第37話 レディ・ファイト

【前回のあらすじ】

 和解を果たしたと思ったのも束の間。それはマシューによる裏切りの序曲であった。完膚なきまでに叩き伏せられ、行き場をなくしたクィントらは、失意のなか師匠のエドリック・カルロをたよる。




 無垢の一枚板で出来たテーブルのうえには、湯気を立てた料理の数々が並んでいる。

 いずれも山海の幸をふんだんに使用した手の込んだもので、潜水艦のなかで摂る食事など比較にしようもない。


 またクィントにとってみれば、お袋の味と言っても過言ではないメニュー達だ。空腹も最高の調味料となり、大皿に盛られたレシピの数々を、見る間に胃の腑へと押し込んでいく。あまりにがっつくものだから、終いにはピラフを喉に詰まらせた。


「がっはっは! 相変わらずの食いっぷりだなクィント! 母ちゃんのメシが恋しかったのは分かるが、もちっと落ち着いて食えや。料理は逃げやせんわい!」


 ドン、とクィントの背中をたたく巨大な手。

 日によく焼けた毛むくじゃらで、まるで丸太のようにごつい腕だ。

 顔はといえば、これまた熊のようなひげ面で、顔の中央を大きな傷が走っている。しかし、表情はいたって柔和であり、酒で真っ赤にした顔面をくしゃくしゃにして、とにかく豪快に笑う男だった。


 男の名はエドリック。

 クィントの師匠にして世界最高のサルベージャー『ミラクル・エド』とは彼のことである。


 クィントはミレニアを救出した後にルカと合流し、もはや帰還すべき船を失ったことを知った。そこで彼の提案により、とりあえず師であるエドリックを頼ることにしたのである。ミレニアもルカもかなり憔悴しきっていた。とにかく身を落ち着ける場所が必要だったのだ。


 だが、それとは別にして、クィントにとってみれば久しぶりの里帰りである。

 親代わりであるエドリックも快く迎えてくれた。ただ兄弟子あにでし達は仕事で皆、出払っており、それだけが残念といえば残念である。


「しっかしアレだなあ! 手紙のひとつ寄越さねえで帰ってきたかと思えばオメエ、こんなめんこい娘さ、ふたりも連れてくるとはやるでねえか! さっすがおれの息子だなや!」


 愛弟子との久しぶりの対面に下がる目尻が、ミレニアとルカのおかげでさらに大変なことになっている。

 クィントは思わず口に含んだ水を噴出した。


「な、なに言ってんだよっ。この子達はそういうんじゃなくって!」


「ええから、ええから! 照れンなってこの色男! しっかしアレだぞオメエ、海人がいくら一夫多妻を認めてるからって、おれはあんましこういうのは感心しねえな。見ろおれを、三十年間母ちゃん一筋だぁ」


「や、だからね、親方……」


 クィントの弁解など、軽くいなすほどに自分の世界に入り込んでいるエドリック。鍛え上げられた両腕を組みつつ「うんうん」と感慨深げにうなずいている。


 こうなってしまうとなに言っても無駄だと諦めたクィントは、同席するほかのふたりに気を回した。思えばふたりとも、エドリックの工房に着いてからまだ数えるほどしか口を開いていない。料理もいまだ手付かずで、なにやら険悪な雰囲気だ。


 ミレニアはまだしも、ルカの表情といったらなかった。

 まだクィントの手前、我慢してくれているのだろうが、常に一触即発の危機感がある。


 一方、ルカの胸の裡など知らぬミレニアは、亡き父親の無念に思いをはせているのだろうか、真っ青になるまで唇をかみ締め、グッと嗚咽をこらえている。聞けば、自身は投薬によって精神をコントロールされていたのだという。獄中で父親の死を告げられた時、まるで何も感じなかったことを覚えており、ただただそれが悔しくて悲しいのだと言っていた。


 そしてあの時、仲間であるはずのユニオン兵が、彼女を無き者にしようとしていたのは明らかだった。あまりのことに、クィントは掛ける言葉すらない。怒りと悲しみに震える小さな手を、ただそっと握り締めてやることしか出来なかった。


