第2話 立ち話

 神の石。それは天空に住まう神が所有する七色に光る宝石、およびそれを取り扱った一つの神話を指す。

 神は七色の宝石を磨くように天使へと言いつける。しかし天使は不注意で宝石を下界に落としてしまう。こうして落下していく宝石の軌道が七色に光る様を、下界に住む人々は虹と呼ぶのである。

 運良く虹の根本を歩いていた者だけが、その宝石を拾うことができる。そして宝石に込められた神の恩恵が、拾った者の願いを叶えると言われている。


「不思議なものだ」


 手に取った書物を閉じ、蔵道歩陸は呟いた。


「原理の不明な事象を神話にするとは……人間の想像力は全く底が見えない」


 灰色に舗装された地面、壁のように整列する木造建築。蔵道の知る現代とはまるで異なる町の様式に、彼は改めて現実を認識する。あれから既に二週間が経過していた。


「へへ……兄さん、転生者ですかい?」


 蔵道に書物─商品の見本サンプルだが─を見せた男は、染みだらけの痩せこけた顔で怪しく笑った。


「えぇ、まぁ。……そう見えるのは雰囲気ですか?」

「本を読んでる表情で分かりまさぁ、何も知らねぇんですから。へっへっへ、文字が読めねぇよりかはマシですがね」


 なるほどな、と蔵道は納得する。どうやら神の石の神話は、この辺では常識らしい。


「それにしても言語や文字が通じるとは……作為めいたものを感じるな」


 この世界の人間は、天まで届くバベルの塔を建設しなかったのかもしれない。そう考えながら蔵道は苦笑する。


「どうかしましたかい?」

「いいえ……いつのまにか神話と現実を混同している自分がいたものですから」


 その言葉にピクリと男の眉が反応する。


「兄さん、まぁ……確かに神の石は神話として語り継がれていますがね。それを空想だなんて一笑するのはオススメしませんぜ」

「……すみません。失礼な発言でした」

「そうじゃあ、ありません。ちょうどそこに……」


 男は横目でチラリと遠くを見る。その方向には道端で立ち話をしている人々の光景があった。

 口を動かしているのは二人だけで、それ以外は一歩引いた距離で立っている。どうやら貴族同士の立ち話のようだ。

 片方の付き人たちの格好には見覚えがある。この村の兵士だろう。


「あの二人が何か?」

「向かって右の……痩せ型の方がね、持ってるんですよ」

「持ってる?」

「えぇ、実物をね」

「そうなんですか……」


 にわかには信じられない話だ、と蔵道は思った。ただ二人の貴族を見比べると、少しだけ腑に落ちる部分もあった。

 二人の体型はまるで真逆だった。左側に立つ貴族は丸々と肥え太り、豊満な毛髪と顎髭あごひげが備わっている。

 一方で神の石を所有すると言われるもう片方の貴族は、禿げ上がった頭に加えて、付き人と遜色ない標準的な体格をしていた。その体を包む衣服はよく見ると皺が目立ち、宝飾品で着飾ることで見栄えを取り繕っている。その様子からは、ごく最近になって富を得たような“贅沢の不慣れさ”が伝わってくる。


「その劇的な変化を生んだのが神の石なのか……」

「レクシド・カストーレ卿。二週間ほど前、このノイセ村にやってきた貴族でさぁ。村の中心に豪勢な館を構えて宝石商をしているそうでね。村の兵士たちは全員、配下になっちまいましたよ。まぁ、神の石を持ってる奴に逆らおうなんて人は、こんな郊外にはいませんがね」

「……二週間前?」


「おい、待て!!」


 怒号が響いた。蔵道が顔を向けると、貴族たちの方向から一人の少女が走ってくるのが見える。小汚いフードを被った小柄な体つきは、まだ十にも満たないように感じた。

 その向こう側では付き人たちがあたふたと地面に膝をついている。どうやら少女がぶつかったために、宝石をばら撒いてしまったようだ。


「何をしておる!早く追え!」


 顔を真赤にして怒るレクシドの声に、数人の付き人が少女を追って走り出す。


「あっ!!」


 少女は焦ったのか、後ろを振り向いた拍子に転倒してしまった。同時にその右手から丸い物が零れ落ち、蔵道の足元まで転がってきた。


「これは……?」


 蔵道は転がってきた“それ”を拾うと、落とし主の方を見た。彼女の表情には覚えがある。悪いことが露見した時の表情、教育者としては見慣れたものだ。もっとも、この世界ではお説教などという生易しいものではないだろうが。


「静かに」


 人差し指を立てて黙秘を促し、蔵道は拾った物を胸ポケットにしまった。

 直後、少女は付き人たちに取り押さえられた。遅れて息を切らせてきたレクシドが怒りのままに叫ぶ。


「ホームレスのガキめ!盗んだ物を返せ!」

「し、知らないよ!」


 少女は足をばたつかせ、抵抗の意思を見せながら訴えた。


「あたしが何を盗んだって言うんだ!ぶつかっただけだ、あたしは何も持っていない!」

「なんだと!?そんな出任せを……」

「……確かに手ぶらです」


 付き人の一人が無遠慮に少女の体をまさぐり、首を横に降った。少女の衣服は見窄みすぼらしく、ポケットすらついていない。何かを隠し持っているなどとは考えられなかった。

 だがレクシドは引き下がらずに問い詰め続ける。


「嘘をつけ!何を盗んだか知らんが、盗んだに決まっているんだ!どこに隠した、口の中か!?」

「だから盗んでないって!」

「レクシド卿、マロウ卿が見ておられます。貧しい身なりとはいえ盗んだと決まったわけではありませんし、ここはどうか……」

「ぬぅぅぅぅ……!!」


 レクシドが振り返ると、もう一人の貴族の微笑が見えた。

 これはこれは無様な方がいるものだな。声に出さねど、その表情が物語っている。


「行きましょう」

「……いや、待て!」


 少女を解放した付き人を無視し、レクシドが再び振り返る。その怒りの眼差しが止まったのは少女ではなく蔵道だった。


「お前だ。さっき、そのポケットに何かを入れたように見えた」

「え……」


 蔵道への問いかけにも関わらず、少女が狼狽したのをレクシドは見逃さなかった。

 付き人たちも思わず身構える。


「見せろ、私の宝石でなければ見逃してやる……!」

「…………」


 蔵道の右手がゆっくりと胸ポケットへ向かっていく。


がどうかしましたか?」




 レクシドは口をポカンと開いたまま、蔵道の手の中を見つめた。木製の細い柱に囲まれた透明な容器の中で、淡黄色の粒子がサラサラと流れている。その物体はどう見ても宝石と呼べる物ではなかった。


「これは砂時計……?」

「その子が落としたんですよ……あなたの物ですか?」

「…………」


 どこからか笑い声が聞こえた。それがレクシドの勇み足を蔑んでいるものだということは容易に想像できた。


「ちっ、戻るぞ」


 諦めをつけて踵を返すレクシドに蔵道は一言、どうもと添えた。次いでレクシド同様に目を白黒させる少女に告げる。


「これに懲りたらもう盗みは止めなさい。いいね?」

「ま、待ってよ!をどこにやったの……!?」

「君が知る必要は無い。私が責任を持って返しておくよ」


 蔵道はそう言うと、砂時計を再び胸ポケットにしまった。

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