第43話 フェイク・オーバー

【前回のあらすじ】

 ルカとマシューとの交戦のさなか、撃沈したはずのブルーポラリス号が彼女の窮地に突如として現れた。「赤鬼」は圧殺された。




 ルカは彼らの元へと急いだ。

 マーキュリー号だって、半壊の憂き目に遭っているというのに。


 間違いない。ブルーポラリス号だ。

 それさえ分かれば、もはやあとのことなどどうでもいい。真っ直ぐだ。ひたすら真っ直ぐ。ルカは家族のもとに辿り着きたい一心でスクリューを回す。


「マーキュリー! もうちょとだけ頑張ってえ!」


 腕が飛んでも、脚がもがれても構わない。だってあのひとがいるんだもの。ルカは心でそう叫びながら恐怖と戦った。もしあれがただの幽霊船で、勝手に動いていただけだとしたら。彼はもういない。もしすべてが幻なんだとしたら――。


 そんな詮無いことを巡らせては、思いとどまり。

 ついにブルーポラリス号のもとへとやってきた。近くで見るとダメージが一層ひどく感じられる。本当にみんな大丈夫なのだろうか。


 ルカが不安に押しつぶされそうになりながら周囲を旋廻していると、やがてブルーポラリス号の底部ハッチが開放された。


 ごぶっと船内から空気が漏れ出し、一瞬、横転しそうになる。するとすかさずトリムを取ろうと別のベントが開き、帳尻を合わせた。ルカはそのまま一目散に格納庫へと飛び込んだ。


「ホァン!」


「ルカ!」


 桟橋など乗り越えて、直接彼の胸へと飛び込んだ。生きてる。この匂い、この温もり。ルカと呼ぶ声。間違いなく彼だ。

 世界一大好きな――。


「ホァンホァンホァンホァンホァンホァン! もうバカァ!」


「最後のいらなくねっ」


「死んじゃったと思ったンだからね! どうして連絡ひとつ寄越さなかったのよお!」


 泣きじゃくるルカに面を食らったのか、いつも歯切れの悪いホァンが輪を掛けて口下手になる。ギュッと抱き締められた感触に身を委ねたくとも、ルカにはそれが気になっていまいち楽になれない。

 安堵の気持ちもあったのか、ギュッはいつのまにか、いつものムギュッに変わっていった。


「痛い、イタイ、いたい! 分かった! 分かったからホッペタつねんないで!」


「じゃあ吐け! いますぐ! なにもかも!」


「もう相変わらずだなぁ……」


「なに?」


「いいえ、なにも! で、あの時のことなんだけど、マシューの裏切りに気付いた船長の指示でね『死んだふり』をしたのさ。わざと廃油撒いたり、いらない鉄板捨てたり結構忙しかった~」


「死んだふり?」


「そう。あれだけの弾幕張られちゃうと、マリナーなしじゃ回避出来ないからさ。もう撃沈されちゃったことにして、しばらく隠れてようってことで、深度一二〇〇メートルでジッとしてたんだよ。お陰で船体ぼこぼこで、タツ爺がまあ機嫌の悪いこと」


「え……じゃ、じゃあどうやってあのタイミングで? そんな深海にいたら海上うえのこと分かんないよね?」


 ルカの危機を間一髪で救ったタイミング。

 あれは偶然だけでは言い表せられない、神憑り的な登場だった。

 万にひとつの可能として、ホァンとの赤い糸がそうさせたのならロマンチックなこと、このうえないがルカはそこまで少女趣味ではない。むしろ理屈が通らないことは嫌いなタイプだ。


「テオさ」


「え? テオが?」


「そう。ベガがこの海域からいなくなった頃ぐらいとか言ってたかな? テオが急に頭が痛いって泣きはじめたんだ。深海に潜ってからそれほどひどくなかったんだけど、ずっと治らなくて」


