17 陸先輩と真希ちゃんの関係

『俺……の、こと、真希は、覚えて、なかった……』


 もうすぐ俺の番だ……。

 何を言おう? いまさらながら俺は焦り始める。

 何も考えていなかった……。

 真希の活動もよく知らないし。

 CDはすごかったけど、何がすごかったのかを言えるほどの語彙力もない。

 時間は、十秒。

 迷っていたら、すぐに終わってしまう。

 どうしよう、決まらない……!

「次の方ーどうぞー」

 俺の番だ――

 こぶしを握り締めて自分を奮い立たせる。

 そして、真希のほうを向いた。

 だけど俺が口を開くよりも前に真希が話しかけた。

「はじめまして、ですよね? 来てくれてありがとうございます! どこで私を知ってくれたんですか?」

 花が咲くように微笑む、目の前の人。

 真希じゃ、ない……?

 いや、もちろん、真希は真希だ。声だって、容姿だって、なんだって、同じ。昔の真希がちょっと大人っぽくなったくらいで、ほとんど変わらない。真希本人だってわかる。だけど――

 はじめまして、じゃないのに……!

 俺はそんな気持ちをおさえて絞り出すように声を出す。

 頭が真っ白になって自分が何をしたいのかわからなくなった。

「知り合いに、大ファンの人がいて。あの、俺、あなたにそっくりな知り合いがいたので、それで——」

 何を言っているのかもよく分からなかった。

「はい、ありがとうございましたー」と大きな男の人に真希から強制的に離される。俺の時間が無くなったのか。


 どういうことだ、俺は、真希の知り合いなのに。

 真希は、気づいてないのか?

 俺だっていうことに。

 俺は真希の幼馴染で、ずっと一緒に過ごしてきたのに。

 ぱっと振り返ってみた真希は、俺のことなど気にしていないようだった。

 次のファンの人ににこやかに対応している。

 俺の時よりも、柔らかい表情だ……。

 いやいや、俺はかぶりを振る。

 そんなはずはない、俺の勘違いだ、きっと。

 何回も来てるファンの人なんだ、きっと。

 でも――

 真希が俺のことを覚えていないのは、確か、だよな……?

 そんなことはないと思いたいけれど、どうしても、そんな風に思えない。

 さっきのあの顔。俺の知ってる真希の顔じゃなかった……。

 俺は逃げるようにその場を立ち去った。


『と、とにかくすみがちゃんと陸先輩を連れて帰るので安心してください!』

 すみちゃんは電話を切る。


 そっか。

 やっぱり、真希ちゃんは陸先輩のことなんて、気にしてなかったんだよ。

 だって、芸能界で食べていくにはそんなこと考える余裕なんて、ないはずだもん。

 私は、自分の考えが間違ってなかったと思いながらも、真希ちゃんに覚えていてほしかった自分がいることに気が付く。

 幼馴染の陸先輩のことですら、覚えてないんだよ……?

 ただの書道教室の後輩だった私のことなんて、もちろん覚えていないに、決まってるじゃん……。

「梨々花ちゃん……」

 ふと、このはちゃんが私に手を伸ばしてきて、優しく抱きしめる。

 涙を拭ってくれた。

 ―—私、泣いてたんだ……。

「大丈夫、ありがとう」

 何が大丈夫だか、自分でもわからないけれど。

 気づけばそう、口にしていた。

「梨々花ちゃん。強がらなくていいよ」

 このはちゃんは、耳元で、しっかりとつぶやく。

 私はこのはちゃんのやさしさにありがとう、と感謝した。

 私、このはちゃんに下手だって、言っちゃいけないこと言ったのに。

 このはちゃんはそれでも、私のことを尊敬してくれていて。今は、みんなと変わらない態度で接してくれている。

 ありがとう。

 ……そう、だよ。真希ちゃんは私のことを覚えていなくても、気にしていなくても、もういいじゃないか。

 私だって忘れればいいだけの話、だもん。

 今はこんなにやさしい、いい友達がいるんだよ。

 それなのに。もう、会わないであろう真希ちゃんのことで悩むなんて、友達失格だよ……。

 でも。

 そう思えば思うほど涙が止まらなくなって。

 どうしてだろう、って考えるまでもなかった。

 やっぱり私、真希ちゃんのこと、忘れられない、よ……。

 ずっと覚えていたい。

 また会いたい。

 ねぇ、真希ちゃん。私、書道頑張っているんだよ。

 真希ちゃんの約束、まだ果たせてないけど、いつかは絶対果たしてみせるよ。

 なのに、なんで、真希ちゃんは私のこと、忘れちゃったの……?