「食べよミレニア」


「クィント……」


「つらいのは分かるけど、いまは食べなきゃダメだ。元気つけなきゃ何も出来ない」


「ああ……そうだな……そう……分かっては……いるんだが……」


 語尾はかすれて聞き取りづらかった。

 そして、クィントが返した耳飾りをずっと握り締めていたミレニアの手は、きつく彼の手を握り返してくる。

 部屋には暖房だって効いているのに、その手はひどく冷たかった。


「わたしが……わたしがもっと早くに気付いていれば! いつだってそうだ、わたしが真実を知るのはいつだって何かが終わってしまった後なんだ! そして気がつけば、いつも取り返しのつかないことが起きている……。わたしは……わたしは……」


「ミレニア……そんなに自分を責めちゃダメだよ」


「いや、言わせてくれクィント! すべてはわたしの責めなのだ! 力なきわたしの……いたらぬわたしの罪が、ユニオンを暴走させて――」


「……そうよ……アンタがいけないのよ……」


 ずっと押し黙っていたルカが口を開いた。それはとてもあの陽気な彼女と同一人物とは思えないような、しわがれた声だった。

 この世のすべてを呪うような、そんな怨嗟を振りまいている。

 毛細血管の破裂した目は赤く燃え、まばたきもせずにミレニアを凝視した。

 クィントも知る過去からの因縁が、ユニオンの具現とも言うべきミレニアに対して一気に噴出した。もはや止められる術はない。


「ル、ルカっ。お、落ち着いてっ」


 ダメと知りつつクィントはそう言わざるを得ない。

 だが、やはりそれは火に油を注ぐことになりそうだ。


「クィントも何のつもりよ、さっきからその女の肩ばっかり持って……あたしの家族は……ブルーポラリス号のみんなは、そいつの仲間に殺されたのよ!」


「そ、それはそうなんだけど、それとミレニアとは関係が」


「ホァンだって! ホァン……あたしの……ホァンがぁ……」


 彼の名を口にした途端、その場に泣き崩れてしまうルカ。声にならない叫びが、否応なしにクィントの胸を打つ。彼にとってもホァンは掛け替えのない親友である。

 ヴィクトリア、シェフ、ほかのクルー達だって。


 ブルーポラリス号を失った悲しみは、クィントだって同じだ。

 だが、生まれてからのこれまでを、ずっとそこで過ごしたルカの気持ちを、それと同等に計ることなど出来はしない。


 安っぽい慰めの言葉など、かえって彼女に失礼だ。

 クィントは両目にこみ上げる熱いものをグッとこらえ、ただ彼らへの哀悼だけを胸に拳を握り締めた。


 するとミレニアが、クィントのそばからスッと離れ、なんとルカの眼前に膝まづいた。そして床に額がこすれるほど頭を下げ、一心に叫ぶのである。


「すまなかった! このミレニア・ノヴァク、ユニオニズムを生み出したる宗家の代表として謝罪させていただく! いかなる咎めも覚悟はしている。もはや散らせてしまった魂に贖罪など叶うべくもないが、せめて出来うる限りのことをきみにさせてほしい」


 涙ながらにそう言うミレニアに対し、ルカは全身が張り裂けてしまうのではないかというように憤慨し、いきり立つ。

 そして、完全に無防備であったミレニアの頭を、思い切り蹴り飛ばした。

 以前、クィントもマシューに不意打ちを食らわせたものだが、ルカの蹴りはそれをはるかに凌ぐエゲツなさであった。


「アンタのそういう聖人ぶった態度が気に入らないのさ!」


「なに?」


 額を押さえながらミレニアは、ルカの言葉に目を瞠る。


「なにがユニオニズムよ! なにが謝罪よ! 海賊だから、ユニオンに歯向かったから殺したって言えばいいじゃない! それがアンタ達のやり方でしょ!」


「それは違う! 断じてそうではない! 殺していい命など、ある訳ないじゃないか! これは戦いなのだ、己に信念を持つ者ならば否応なしに巻き込まれる。確かに殺した罪は問われるべきだ。だが、彼らの死は等しく尊い。わたしは戦場に散った、すべての命を誇りに思う」


