誰も知らない

「どうして水里君は、ここまで面倒みてくれてるの?」


 学校からの帰り道、杏子と波濤は並んで歩いていた。日は沈み、あちこちの家に明かりが灯る。部室での補習時間が徐々に長くなっていることが、杏子の進行度の深刻さを表している。


「教えるのが好きっていうのはあるよ」

「けど水里君が勉強する時間ないんじゃない?」

「まあテストくらいは大丈夫。なんていうか……溺れている人に浮き輪を投げるくらいのことはしないと夢見が悪いし」


 無意識に人を貶めながら、波濤は続けた。


「犬に芸をしこんでいるような感覚かな」


 はは、と引きつった笑いを浮かべる杏子を、茫洋とした表情のままナイフでグッサグサ刺しまくる。


「教えるのが好きでも、水里君は教師には向いてないね」

「なんで?」

「わからないならなおのこと。そうそう、好きといえば」


 強引極まりない急カーブ。


「水里君は、稲穂のことどう思う?」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



 その少し前、まだ文芸部で数学の勉強をしていた時のこと。波濤が「ちょっと用事が。10分程で戻る」と言い残して席を立った。

 姿を消したのを確認したのち、稲穂が小指を立てる。


「オンナか? あいつ、オンナがいるのか?」

「どうなんでしょう」


 あやめが小声で応じた。


「水里さん、あまり女の人を意識してないような気もしますけど」

「バカ言え、そんなわけあるか」


 そして極めて真面目な顔で言い放つ。


「こんな美少女3人に囲まれて、意識しないわけないだろ。あいつが書いたなんたらって話みたいなハーレム状態じゃん」


 けらけらとあやめは笑い、杏子は少し顔を赤くした。


「まあ、あいつがどうかは置いておくとして、あやめと杏子はどうなんだ?」

「どうって?」

「水里センセイをどう思うってことよ。普通、毎日のように勉強見てくれる奴なんていないじゃん」

「それは、そうだね」

「杏子に対しては、そこまで献身的に面倒見てもらって、好きになったりしてないかって意味の、どう。あやめに対しては、ああいうおっとりした感じの年上は好きかの、どう」


 狙った獲物は逃さないという強すぎる意思を込めた稲穂の問いかけに、まずはあやめが返す。


「嫌いじゃないですよ。うるさい人、がさつな人が苦手なので」

「そっかそっか。あいつ物静かだもんな。そっか、お前は年上好きか」

「なんで高浜さんがそんな邪悪な笑みをたたえているのかわかりませんが、嫌いじゃないです」


 話し終えた二人の目が杏子へ向けられた。


「勉強しないと」

「逃さん」

「逃しません」


 逃げようとしたが回り込まれてしまった杏子は、しぶしぶと話し出す。


「意識してないことはない。だがそれは」


 咳を一つ。


「だがそれはあくまでこのメスの群れの中に入ったただ一人のオスであるからして、骨格の違いや体つきの差異から生じるごく自然な意識であるように思われる。とすれば、誰か別のオスが入部したとしてもその意識は生じることだろう。また生存活動を踏まえて言えばメス自身が獲物を狩るよりも体力的に優れたオスを活用した方が精度は高まる為、そのような意味合いにおいては群れの中でオスを離さずに」

「待て杏子。耳から煙が出てる」

「なら稲穂も話しなさい。水里君をどう思ってるの?」

「最近は、ありかなしかで言えば、あり」


 稲穂は目を逸らして応えた。


「まあ、3番目……いや、8番目くらいかな。も、もし、もしもあいつが告白してきたら考え、考えて、考えてやる。そんな感じ」


 好意の下方修正を発表しつつも、段々市場が活性化してきたことを隠せない。杏子は帰る道すがら、波濤に爆弾を放り投げることに決めた。すなわち「稲穂のことをどう思うか」である。


「なんだ、お前のそのニマニマは」

「いや、別に」


 そこへ波濤が戻り、全員で勉強へと戻ったのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



「高浜さんをどう思うか、か」


 波濤はためらうことなく答えた。


「性格はともかく外見はすごく好き」

「おおうっ」


 思わず野太い声で雄々しい応答をしてしまった杏子を横目で見つつ、波濤は続ける。


「大須賀さんは知能的なことはさておき、性格も外見も好きだし、種田さんは小動物みたいでかわいい。杉山先生もキレイだと思う」


 口をぱくぱくとさせて困惑する杏子であるが、彼女は知らなかった。水里波濤17歳は、大変旺盛な性欲の持ち主なのである。女子に囲まれているうちに何かが盛り上がり、即座に処理しなければならないほどのパワーを秘めた暴発的なオスでもある。彼にとって女性だらけの文芸部は、趣味と実益と理想をかけあわせた最高の空間であった。

 そして今は力とかを抜いた直後なのでめんどくさくなり、後先考えずやたら素直に喋っているのである。


「みんな好きだね、うん」


 一番つまらないことを言いながら歩いている波濤に、杏子は当然の質問をぶつけた。


「好きなら、稲穂とかに告白はしないの? 杉山先生はともかくとして」

「うん、しないね」

「なんで?」

「僕にとって文芸部は大切な居場所なんだ。居場所に居づらくなるのはいやだ」


 何かきれいなことを言っているが実際は上記の通り。

 日は暮れ、まもなく夜となる。数日後には、学年最後のテストが始まる。改めて気を引き締めた杏子は、念の為に聞いておいた。


「そういえば、今日、途中どこに行ってたの?」

「うん、トイレ」


 本当のことではあるが、いけしゃあしゃあと波濤は言いのけた。

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