第41話 絶望

【前回のあらすじ】

 クィントとルカの復讐がはじまる。ユニオンが使う巨大なノイズ発生装置を破壊した。海中に漂う爆炎のなかに、マシューは現れた。




「超音波発生装置が破壊されました! 『赤鬼』は賊と接触、そのまま交戦状態に入った模様でであります!」


 水測士の青い顔を見て、アルフォートは歯噛みした。


「チィィッ! あの男何をしている! 虎の子の兵器をみすみす破壊されるとは! 特佐はどこだ、迎撃に向かわせる!」


 取り逃がした賊の二体が第一防衛ラインを突破したという報が入ったことにより、『ほしかぜ』の艦内はにわかに慌しくなっていた。


 特務である『海賊ヴィクトリア』の殲滅を果たした同艦は、一応の役目を終え海上での船舶護衛を任されたのだが、それはいわば彼らの労をねぎらうための息抜きのようなものであり、実質的な任務とはすこし毛色が違う。


 また不審な亡命者を抱えていたのもさることながら、ミレニア・ノヴァクの帰還によって、艦内の士気は少なからず浮ついたものになっており、普段は賢明実直なアルフォートもかなり油断をしていたのだ。


 そのうえでの賊による奇襲攻撃。

 虚をつかれたとはいえ、海中には六隻からの護衛艦がいたのだ。まさかたった二体のマリナーに堅牢な防衛網が食い破られるとは誰が思ったであろうか。

 そんな状況で、アルフォートが責められるいわれはどこにもない。


「ええい、このままでは埒が明かん! 潜水準備まだか!」


「バラストタンクへの注水率七十パーセント。もうしばらく時間をください!」


 艦長の苛立ちにつられ、クルーの声にも怒気がこもる。皆、自分ことだけで精一杯だった。


「か、艦長……」


 ブリッジのドアが開き、聞き慣れた壮年の声が響く。アルフォートは振り向きざま、反射的に怒鳴りつけていた。


「遅いぞ副長! こんな時に一体何を……」


 だが、おびえた彼の顔を見るなり言葉が尻すぼみになる。

 首を羽交い絞めにされ、拳銃を頭に突きつけられた副長ジャン・トルーニー。普段から肌つやの悪い顔が、さらに土気色を増している。額には大量の脂汗。バンザイをした両手は、抵抗する意思がないことを意味していた。


「な……ば、馬鹿な……そんな……」


 言葉を失うアルフォート。

 我が目を疑う光景だった。


 親ほど歳は離れているが信任の置ける彼の副官。それを盾にこちらを見据えているのは、紛れもなく彼の婚約者であった。

 ブリッジは一瞬にして凍りつく。

 恐怖に声を上げる者すらいない。


「ミ、ミレニア……嘘だよな……。嘘だと言ってくれよ、オイ!」


「動かないで!」


 アルフォートの動きをけん制し、ミレニアの持つ銃口がトルーニーのコメカミをえぐる。「ひぃっ」と情けない声を発するトルーニーを見るや、アルフォートもまたほかのクルー達も一切の動きを止めてミレニアに注目した。


「艦内にいる全クルーをいますぐ退艦させなさい。要求に応じないのなら……撃ちます」


「ま、待てっ! 一体何のつもりだ!」


「質問は許しません。すぐに退艦命令を」


 アルフォートの問いには一切応じるつもりはないらしい。これがほんとにミレニアかと疑ってしまうほどの威圧感だ。確かに彼女は一流の武人だ。

 その道を極めた者ならば、それ相応の覇気は持ってしかるべき。

 だが、いまの彼女からは道を外れた者の狂気しか伝わってこない。


 それなのになぜか懐かしさすら覚えるこの気迫はなんだ。

 アルフォートは困惑した。


「わ、分かった要求を飲もう。しかし、理由くらいは聞かせてほしい。少尉、いやミレニア! 何か考えがあるのならば、おれにも教えてくれ! 協力は惜しむつもりは」


「時間稼ぎはやめて!」


 ミレニアは、拳銃を持つのとは別の手に円筒形の小さな機械を握っていた。先端に赤いスイッチのついた手に収まるサイズの物で、腕全体でトルーニーの身体を拘束しつつ、親指は常にスイッチのうえに置かれている。

