女学生の宝石帖

梅本梅

序章

0 ふたりの出発点

 花は桜の春うらら。


 その日のわたしは、許嫁となる人との顔合わせの席が設けられていた。


 彼とはすでに既知の仲、その上、わたしの初恋の人とあっては口元も緩んでしまうというものだ(念のため主張すると、この時は特別嬉しかったというだけで、わたしは常にニヤニヤしているニヤリストではない)。


 薄紅色の風に色づいた胸を躍らせて、わたしはやってきた彼のもとに駆けつける。

 そんなわたしに、彼はいつもの皮肉っぽい態度を崩すことなく言ってのけた。


 曰く、「僕が買うのは花菱家の家格だよ。それがどういう意味を持つのか、わからないわけでもないだろう。諦めなさい。そうして君が僕のもとに嫁いでくるなら、僕は君のすべてに責を負うから」と。


 つまりはこの言葉からわかるように、見事なまでの政略結婚。


 その頃、わたしの家――貧乏公家華族の末端の末端である花菱家――は困窮に困窮を重ねていたそうな。

 その一方で成金族でもある彼——片桐水哉ゆきちかさん——は、商人として販路開拓のためにも華族とのつながりを求めていたそうな。

 ……そんなこんなで両者の利害は一致してしまったそうな。


 そういうわけでわたしの恋の花はあえなく散ったわけである。


 失恋。


 青き春に別れを告げ、息をするのも億劫な夏が過ぎ、侘しき秋は深まって、木枯らし、曇天、細雪、とうとうさみしい冬が来た。


 今、ちらりと見やった教室の窓の外は、朝方降った雪に白く塗りつぶされている。これから挑まなければならない冷たい帰路に、乙女の友たる花の姿かたちは見えず。


 それならどうしてこの悲しみを紛らわせられるものかしら。

 ……などと、明日に控えたクリスマスを前にうっかりセンチメンタルな気分に浸りそうになってしまった。


 それもこれも、きっと無味簡素な冬景色のせい。


 花菱琴子。十六歳。花の盛りの女学生の、つもり。


 家に帰れば、今日も愛のない許嫁さまがわたしを待っている。

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