寛政捕物夜話(第十夜・白塗り仮面)

藤英二

白塗り仮面(その1)

京橋たもとの呉服屋・越前屋の女房のお恒は大の歌舞伎好きだ。

今いちばんの評判の「恋女房染分手綱」を見ようと、・・・ならば一番乗りしてやろうかと、女中のお兼を従えて日が昇るのとともに木挽町へやってきた。

『舞台真ん前の、切り落としにかぶりついて、役者の唾を浴びながら見るのが、通なんだよう。そのためには、一番に並ばなくちゃあ』

などと、お恒はいっぱしの好事家ぶっている。

が、じつは相当な近目なので、そこでなければ役者の顔どころか、立ち姿すらまともに見えないのだ。

いそいそと、まだ薄暗がりの河原崎座にやってきたお恒は、何かにけつまずき、前のめりに倒れた。

「何だいこれは、朝っぱらから酔っぱらいが寝転がって・・・」

仰向けに寝転がる男に触って、

「しかも丸裸だよう・・・」

などと、ぶつぶついっていたお恒は、「キャー」と叫び声をあげた。

「死んどるよ!死んどるよ!」

四つん這いになって、逃げだすお恒。

叫び声を聞いた河原崎座の裏方たちが、ばらばらと駆けつけてきた。

・・・褌もしてない丸裸の男が転がっていた。

鬼次の江戸兵衛の大首絵が小柄で胸にとめられ、顔は江戸兵衛の白塗りだった。

「たいへんだ、三代目が殺された」

そう叫んだ裏方のひとりが、いきなり銀座の番屋に向かって駆け出した。

―南町奉行所同心の岡埜吉右衛門が小者を引き連れてやってきたころ、『殺されたのは、鬼次師匠ではない。師匠は、小網町の家で無事だった』と裏方たちが口にしていた。

かけてあった菰を剥いだ岡埜は、胸に止められた写楽の江戸兵衛の大首絵と、白塗りの顔を見て、

「じゃあ、このチンコ丸出しの白塗り仮面は誰なんでい?」

と首をひねった。

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