遅れて、周囲の職員が碧を庇うように武器を構える。

「静観だって言っただろ、何もしない」

 だから、俺はその横を抜ける。碧達の背後に回り込むと、そこから更に後退。これから戦場になるであろう範囲から一歩離れた位置で止まる。

「悠、キミは何を――」

「構えろ、始まる」

 俺が離れきったところで、すでにセンは戦闘態勢に入っていた。背中からの翼、そして刃にして伸ばした両腕。都合四本の凶器が旋回し、周囲の空間を薙ぐ。

「――っ」

 だが、飛んだのは腕が一本だけ。その持ち主以外の変異者達は回避、あるいは防御によりほぼ無傷のままやり過ごし、碧ともう一人の変異体の、それぞれ展開した翼と胸から広がった塊が二本ずつ凶器を受け止めていた。

「殺せ」

 M.A職員の内、誰かが呟く。

 同時に、職員達の内の五人が前進。だが、センの腕と翼が戻る方が早い。

 変異部位を一旦全て収縮させたセンは、再び翼と刃を生成。ただし、その数が先程とは桁違いに多かった。胴と背、そして腕に脇腹まで。針鼠のように全身から生える刃を、職員達は握った武器や、あるいは変異させた腕、脚で自らに迫る部位だけ的確に切り落としていく。

 だが、そこまで。センが身体を回すと、落とされず残った刃が一斉に横から職員達へと迫る。すでに生成され硬化しきった刃は、職員達が武器や変異部位を打ち付けても壊せず、受けきれなかった刃が彼らの身体を切り裂いていく。

 結果、そこから生き残り、刃の圏外に逃れたのは二人。その内の一人は腕を失い、もう一人も肩や腹、背に腿へと深く切り傷が刻まれていた。

 この場の職員は先程の四人よりは動ける者が多いようだが、それでもセンの物量攻撃を捌ききれるほどではない。センが全方位迎撃を可能としている以上、これ以上人数を増やしたところで結果は同じだろう。

「オレ達でやるぞ」

 だから、動いたのは変異体。『達』というのは、碧の事を指して言ったのだろう。

「止めなくていいの?」

 一歩前に踏み出した碧を見て、さり気なく俺の隣に並んでいた柊が問う。

「何を?」

「向こうの変異体の子か、もしくは枯木さん?」

「どっち?」

「私は知らないよー。だから聞いてるんでしょ」

 柊の口にした疑問は、たしかに真っ当なものだ。

 センと碧、もう一人の変異体もいるが、彼女達が正面からぶつかり合えばそのどちらかが死ぬ可能性は高い。俺にとっては碧もセンもある程度の関係性の相手である以上、二人のどちらか、あるいは両方の死を避けたいのであれば介入する手もある。

「俺も、今それを考えてるんじゃないか?」

「なんで疑問系?」

「疑問だから」

「あははっ、なるほど」

 柊には笑い飛ばされるが、別に冗談ではない。

 この期に及んで俺が静観の姿勢を取っているのは、今ひとつ自分の身を置くべき位置を把握しきれていないからだ。

「…………」

 碧と異形の変異体は対角線上でセンを挟み、センは碧へ身体を向けたままの姿勢で待つ。

 互いが出方を探り合うも、焦るべきはセンの方。増援が期待できるのはM.A側、わかっているだけでも、変異体があと一人残っているはずだ。

 だが、センは動かない。機を伺っているのか、それともただ楽しんでいるのか。理由はともあれ、その口元には笑みが浮かんでいた。

「――――」

 そして、動いたのは三者の内、誰でもなかった。距離を取ったM.A職員、その内の三人がほぼ同時に短剣を投擲。向かってくるそれらにセンは微塵も動かず、ただ短剣はその身体に衝突すると、硬質の音に弾かれた。

 そこで、ようやく碧が動く。上に跳ねたそれは回避、足元から生える杭を避けるための跳躍だった。杭は状況からしてセンの攻撃、地に付けた足を地中に伸ばし、碧の足元まで届かせたのだろう。センの肉体変異の規模なら、そんな疑似遠隔攻撃も可能だ。

