白塗り仮面(その4)
奉行所には、与力と同心あわせて二百五十人ほどしかいない。
葺屋町の桐座を見張るのは、いい出しっぺの岡埜が抱える岡っ引きたちがやるしかなかった。
黒門町の甚吉親分は、勝手に昼から夕方にかけての見張り番を取り、そのあとは新米目明しの浮多郎と下っ引きの与太に押しつけられた。
浮多郎は夜の張り番の前に、池之端あたりに多いという陰間茶屋を一軒ずつ聞き込みに回った。
・・・驚いたのは、どこの陰間茶屋も、浮多郎の美男ぶりを見た遣手が、陰間の売り込みに来たと勝手に思い込み、即座に日払いで日当いくらとか、ひとり相手でいくらとか、悪くないお手当を口にすることだった。
女郎屋と同じように、陰間茶屋も美男の陰間を抱えてけっこういい商売をしていることがよく分かったが、抱え陰間がふたりもいなくなったという話は、聞こえてこなかった。
『これは、河岸を変えるしかないかな・・・』と、浮多郎は重い足取りで、葺屋町へ向かった。
てっきり、桐座の裏路地あたりに張り付くのかと思ったが、不意に現れた下っ引きの長次が、桐座の真向いの芝居の土産物屋の二階へ案内した。
「よう、泪橋の、ご苦労だな」
黒門町の甚吉親分は、酒杯を片手に与太相手に捕物自慢をしていたようだが、西日をまともに受けて、顔は真っ赤だった。
黒門町は、この土産物屋の親爺と話をつけ、二階の小部屋を見張り番に使うことを、無理矢理承諾させていた。・・・しかも、酒の呑み放題ときた。
「岡埜さまの思いつきに付き合わされる身にもなってみろってえもんだ。酒でも呑まなきゃあやってられんぜよ」
甚吉は、冷や酒を湯呑に注いで浮多郎に突き出したが、断られるとそれを口もとへ運んで一気に呑んだ。
「河原崎座の都座の前で、白塗り仮面の陰間をふたりも殺したから、次が桐座の前なんてえことは金輪際あることじゃねえ。この黒門町の甚吉、首をかけてもいい・・・」
呂律の回らなくなった舌でまくし立てる甚吉親分、今宵はただ酒のまわりがだいぶ早い。
「池の端の陰間茶屋を回りやしたが、行方の知れない陰間のことなんぞ、これっぽっちも漏れて来ません」と、浮多郎が愚痴ると、
「上野にその道の同好の士が出会う場所がある、そこからまっすぐ池之端の出会い茶屋へ向かうのさ。金のないやつは、寛永寺の境内の繁みで手っとり早く済ます」
今夜の甚吉親分は、めずらしく饒舌で、抱え陰間の茶屋は、意外と鶯谷近くに軒を並べていると教えてくれた。
甚吉親分と手下の長次が引き上げたあと、暗くなりかけた土産物屋の二階で、浮多郎と与太は蕎麦をすすり、お茶を呑み、桐座の前を見張った。
大評判の「敵討乗合話」の公演がはね、小屋から吐き出された観客が散り、日が暮れると、小屋の前はひとの通りはまばらになった。
・・・戌の刻を回ると、ほとんどひとの通りは絶えた。
与太は、こくりこくりと舟をこぎ出した。
浮多郎も、甚吉親分と同じく、『岡埜同心の思いつきに付き合わされるのはたまらねえな』という気持ちが、夜が更けるとともに強くなっていった。
・・・気が付くと、夜が明けていた。
朝の光をいっぱいに浴びる桐座の前では、・・・何も起こってはいない。
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