 それをことさら強調してミレニアが声を上げた。


「この船に爆弾を仕掛けた。このスイッチで簡単に起爆出来る。退艦しないのなら、クルー諸共、船を沈めるわ。それでもまだ無駄な説得を続けるというの」


 アルフォートは絶句した。彼女は本気だ。それだけは分かる。懐かしいと感じたものは、その決意。ノヴァク家の、いやロベルトの血の成せる業だ。

 こうなってはこの一族は止められない。

 やがてアルフォートに自嘲の笑みがもれる。


「総員に告ぐ。直ちに作業を中止し、艦を放棄せよ。繰り返す、総員退艦せよ。これは訓練ではない」


 内線のマイクを持つアルフォートの手が下げられる。


「艦長……」


 誰からともなくもれるクルー達の声に、アルフォートは静かにブリッジを見渡した。


「さ、きみ達も早く降りたまえ。行って混乱するクルー達をまとめてくれ」


「ですが艦長!」


「いいんだ! これでいい」


 悟りきったような彼の表情に、皆、もはや一言も発せなくなる。ひとり、またひとりと席を立ち、クルーはブリッジからいなくなった。


 残されたのはたったの三人。アルフォート、トルーニー、そしてミレニア。

 三人は、ほかに誰もいなくなったいまもなお膠着状態を保っている。退艦を急ぐクルー達の喧騒だけが、ブリッジに鳴り響いていた。


「あなたも降りて、アルフォート」


 ミレニアがはじめて彼の名を呼ぶ。おもえばそう呼ばれるのはいつ以来か。

 アルフォートは寂しげに彼女を見つめると、深いため息をこぼした。もうこれ以上の惨劇はないと確信して。


「下手な芝居はもうやめたまえ。きみもだトルーニー」


「は……」


「きみにしては、すこし落ち着きすぎている。失礼だが、本気で殺される可能性があったのならば、普段のきみならもっと命乞いをしてしかるべきだ」


「あ……」


「もういいだろうミレニア。薬の呪縛も解かれているのだろう? 一体きみはこれから何をしようというのだ。おれには協力もさせてくれないのかい?」


 ミレニアがトルーニーの戒めを解いた。

 演技ではあったようだが、トルーニーも相当な力で締め上げられていたらしく、解放された途端に咳き込んだ。


 アルフォートは軍服のスカーフを緩め、手近な椅子へと座り込む。そして、ミレニアが真相を語るのを静かに待った。


「アルフォート、すまない。こんな方法しか思いつかなかった。おまえにも、ここのクルー達にも多大なる迷惑を掛けた……」


「それはもういい。どうせきみのことだ、何かとんでもないことを企んでいるんだろ? それが何かさえハッキリすれば、おれだってもうすこし冷静でいられる」


「それは……」


 ミレニアの目が泳ぎ、トルーニーの視線へと辿り着く。それに気付いた彼が重々しく首肯すると、ミレニアは再び言葉を紡ぎはじめた。


「わたしはこのサルベージ計画を止めに来た」


「なんだと?」


「この計画は、閣下の……いや、シリウス・マクファーレンのエゴが介在している。わたしは亡き父ロベルトの意思と、正統なるユニオニズムの継承者としてそれを見過ごす訳にはいかない。この海に沈んでいるモノは、断じてあの男に渡す訳にはいかないのだ!」


「どうしたんだミレニア……一体何がきみをそうさせる? 遭難している間に何があったというんだ!」


「核だアルフォート……あの海底には核兵器が眠っている」


「な――」


 その単語を聞いた途端、彼の背筋に冷たいものが走った。驚愕のあまり言葉を失い、同意を求めてトルーニーを見る。

 すると彼は重厚な面持ちで首を縦に。

 アルフォートは足許で、何かが崩れ落ちてゆく音を聞いた気がした。


「シリウスは己の願望を、人類すべての幸福であるかのように語り我々を謀ってきた。自分にとって不都合な人間を排斥し、力をもって他を制圧する。それがユニオンの総帥のすることか? それが人間のすることか?」


「ミレニア……」


「父上はあの男に殺されたのだ! そしていま新たな武力を手に入れようとしている! そんなことはこのわたしが許さない! 必ず阻止してみせる! だからもはやこんな悠長なことをしている時間はないのだ! アルフォート! 早く船を降りろ!」


 涙をこらえながら拳銃を構えるミレニアの線の細さ。まるで幼かったあの頃に戻ったようだ。以前は心に闇を抱えていても、どこか凛とした強さがあった。だが、いまの彼女はどうだ。


 アルフォートは突如、不安に襲われた。それはいま彼や世界が抱えている、未曾有の危機に対するものではない。もっと卑俗で個人的な。


 彼の男の部分が強烈に囁いた。

 女性ひとはこんなにも変わるものなのか――。


 いまの彼女は、もはや彼の知るミレニア・ノヴァクではない。一体、誰が彼女をこうさせた。アルフォートの脳裏に、存在さえ不確かな男の影がちらつく。

 ミレニアが、世界の存亡を憂いて泣いているというのに。


「状況は飲み込めた……しかしミレニア、この艦を奪ってあとはどうするつもりだ。ヤケを起こしたところで『ほしかぜ』一隻では、艦隊を壊滅させることなど出来んぞ?」


「分かっている。わたしは同胞を討つために艦を奪ったのではない」


「ならばどうする」


「爆弾を搭載したこの艦ごと、海溝に突入し自爆する」


「なんだと!」


「岩壁を破壊して海底を封印してしまえば、もうサルベージも出来まい。核さえヤツの手に落ちなければそれでいい」


「馬鹿な! それではおまえはどうする! そのまま『ほしかぜ』諸共、岩の下敷きにでもなるつもりか?」


「いや……わたしには仲間がいる。海溝の入り口付近まで潜水したら合図を送る手はずだ。艦は自動操縦に切り替え、わたしは艦を離脱する。そして、この起爆スイッチで遠隔操作を行う」


