精神のバランスを損なう会話

「そもそもなんで時間を」


 あやめはブフッと吹き出しながら質問を続ける。18時を回った学校近くの公園には、杏子とあやめの二人しかいない。


「時間ブフッ、時間を戻せたとかふふふふ。なんでとしか聞きようがないんですが」

「たまたま、だったんだよね」


 杏子は地面を見つめながら、長い回想を始めた。


「部室に一人でいた時、帰宅のチャイムが鳴ったの。確か17時。で、机の上ででんぐり返しをしたのね」

「なぜですか。なぜだ、台上ブフッ前転を」

「なんとなく。誰もいない時って急に踊りたくなるじゃない?」


 同意を求めた先輩に対して、遠慮のない後輩が返答する。


「いえ、まったくもって」

「そっかそっか。まあいいや。そしたらしばらくしてもう一回チャイムが鳴った。おかしいなと思って時計を見たらまた17時」

「ブフッ」

「これはもうね、認識したね。『あ、戻ったな、時間』って」

「キャハハ!! キャハハハハハハハハハハ!!」


 甲高い笑い声が炸裂した。身を二つに折り、ベンチからずり落ちそうになりながらもあやめは笑いを止めることが出来ない。


「で、試しに『1日戻らないかな〜』って思いながら回ったら、戻ったの、時間」

「キャハハハハハハハハハ!!」

「スマホで確認したし、テレビの日付も前の日に戻ってた。意識ははっきり残ってる。『あ、やっぱ戻った』って」


 今や四つん這いになり、拳で地面をバンバン叩いて呼吸困難に陥りかけつつも、あやめは言葉を振り絞った。


「素直すぎっ……! なんかっ……! 色々足りてないっ……!」


 杏子はあやめの呼吸が落ち着くまでしばらく待った。そしてのんびりと切り出す。


「あやめちゃんはさ、推理小説ってどう読む?」

「え? 普通に推理しながら読みますけど。誰が犯人だろうかって」


 そうだよね、普通そうするよね、と頷きつつ杏子は自分の意見を述べた。


「私はね、全てを『そうなんだ』って受け入れながら読むんだ。あ、死んだ。あ、犯人出てきたって」

「はあ」

「考えた結論なんだけど、私には物事を深く考える力、考察力が備わっていないのでは、と。数学が苦手すぎるのもこれが原因な気がする」

「へえ」

「だからね、戻ったことによるパラドックスは気にしない」

「ブフッ。気にしなければいいんですか……ブフフッ」


 こくりと頷いた杏子を見て、再びあやめの笑い声が炸裂した。ひとしきり転げ回った後、涙を拭きながら尋ねる。


「けどそうしたら、色々無敵じゃないですか。何も勉強しなくても。誰かに頼んで競馬の馬券を買ったりとか。外れても次は当てることができるわけでしょ?」

「それはできないね」


 杏子は断言した。


「犯罪ではないかもだけど、悪いことだし。あと」

「そうか、じ、じじか、時間をも、戻ブフッ、時間を戻した罪なんて法律にないでしょうし。けけい、警察が学校に来て『時間逆行罪で逮捕しゅる!』とか言ってパトカーがガーで手錠ガシャンでセンパイの頭と手首にコートをバッサー被せた日には、私、腹筋よじれて死んじゃいますよ」


 何回目かの底なし笑い沼に足を踏み入れ、酸欠状態になっているあやめを優しい目で見やった杏子は話を続ける。


「あと、部室以外では戻れない。家でやったけど何も起きなかった」

「そうですか」

「それといちばん重要なことなんだけど」

「はい、なんでしょう?」

「誰にも言わないでね。私とあやめちゃんだけの秘密で」

「もちろん、誰にも言いませんよ。高浜さんにも、水里さんにも」


 安心した表情を見せた杏子はベンチから立ち上がった。まもなく19時、帰らなければ。


「あ、そうだ。私とあやめちゃんだけの秘密って言ったけど、知られてる可能性があった〜」


 間延びした杏子の次の言葉をあやめは無言で待つ。部室に出入りするのは、先に出した二人の先輩以外には顧問の杉山だけだが。雪の匂いを含んだ、冷たい北風が吹き付けた。


「ほら、サボテンに感情があるとか、前にあやめちゃん言ってたじゃない」

「そうでしたっけ」

「うん、なら知覚機能もあるのかなって話を」

「いや、そんなこと」


 あるわけないでしょうと言いかけてあやめは口をつぐんだ。何しろ時間を戻るセンパイがいるんだから、サボテンに感情どころか知覚機能、果ては意思があってもおかしくない。いや、明らかにおかしいのだが、それを異常と感じるバランスはあやめの精神から既に失われていたのである。

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