「くっ……」

 宙に逃げた碧へと、センは更に右腕を振るう。大きく伸びた腕はその先で四つに枝分かれすると、それぞれが刃として碧へ向けて襲いかかる。

 対して、碧の取った行動は回避。背に生やした一対の翼で空を掻き、四本の刃の全てが届かない右へと身体を運ぶ。

 碧への攻撃で生まれた隙を突いて、異形の変異体がセンへと突進。その速度は速くはない、というよりも遅く、一撃を放つよりも先にセンの左腕が肥大化、上からの巨大質量となって変異体へと襲いかかる。

 対する変異体は、原型からして変異を隠していなかった頭部の気胞が肥大化。一本の刃を形作ると、巨大質量と化したセンの左腕へと正面から振るわれ、接触。僅かな均衡の後に切り裂くと、そのまま巨大質量を裁断すべく刃が走る。

「――ふぅ」

 刃が振り抜かれる寸前、センは腕を縮小すると同時に引き戻し、どうにか左腕の切断を逃れた。

 センの肉体変異は無限の肥大化を可能としているようにすら見えるが、それでも変異能力とその源である変異細胞は有限だ。

 だからこそ、肥大化した変異部位は圧縮したそれより硬度で劣り、仮に切り落とされてしまえばその部位は戻らない。小さく生やした棘程度ならば大した問題ではなく、時間が経てば治癒し戻るだろうが、肥大化した左腕を丸ごと両断されるのはセンにとっても避けるべき事態だった。

「投降しろ。M.Aに逆らうのは無意味だ」

「いいや、そうでもなかったようだ」

 降参を呼びかけながらの一撃、変異体の右脇腹からの刃を、センも同じく左の脇腹から刃を生やして受ける。胸から生えた杭は胸からの盾で、そして頭部から振り下ろされた刃は背に生やした翼で迎え撃つ。

 これで、変異体の元からの変異部位、異形と化していた三箇所は受けきった。そしてセンにはまだ、両腕が丸々残っている。刃と化した両腕が左右から挟むように振るわれ、変異体はそれに一歩下がる。そこはまだ刃の範囲内、だが両の刃は大きく広げられた両腕、その掌により止まった。

 センは異形の変異体、その変異部位を元より異形と化していた頭部、胸部、そして脇腹だと推測した。そして、それは概ね正解ではあったのだろう。ただし、変異体にとってその三箇所は、おそらく特に変異させやすい部位というだけで、それ以外の部位、少なくとも両手も硬化させ、センの刃を受け止める事ができていた。

 だが、均衡は一瞬。

「がっ――」

 刃は腕を切り裂かず、しかし変異体が苦悶の声をあげる。

 止められたのはあくまで硬度の面だけ。変異体の腕は刃に耐えられても、それを止める身体が衝撃に耐えられず、まずは肩が砕けた。

 異形の変異体の三箇所、特に変異細胞の密度が高い部位と同じ規模の事を、センは全身で可能とする。つまり、変異細胞の総量が、その生み出すエネルギーが違う。他の部分で差が埋まらない限りは、正面からやり合えばセンが勝つ。

 だが、センの背後からは今まさに『他の部分』が迫って来ていた。

 センの相手は二人、異形の変異体に注意を避けばもう一人、つまり碧が空く。すでに着地していた碧はセンへと接近、二枚の翼を固め、一本の槍へと変えて放っていた。

 高速の刺突、だがそれはセンの身体に届く前に阻まれる。センはほとんど全身が自由に変形、硬化させられる変異部位。故に死角はなく、異形の変異体を殺し終えた両腕を引き戻す前でも、碧に背を向けた状態でも、槍の軌道に翼を割り込ませる事が可能だ。

「ははっ……」

 碧の刺突、そこから終わりまでの結果が俺には予測できた。

 だから、俺は動いていた。

 向かう先はセン、その背から生えた翼が二枚、碧の翼を束ねた槍の一撃を防ぐべく重ねられる。単純な直進軌道、当然のように槍は翼に着弾し――刹那の均衡の後、貫通してセンの胴体へと突き刺さった。

「ふっ……」

 胴を貫かれたセンの口元には笑み。そして、流れるように両腕を引き戻そうとして――

「止まれ」

 そこで、やっとセンの身体が止まる。

「はい、殺した」

 センの動きを止めたのは碧の槍、ではなく、俺が頭部へと当てた短剣だった。

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