 真希ちゃんだけじゃない。

 悠希くんにも、同じ気持ちを抱いている。

 胸の底からフツフツと湧き上がってくる、不安。

 悠希くんのことも、忘れられないよ。

 だって、私、悠希くんのこと、今でも大好きだもん。

 忘れてほしくない、けど。

 でも、悠希くんだって……。

 ううん、と私はかぶりを振る。

 違う、まだそうと決まったわけじゃない。

 会って、確かめる?

 けど、忘れられていたら……と思うと。陸先輩と同じ気持ちにならなくちゃいけないと思うと、やっぱり無理だって思ってしまう。

 恐怖が私を襲う。

 その時、夢佳先輩も私に抱き着いた。

「梨々花ちゃん。私はね、陸はあきらめないと思うんだ。今はあんな感じになっちゃったし、すぐ弱気になるんだけどね。あいつ、結局自分が進みたい道を、進むんだ。納得するまで、行くの。梨々花ちゃんも、まだ、あきらめきれないんじゃない? 大切な人なんだよね? 陸がまーちゃんのことを想う気持ちと、梨々花ちゃんが悠希くんのことを想う気持ちは、きっと同じくらい強いって思うよ」

 私ははっとして顔を上げる。

 涙を拭って、強く、頷いた。

 夢佳先輩は、首をちょこんと斜めにして、ニコッと笑った。

「私は梨々花ちゃんに、ひどいことしちゃったからさ……、少しでも、力になりたいって思う。まーちゃんや、悠希くんに何か言われたとしても、私たちがいるから」

 隣でこのはちゃんが大きく頷く。

「陸じゃないけどさ、……後悔しない道を、進みなよ」

「ありがとう……!」

「あ、私は先輩なんだから、敬語は忘れずに」

「は、はい!」

「へへ~、夢佳ちゃんは夢佳ちゃんだもんね~。敬語なんか使わないよ~」

「……このははもうあきらめたわよ」

「あ、このは呼びになってる!」

 夢佳先輩はちょっと顔を赤らめて……

「このはは、このは! ちゃんなんてつけない方がしっくりくるわ!」

 二人とも、ありがとう。

 書道部に入った時は、たくさん悩んで、たくさん後悔したけど、今はみんなに会えてとってもよかったって思ってる。

 本当に、ありがとう。

 夢佳先輩は窓まで歩いて行ってカーテンを開けると……外は真っ暗だ。

 慌てて時計を見ると、もう7時だ。

「大変だ。もうこんな時間。……梨々花ちゃんは、足もう直ったんだよね?」

 少し申し訳なさそうに夢佳先輩が尋ねる。

「はい。自転車で来ました」

「よかった……。ごめんね」

「いえ……気にしないでください」

「ありがとう。……このはと梨々花ちゃんは途中まで帰り道同じだよね? 私が送るよ」

「ありがとう!」

「ありがとうございます」

 そして、途中まで私たちは一緒に帰ったんだ。

 このはちゃんとも別れて、家に帰ったら、お母さんから遅いって怒られちゃった。……まあ、そうだよね。私もこんなに遅くなるなんて思ってなかったし。

 私は夜ご飯を温めて、食べて、お風呂にも入って、ゆっくり過ごしていたけど……。

 実はその時、大変なことが起こっていた――と知ったのは次の月曜日。

 全アニメオタク、声優オタクに大きな衝撃をもたらしたある事件が、週刊誌で、報道されたんだ。








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