「まさか……あの超音波兵器の影響がテオにも?」


「どうやらそうらしい。でね、さっき突然、頭痛がなくなったってテオが言うもんだから、こりゃなんかあるぞって船長が。そしたら案の定、きみとマシューが戦ってたって訳」


「そうだったんだ……」


「……ルカ?」


 理由が分かり、自分が見捨てられていた訳ではないと知ってあらためて気持ちが高揚する。安堵と、恐怖と、喜びと、幸せ。そしてすこしのむかつきがない交ぜとなった、ルカ以外理解しようのない感情が一気に噴出す。


 その矛先は当然、ホァン。

 声を上げて泣くルカの周りを、彼女の家族達が笑顔で囲んだ。





 あと、どれくらいだろうか――。


 アルフォートが計算してくれた航路図と、深度計を目にしながらミレニアは思う。あれほど恐ろしいと感じた深海も、これが最後の航海となれば愛しくもある。


 わたしはもうじき死ぬだろう。

 海溝の一番浅い岩壁に衝突して、細胞の一片も余すことなく海に溶け込むことが出来る。

 そうすればもう一度、あの少年に会うことが叶うだろうか。

 自らが『ワダツミ』の一部となって、彼のもとへ。


「クィント……」


 急に恐ろしくなり、思考を停止させる。もはやいかなる術をもってしても『ほしかぜ』の航行を止めることは出来ない。


 ふと覗き窓を眺めて陰鬱な気持ちをやり過ごす。とはいえ外はすでに一〇〇〇メートル近い深海。その視界は『ほしかぜ』の灯火装置が照らす範囲にとどまった。


 通常、二時間余を掛けて到達する一〇〇〇メートル以深の海中。それをほんの三十分ほどで潜ろうというのだから、当然船体に負担が掛かる。


 ブリッジから見える『ほしかぜ』の外装はすでにガタガタだった。

 海中に目を向けると、そこには魚達の姿が戻っていた。深海に適応した、小さな小さな生命。『ほしかぜ』の巨体をベガとでも間違えているのか、しばらくは彼らとのランデブー航行だ。


「……ん?」


 一瞬、魚達の群れに混ざり、何かが視界を横切った気がした。ミレニアはそれが気になり、覗き窓の外をよく見ようと、耐圧クリア樹脂の表面に顔を擦り付けた。頬をへこましながら眺める深海の闇。だがそこに、彼女が満足するような変化は見られなかった。


「気の……せいか……」


 嘆息をもらし、窓枠から一歩退いた瞬間だ。


「ぐっ! な、なにっ?」


 ブリッジが激しく揺れ、ミレニアは床に転倒してしまった。不用意にぶつけてしまった尻をさすりつつ、床にペタンとしゃがみ込んだ彼女。呆然とするその瞳が捉えた物は、彼女の良く知るマリナーのコクピットだった。

 小さな覗き窓から見える外の世界。その壁を隔ててあの少年がいる。


「クィント……馬鹿な……こんなところまで……」


 ハラハラと涙が流れる。

 もう戻らないと決めたのに。もう泣かないと決めたのに。

 どうしてだろう。なぜこんなにも心が安らぐのか。

 通信機からは、あの声が聞こえる。


「ミレニア!」


「……クィント……どうして……」


 来てほしくなんかなかった。彼が来てしまえば、自分がどうなってしまうか分からなかったから。すべての幕引きを、自分の小さな命ひとつであがなえれば、それでいいと思っていたのに。

 なのに彼は……。


「ミレニア! 早く脱出するんだ! もう海溝まで距離がない!」


 一度唇をグッとかみ締めたミレニアは、その場を立ち上がる。凛として通信機の前に立つ彼女の顔は、穏やかな笑みをたたえた。


「クィント……よく聞いて。わたしはこのまま艦と運命を共にする」


「な! なに馬鹿なこと言ってンだよ! 早く脱出ポッドを――」


「聞いて!」


「ミレニア……」


「クィント、おまえには本当に感謝している。どれだけ言葉を尽くしても、この想いをすべて伝えることは出来ない。ノヴァク家の人間として生まれ、軍人として育ったわたしをおまえは唯一、ただの女として扱ってくれた。これがどれだけわたしにとって意味のあることだったか、おまえには分かるか? うれしかったんだクィント……とても幸せだった」