「あたしがほしいのはそんな言葉じゃない! みんなを返して! ホァンを返して! そんなことも分かんないようなヤツが、偉そうに理想なんか語るなっ!」


 今度はパンチだった。

 鋭い右ストレートが、ミレニアの薄紅色をした頬をえぐる。


 ルカの拳ごときを避けれないミレニアではない。甘んじて受けているのだ。一度手合わせをしたクィントには、それが痛いほど分かる。その後もボディーブロー、引っ掻き、形の崩れたハイキック。使い手であるはずのミレニアが、何の防御もなしにすべてを受け続ける。


 ルカにも同情するが、これではいたたまれない。

 たまりかねたクィントは、頃合を見計らって仲裁に入ろうとする。

 しかし、


「かかってきなさいよ、このぺちゃぱい! あたしが格闘の素人だからって、見下してンの? ほら、きなさいよ! 殴って来いって言ってンの!」


 真の実力差を知らないルカが、恐ろしいことを言い出した。

 これはいよいよもって不味いと、慌ててクィントが口を挟もうとするが、


「……誰が……ぺちゃぱい……だとぉ……」


 そこぉ――ッ!


 さっきまでのしおらしさもどこへやら。ミレニアの目が突如、据わりはじめた。いきなりの心境変化。これはおそらく薬の後遺症だろう。


「アンタのことに決まってンじゃない! なに分かりきったこと聞いてンの、この洗濯板女。大した身体でもないクセして、そんなぴちっとした服着てさぁ。あん? それでもおっぱいのつもり? そーゆーのを指して、ぺちゃぱいというのよ」


 ビシッと突きつけられるルカの指先。

 ミレニアは反射的に、両手で胸を覆い隠した。


「う、うぅぅるさい! これでもいいと、クィントは言った!」


「……クィぃぃントぉぉ……」


 巻き込まれた――ッ!


 ふたりの少女は、まるで飢えた狼の如くに眼をギラつかせて、クィントを見た。これは恐い。どう答えようがはりのむしろである。


 クィントは脂汗を流しながら、アウアウと慌てふためくばかりだ。さすがの『ワダツミ』もこういう時の対処法までは、教えてくれない。エドリックなど、とうの昔に消えうせている。


「とにかくっ! いいか、今後二度とわたしをその……ぱいと呼ぶな! もし言ったらただではすま」


「ぺちゃぱいぺちゃぱいぺちゃぱいぺちゃぱいぺちゃぱいぺちゃぱいぺちゃぱい……」


「――ころす」


「どぅわああああああああああ! ちょっと待てええ!」


 あらためて取っ組み合いを開始するミレニアとルカ。

 今度は両者共に、打撃を加えている。

 一応、ミレニアも素人相手に手加減はしているのか、さすがに関節技は使っていない様子である。しかし、お互いの攻撃が当たる際の肉の音には、微塵の躊躇も感じなかった。


「わわわ……ど、どうしよ……どうしよ」


 ただうろたえるクィント。

 こればっかりは彼にはどうすることも出来ない。


「やらせておやりよ」


 すると、背後からチャキチャキとした落ち着いた声が聞こえてくる。クィントが振り向くとそこには、オタマ片手に微笑んでいるエプロン姿の女性がいた。


「でもおかみさん~」


「情けない声出すんじゃないよ、まったく。ほんとにそういうところが、ウチのとそっくりだよ、おまえは。変なとこばっかり似やがって」


 彼女こそがエドリックの妻にして、クィントを育てた女傑。

 マデリーン・カルロである。

 幼いクィントは、彼女から徹底的に礼儀作法を教わった。

 目上の者を敬い、常に自分を戒めて自惚れないようにと躾けられたのだ。その甲斐もあり、ブルーポラリス号ではたったの数日でクルーから信頼を勝ち得たのである。


「なめるんじゃないよ。女だってね、最後の最後は腕力がものを言うんだ。陰湿ないやがらせやるよか、殴り合いのがよっぽどいいよ。さ、ここはあたいに任せて、おまえはベランダで宿六の相手でもしてな」


 助かった、というか追い出されたと言った方が正しいのか。

 クィントは、エドリックがひとりたたずむベランダへと所在を移した。


 海を一望できるその場所からは、海岸沿いに桟橋が見えた。月明かりに輝く波間に、何艘かの船と、彼らのマリナーが浮かぶ。

 そして、それらを守るかのようしてプルルが水面に顔を出していた。

 ただジッと、水平線を見つめて。



〈つづく〉

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