「……そんなにうまくいくものなのか?」


「やるんだ! でなければここまで来た意味がない」


 真一文字に引き締まった眉。ようやくノヴァク家のやんちゃ姫が帰ってきた。


「副長、潜水準備を継続する。操作は分かるな? わたしは海溝までの航路を計算する」


「は……はいっ!」


「お、おいアルフォート! 勝手はことは――」


「やらせておあげなさい」


 トルーニーがミレニアの肩に手を置いて言う。


「彼はこの船の艦長だ。ほかの誰よりも艦に対して責任を負っている。たとえそれが死地へと向かう船出でも、彼ならば最高の状態でこの艦を走らせたいと思うだろう。そういう男だよアルフォート・ラザルというおひとは。きみもそうは思わんかね?」


 ミレニアを沈黙を背に受け、アルフォートは正確な航路を割り出す。海面から深度一〇〇〇メートルまでの最短ルートだ。仰角がわずか一度でも狂えば、ミレニアの目論見は文字通り、海の藻屑と消える。ミスは許されない。


「艦長、注水作業完了。出航すればそのまま浮力を失います」


「了解だ。……よし、こちらも出来た。この航行プログラムに従い潜水すれば、誤差一メートルの範囲で目的地の海溝へ到着する。あとは自動操縦に切り替えれば、そのまま海溝へと沈んでいくだろう」


 見返したミレニアは、何ともいえないような表情をしていた。

 誰も巻き込まないようにと画策した脅迫まがいの演技。それすらも看破され、結局他人の手を借りざるを得なかった自分を不甲斐なく感じているに違いなかった。

 昔からそうだった。このミレニアという少女は。


「ミレニア……きみはよくやったよ。あとのことはおれに任せて、きみは副長と退艦してくれ」


「なにっ?」


「艦にはおれが残る。おれがこの船を海底まで導いてやる。ちょっと早いがロベルト叔父さんに会いに行くよ。向こうできみの武勇伝でも聞かせてやるとしようか」


「待て! なんでおまえが!」


「きみだって最初から死にに行くつもりだったのだろう? それくらい分かるさ……これでもきみの婚約者だからね」


「アルフォート……」


「さあ、副長。彼女を船外にエスコートしてくれたまえ。扱いは丁重に頼むよ」


 ミレニア達に背を向け、操舵席へと向かうアルフォート。背後からはすすり泣くミレニアの声が聞こえていた。


 これでいい――すべてに満足したアルフォートが万感の思いに胸を詰まらせる。葛藤や逡巡すらなく辿り着いた決意。愛する者のため死ねるのならば、それで本望だった。もはや後ろを振り向くこともないと。


 だが、彼の右足を貫いた痛みがそれを許さなかった。


 太ももを赤々と染める粘り気のある液体が、ポタポタと床に滴る。遅れてパンという乾いた音が、ブリッジに反響しているのに気付いた。


 その時にはもう立っていることさえ困難で、床に崩れ落ちる。そこから見上げたミレニアの手には、銃口から硝煙を立ち上らせている銃が握られていた。

 あふれ出る涙を拭おうともせず。

 ただジッと唇をかみ締めて。


「副長……アルフォートをお願いします……」


 アルフォートの横を通り過ぎ、ミレニアが操舵席へと座る。

 トルーニーは自身のスカーフを外し、撃ち抜かれたアルフォートの右大腿部を縛ると、そのまま彼に肩を貸し、黙々とブリッジの外へと連れ出そうとする。


「ミレニア……ミレニアぁ!」


 次第に遠くなる彼女との距離。呼んでも振り向かないその背中に、かつて感じたことのない絶望を抱いた。

 いくら暴れてもトルーニーは止まらない。そしてブリッジのドアが閉まる。


「ミレニア――――ッ!」


 誰もいなくなった『ほしかぜ』の艦内に、愛する者の名を呼ぶ哀れな男の声が響く。その声に応える者など誰もいない。


 太ももの傷はアルフォートを苛み続ける。

 だが生かされるために撃たれたということのほうが、よっぽど辛かった。共に生きられぬというのなら、いっそ殺してほしかった。

 そうすれば共に死ぬことは出来たのに――。



〈つづく〉

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