第4話 招かれざる客

 僕はその時、文字通り飛び上がった。ドキドキドキ。心臓が激しい鼓動を始める。さっきの怪物が僕を家までつけて来たんじゃないかと疑った。そのまま動くこともできずにいると、また呼び鈴が鳴らされる。今度は何度も鳴った。ピンポンピンポンピンポン。


 電子音が鳴り響くなか、僕はようやくあることに気が付いた。もし、相手が怪物なら律義に呼び鈴を押したりするだろうか? 一方でこのしつこい押し方には何か現実離れというか浮世離れしたものを感じてしまう。僕は悩んだ末にドアについたのぞき穴から外を見てみた。


 最初は何も見えないかと思ったが、しばらくすると向こうから誰かが覗いているのだということが分かり、僕の膝はまたガクガクと震えはじめる。傍らに抱えたノートパソコンは光を放っていない。もうダメかもしれない。奇跡は一度しか起きないんだ。しゃくりあげそうになる僕の耳に小さな声が聞こえてくる。


「ちょっと、そこにいるのは分かってるの。ここを開けなさい」

 声を潜めていたが、この声には聞き覚えがあった。昼間に僕が遭遇した謎の女性。僕にノートパソコンを10万円で売りつけた女性だった。喉にからまった何かを取り除くために咳払いをする。


「何か御用ですか?」

「御用ですかじゃないわよ。代金の支払いをしてもらいに来たの。さっきは前払いで2千円しかもらってないでしょ。残りを貰いに来たの」

 僕は膝から崩れ落ちそうになるのをこらえながら、それでも念のために質問する。


「変な爪を生やした怪物がいない?」

「何を訳の分からないことを。そんなのがここにいるわけないでしょ」

 そうだよな。さっきのはきっと夢だったんだ。僕は扉から体を離して扉を開ける。


 待たされて感情を害したのかあの女性は少し目を吊り上げていた。

「いつまで女性を待たせるつもりなの」

「すいません」

「新巻さん。爪を生やした化物、説鬼は逢魔が時にしか現れないわ」


 扉の隙間からすっと入ってきた女性はしれっと恐ろしい事を言ってのける。

「説鬼?」

「そうよ。説鬼。あなた、傷を付けられた相手の事をもう忘れちゃったの?」

「傷?」


「その頬を傷よ。まだうっすらと残ってるわよ。明日には消えると思うけど」

「え? さっきのあれは夢じゃないのか?」

「こんなところで立ち話? まったくマナーがなってないわね」

「あ。ああ。すいません。上がってください」

「それじゃ、お邪魔します」


 女性は靴を脱いで玄関から廊下に上がる。そして僕を振り返った。慌てて僕も靴を脱ぎ女性を煽動してリビングダイニングに案内した。テーブルにつくように勧めると女性は椅子を引いてちょこんと腰掛ける。

「それじゃ」


 女性は手の平を上にして僕の方に差し出す。僕は店のレジまで行ってお金をとってくると女性に渡した。

「当節、色々と物入りなので」

 女性は言い訳するように言った。


 しばらく、無言のままお互いに見つめ合う。女性はため息をつく。

「新巻さん。女性を家に上げておいて飲み物も出して頂けないのかしら。こういうことを私の口から言わせないで欲しいのですけれど」

「あ。気が利かないですいません」


 僕は慌てて再び店まで行くとマシンを動かしてエスプレッソを淹れる。たちまちのうちにいい香りが漂った。シンプルな真っ白な厚手のデミタスカップをソーサーに乗せる。その時、思いついて冷蔵庫からプリンを取り出した。フレンチトーストを作るついでに作ったものの残りだ。


 銀のトレイに乗せてリビングに戻る。女性にエスプレッソとプリンを出した。

「どうぞ」

「あら。飲み物以外の物も出して頂いて悪いわね」

 ちっとも申し訳なさそうな様子を見せずに女性はプリンにスプーンを入れて口に運んだ。


「あら。想像以上に美味しいわ」

「ありがとうございます」

「特別に分割払いを認めた甲斐があったというものね」

 澄ました顔で言い、エスプレッソに口を付ける。


「これも悪くないわ」

「それはどうも」

 女性はプリンを食べ終えて、エスプレッソを飲み干す。僕もエスプレッソに口を付ける。暖かいものが喉を滑り落ち、ほっと一息をついた。


 その穏やかな時間をぶち壊す発言が女性から飛び出す。

「今日は取りあえず生き延びたようでおめでとうございます。私が目を付けただけのことはあるようですわね。これからも頑張ってくださいね」

「これからも?」


「ええ。晦日前の逢魔が時に月が血の涙を流すとき、説鬼はあなたの前に現れるでしょう」

 女性は歌うように言う。

「またあの怪物が?」


「ええ」

「なぜ僕の所に現れるんだ?」

「さあ。それは何故でしょうね。あなたの体から漂う物語の香りに惹かれてやって来るのかもしれません」


「やめてくれ。今日だってあの男性がいなければ僕は死んでいた」

「だから、これをお譲りしたのでしょう?」

 テーブルの上に置いたごついノートパソコンを指さす。

「これはあなたが作り出した者に仮初の現身を与え呼び出すためのもの」


「どういうこと? それにあの多面体は何なんだ?」

「あの10面体はあなたの物語とあなたを結びつけるための特別な番号です。赤が10の位、オレンジが1の位を表します」

 女性はノートパソコンを見つめる。


「今日のあなたのラッキーナンバーは28。つまり、あなたの最新の話から28番目に古いお話の登場人物を呼び出したのです」

「え?」

「あら。もうお忘れなの? 『なんとなくブラジル』。艶っぽいお話でしたわね」

 女性はそう言って目を細めた。

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