第20話

 レウムの引くエレオスのストラ。白い布に不思議な紋様の刺繍が金と緑の糸で施されたそれは、コバルティアの教会で神父が必ず身につけているものだった。エレオス曰く、結界を学ぶ上で一番大切なものだ、と式を習う神父たちに一番最初に渡されるものらしい。

 「よく見て、この紋様。その魔法陣に似ていないか?」

 そう言う彼の指が示すのはストラの先端に描かれた紋様。丸い円の中にはさまざまな図形が描かれ、一番外側の円にはひし形が重ねられている。エレオスはすかさずストラを外すと、まばたきもせずにじっと描かれた紋様を見つめた。

 「レオ!解が2の式あったよ!」

 ヴェーチェルが言うや否やエレオスはすぐさま式の書かれた紙をとりあげた。そしてすぐにその紙の端に迷いなく図形を描き、やがてピタリと手が止まった。

 「これだ…」

 歓喜のためか震えの止まらない手で紙を目の前に掲げる。その重なりあった魔法陣はとても複雑で、エレオス以外の三人にはそれが正しい形かどうかはわからなかった。しかし、彼は確かにそれがこの魔法陣の正しい形なのだと確信し、口の端をつり上げて不敵に笑って見せた。

 突然左手の白い手袋を外した彼は、そのまま何かを口ずさみ指を手のひら上に滑らせ始めた。彼の左手のひらに刻まれた魔法陣の上で指が動く。同時に、そこに生じた青白い光が徐々に輝きを増していく。

 「……解呪 《アプロ・リベラ》」

 ポツリとエレオスが呟いた瞬間、扉の魔法陣が一際強く光り出した。あまりの眩しさに四人が思わず目を閉ざしたその時、彼らの耳にカチャリと微かに何かが開く音が聞こえる。逸る気持ちを抑え光が収まるのを待っておそるおそる目を開くと、うっすらと扉が開き中から微かな灯りが漏れだしているのが見えるではないか。

 「やったあぁっ!!」

 声をあげて喜んだのはヴェーチェルとジズだった。エレオスはというと、疲労困憊といった表情でその場に座り込み深々と息を吐いていた。その肩をレウムが軽く叩き彼の努力を労う。

 「とんだ骨折り損だ。ストラの紋様が形も順番も表してるなんざ聞いてねぇぞ。こんなことなら、あんな時間かけて式を解く必要なかったじゃねぇか」

 「そんなことないよ神父、君の解いた式がなければストラの紋様にも気がつかなかった。無駄なことなんてないよ」

 とにかく開いてよかったよとレウムは続けた。その表情は心なしか嬉しそうにも安心したようにも見える。そうだそうだとヴェーチェルとジズも頷く。エレオスは恥ずかしそうにうつ向くと、くすぐったからやめろとポツリと呟いた。

 「さてと、無事に開いたことだし、中入ってもいいのかな?」

 「君たちの体力が持つなら構わないよ」

 「じゃあ、俺はちょっとひと休みするわ。小難しい本のこととかはお前らに任せた」

 早く入りたくて仕方がないヴェーチェルを尻目に、エレオスは布の上に散らかされた紙を退けることもせず仰向けに倒れ込んだ。仕方がない、結界を解くための魔法はもちろん魔法陣を導くための式もずっと立てていたのだ。他の三人よりも疲労しているのも当然のことである。ここは少し休ませてやるのが優しさだろう。が……。

 「何言ってんの、この先にあるのは開祖の残した本の壁だよ!?入らないなんてもったいない!」

 「散々こき使ったんだからひと休みぐらいさせろ、紙魚野郎」

 ブチッ。二人を無視して旧図書館に入ろうとしていたジズは確かにその音を聞いた。否、実際に聞こえたわけではないのだが……。とにかく巻き込まれないうちにさっさと逃げてしまおうと彼は黙ってレウムの手を引く。手を引かれた当人が不思議そうにこちらを見てくるので、ジズは関わらない方がいいという意味で首を左右に振って見せた。なおも不思議そうな表情でレウムが口を開こうとした時、唐突にそれは始まった。

 「はぁ!?言うに事欠いて紙魚とはなんだ紙魚とは!!」

 「はっ!何だよ、ほめてんだぜ?てめぇ本が大好きだもんな!」

 「そういうの皮肉って言うんだよ、このバカラス!」

 「てめぇのそれだって皮肉だろうが!!」

 怒号と共に先に手を出したのはエレオスだった。彼はとても大切なはずの教典を取り出すと、あろうことかそれを武器にヴェーチェルに殴りかかったのだ。これには本を愛する優しい司書のヴェーチェルもさすがに頭にきたらしい。

 「本を粗末に扱うなーっ!!」

 「うるせぇっ!俺の教典を俺がどう扱おうが勝手だろっ!」

 なんとも不毛な争いである。

 「ねぇ、止めなくていいの?今にも殴り合いそうなんだけど」

 「あー、いつものことだからいいよ。そんなことより早く灯明見たいんだけどなぁ……」

 ジズは盛大なため息をつきながら言うと、レウムが微かに笑った。

 「医者は歳一番下なんでしょ?何だかどちらが兄さんなのかわからないね」

 「そうなんだよねぇ、本当に面倒くさい兄貴分たちだよ。ねぇ、もう二人はほっといてさ、俺ら先に入ろうよ」

 呆れたように言うジズを見るレウムはそうだねと楽しそうな声で返してきた。三人を見る彼の表情はどこか寂しく、またうらやましそうだった。






 さて、宣言通りジズとレウムの二人は扉をくぐって旧図書館の中に足を踏み入れた。表からはまだギャアギャアと言い争う声がする。恐らくこの後しばらく続くだろう。もう一度深々とため息をついてから、気を取り直し旧図書館内部に視線を巡らせてみる。

 「……すごい蔵書数だね」

 壁一面には居住まいを正した本たちがいた。四方八方、足元から天井まできちんと並んでこちらを見下ろしている。さらにジズの腰ぐらいの高さの本棚が至るところに整列してこちらを凝視してくる。それはまさに本の壁、想像を絶する光景だった。

 正直なところ、ジズは旧図書館の規模は現図書館に敵うはずがないとたかをくくっていたのだ。あなどっていた、現図書館の蔵書数など足元にも及ばない。まだ外でケンカしているヴェーチェルがここに入ってきたら驚きのあまり卒倒するに違いない。

 しかしジズが一番驚いたのはそこではなかった。

 「……ねぇ、レウム。どうしてここはこんなに明るいの?」

 そう、きちんと整列して出迎える本たちの姿がはっきりと見えるのだ。こんなに明るい空間がこの世に存在していることが信じられなかった。夜光草をいくつ集めたらこんなに明るくなるのだろうか。思わず考えずにはいられないほど、光が空間に満ち満ちていた。

 「あれだよ」

 指で示された先にあったのは床に埋め込まれた容れ物、よく見るとそれは至るところに点在していた。本棚の上、天井、床、壁、階段の踊り場。夜光草の放つ寒色の光とは正反対の暖色のそれが容れ物の中で微かに揺れている。

 「あれが灯りの魔法で作られたかつての灯り、君たちの言う灯明だよ」

 

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