「そんなの……そんなの、おれだってそうだ。きみが笑う時、きみが怒る時、どれだけおれがきみのこと考えてるか分かるか? どうやったら機嫌直してくれるかなとか、きみは何が好きなんだろうかとか。それこそ一日中、きみのことで頭がいっぱいな時もある」


「……」


 クィントの言葉に頬を染めるミレニア。言葉もなく耳を傾け続けた。


「きみが一体なにを思って、脱出しないと決めたのかはおれにはよう分からん! だけどそんなの絶対に納得しないからな!」


「クィント……わたしにはもう生きている価値がないんだ。愛する父を失い、ユニオンに裏切られ。もうなにを信じて生きればいいのか分からない。せめて最後に、シリウスへ一矢報いようとこの作戦を考えた。もう誰も巻き込みたくないんだ」


「そんなの勝手だ!」


「クィント……」


「生きてる価値がないなんて言うなよ! もうなにも信じらないなんて言うな! きみはこの世にひとりしかいないんだぞ! この宇宙に、ミレニア・ノヴァクの代わりなんていやしないんだ! だから死ぬな!」


「言うなクィント! もう決めたことだ! これで通信も切る、おまえも早く離脱しろ爆発に巻き込まれるぞ!」


「おい! ミレ――」


 一方的に通信を切り、会話を終わらせる。衝突目標まで、もはや二〇〇メートルを切っていた。緩やかに最後の時を刻む『ほしかぜ』のスクリュー。


 その音を身体で感じながら、ミレニアは声も出さずに泣いていた。

 クィント……クィント……。


 心の中ではずっと彼の名を呼んでいた。死への恐怖を必死で耐える。

 にわかにブリッジが揺れた。ジュピター号が船体から離れたのだろう。クィントもようやく諦めてくれたのだ。

 すこし寂しい気もするが、これでいい。最後に彼と話が出来て本当に良かった。

 ミレニアが袖口で、グッと涙を拭う。


 刹那、ズドンという轟音と共に『ほしかぜ』のブリッジの壁が突き破られた。船首方向から艦内へと突き刺さるソレは、紛れもなくマリナーのコクピットだった。その鋭利な形状を利用して、まるでくさびのように壁に食い込んでいる。


 当然、ブリッジには海水があふれ出し浸水がはじまる。いまはまだ突き刺さるマリナーが栓の役割を果たしているため、浸水の勢いも弱い。だが床は、すでにミレニアのくるぶしまで海水に浸かっていた。


 マリナーの――ジュピター号のコクピットが開いた。

 なかから顔を出したのは、やはりあの少年だった。


「おまえ! なんという無茶を!」


「無茶はおまえだ!」


「う……」


 いつになく激しいクィントに、ミレニアは引かざるを得ない。これほど激しい怒気を浴びせられるのはいつ以来だろう。最後はたしか、彼女の父親からだったはずだ。


 だが、ここで引く訳にはいかない。

 このままではクィントまで巻き込んでしまう。


「む、無茶でも何でも、これがわたしの使命なんだ! 頼むからもうほっといて」


「命を粗末にするな!」


 ジュピター号のコクピットを降りたクィントが、次第にミレニアとの距離を縮めてくる。

 海水はすでに、膝下あたりまで迫っていた。


「きみがおれに言った言葉だ。それに親方にも言われたよ。母さんは、おれを死なせるために守ったんじゃないって」


「くるなクィント……こないで……」


「言ったじゃないか。守るって。どうして自分はひとりだなんて、そんなこと……」


 抱き締められたミレニアの身体に、クィントの「熱」が伝わる。

 あたたかい――そんな単純なことに涙した。

 生きたい。これからもこのひとと。もっと先の未来まで。


「帰ろうミレニア。『おれたちの世界』へ」


「……うん」



〈つづく〉

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