22.舞う、ひとひら

 衛兵たちに送られて解呪の部屋に戻ったオリヴィアは「おかえり」とにこやかに笑う姉の姿に、涙が抑えられなかった。泣きたくもないのに、自分の意思を無視して視界が滲む。涙が溢れる。

 ロザリアはそんな妹の様子に慌てて駆け寄ると、何も言わずにまずは抱き締めた。両腕を背に回して、包み込むように優しく。震える背中をそっと撫で、乱れる呼吸を耳元で聞きながら、ただ寄り添うばかりだった。



「……何があったの?」


 落ち着いたオリヴィアは、ロザリアに促されるままにソファーへと腰を下ろした。魔法黒板を持っている為に手を繋ぐことは出来ないが、二人は体をぴったりとくっつけて座っている。肩も足も触れ合う程に。


【キリルに会ったの。それで――】

 

 オリヴィアが魔法黒板に魔力を流すと、碧色の文字が流れるように刻まれていく。

 キリルに会った事、捕まえられた事、キリルは何かを隠している事。

 リベルトが助けてくれた事、リベルトが――信じてくれなかった事。


 細かな内容は端折ったけれど、オリヴィアは先程までの事を淡々と紡いでいった。ふと見ると隣に座る姉が鬼の形相になっていて、オリヴィアは眉を下げて笑った。


【信じて貰えなかったのは仕方ないの。誰だって悪意が見えるなんて言われても分からないだろうし】

「仕方なくないわ! あの男……本気で呪ってやろうかしら」

【リベルトはお城の人を信用しているんだもの。わたしだって、姉さんが悪意を持っているって誰かに言われても、信じられないのと同じだと思う】

「そうだとしても……悲しかったでしょ」


 ロザリアは声を落として呟くと、オリヴィアの頭に手を添えた。そのまま自分に凭れ掛けるように引き寄せる。


「あんたもあの男も冷静じゃなかったから、そんな事になっちゃったのよ。落ち着いて話したら、きっとまた違ったわ」

【……そうかしら】

「落ち着いたらまた教えてやるといいわ。それでも信じなかったら、あたしがぶっ飛ばしてあげる」


 ぐっと拳を握った姉の様子に可笑しそうにオリヴィアは笑った。また視界がぼんやりと滲んできたのを誤魔化すように瞬きを繰り返す。


「キリルは問答無用でぶっ飛ばすけど」

【だめよ、あの人に近付いたらだめ。あの人……やっぱり怖い。悪意を楽しんでいる気がする】

「でも……」

【だめ。お願い、姉さん】


 オリヴィアの必死さが珍しく、ロザリアは眉を寄せた。

 本音を言うならぶっとばすどころか息の根を止めてやりたいくらいだ。だがオリヴィアがそこまで言うのなら、それに従った方がいいのだろう。


「……わかったわよ。じゃあさっさとお仕事終わらせて、こんな場所とはおさらばしちゃいましょ」

【手を止めさせちゃったし、何でもするわ。魔力は足りてる?】

「まだ大丈夫だけど、先に分けてもらおうかしら」

【任せて】


 二人とも雰囲気を一新させるように、意識して笑みを浮かべている。お互いそれに気付いていながらも口にするような野暮はしなかった。


 窓の向こうでは風に煽られた春の花びらが舞っている。軽やかに舞う花びらは抜けるような青空に飛んでいった。



 *****


 執務室の窓を開けて窓枠に寄りかかっていたリベルトの元に、風に煽られて花びらが運ばれてくる。何の気なしに手を出すと、まるで誘いに応えたかのように花片は手の平に着地した。

 オリヴィアの髪色のような、柔らかなピンク色。指先で撫でたリベルトは、その手付きが愛でているかのようだと自覚して、窓枠に突っ伏した。


「……俺は一体何をやっているんだ」


 何に対する悪態なのか、自分でもはっきりしなかった。

 苛立つ原因は数多あった。オリヴィアを拘束していたキリルに対しては苛立ちどころじゃない。ただ、それに対して怒るだけの理由を自分は持っているのか。

 

 もしこれがロザリアだったら。

 あの姉が大人しく捕まっているとは思えないが、もし同じ状況になっていたとして。同じように出くわしたならきっと割って入るだろう。だが今のような黒い感情の波に飲み込まれるのか。

 自分への問いかけは否だった。それが何を意味するのか、さすがに自分でもわかっている。


「惚れてるとか嘘だろ、おい……」


 自嘲気味に呟きながらも、それを認めると全ての事に納得がいくのだ。

 声はなくとも穏やかに笑う顔だとか、気が弱そうに見えて中々辛辣なところだとか、共に過ごす夜の優しさを思い浮かべる度に胸の奥が軋んでいく。

 王と、仕える者という関係性でなかったら、あの場でキリルの命だって奪っていたかもしれない。拘束されるオリヴィアを思い出すだけで、ふつふつと怒りが再燃する。


 その怒りを沈めたのも、記憶の中のオリヴィアだった。『信じてくれるって言ったのに』と表情を無くしたオリヴィア。

 いや、無くしたんじゃない。あの碧の瞳には自分に対する失望があった。


 信じると言ったのに。

 自分の事を信じろと言いながら、オリヴィアを信じられなかった自分が腹立たしい。


「……調べてみるか。あいつがああいうなら、きっと何かあるんだろ」


 一人ごちると、手の平で包んでいた花びらに目線を落とす。そっと指先でなぞると擽られて身を捩るかのように、風に乗って飛んでしまった。

 リベルトは見えなくなるまでそれを眺めていた。ピンクの髪を持つ彼女が、同じように飛んでいかないようにと願いながら。

 自分の手の届かないところへ、消えてしまわないようにと。



 *****


 風が庭園を吹き抜ける。

 庭園で薔薇のアーチを整えていたキリルは、両手を天に大きく伸びをした。ふと薔薇の葉にピンク色の花びらがくっついている事に気付くと、それを指先で摘まんで陽に透かした。

 今の風で飛んできたんだろうかと、目を細める。


 その花片の色合いがオリヴィアを思い起こさせて、キリルは喉奥で低く笑った。

 思った以上に細い手首は、あと少しでも力を加えたら折れてしまいそうだった。こちらを睨む緑がかった青い瞳は、怯えていながらも屈しまいとしているようで、余計にキリルの嗜虐心を煽ってくれる。


「ほんっと、堪んないよね」


 思い出すだけで体が震えて熱を持つ。

 それにあの魔力。姉を稀代の魔女と持て囃すこの城の連中は、あの魔力に気付いていないのか。確かに姉は優秀な魔女で、他に肩を並べられる者はいないのだろう。だが魔力量なら妹の方が遥かに上だ。あの妹が魔法を使えたなら、きっと一番の魔女になっただろうに。


 キリルは摘まんでいた花びらに、先割れした舌を這わせた。花蜜が残っているようで仄かに甘い。


「それにしても、あの竜王様の顔。いいもの見れたかもしれない」


 割り込んできた時の竜王は明らかに嫉妬をしていた。怒りに身を委ねずに、自制出来ていたのはさすがは時代の強者か。

 突き刺さるような殺気を思い返して、キリルの口元が笑みに歪む。


「欲しいな。……うん、


 花びらを口の中に入れる。なぶるように舌で転がしてからゆっくりと飲み込む。

 キリルは機嫌良く歌を口ずさみながら、薔薇の剪定に戻った。口の中に残る甘さにオリヴィアを思い浮かべながら。


 

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