第30話 ペナルティ

【前回のあらすじ】

 騒動のバツとして格納庫の掃除を仰せつかったクィントだったが、忙殺される雑務のなかでホァンとの青春たっぷりの友情を確かめ合う。一方、バツを言い渡されたもうひとりは――。




 先の騒動で喧嘩両成敗の沙汰を申し付けられた人物がもうひとりいる。

 こちらはクィントとは違い、最初から処罰をまっとうする気などないが、とりあえず船内に数箇所あるトイレのうちのひとつに所在を移してモップ片手に恨み節を垂れ流していた。


 彼にしてみればとばっちりもいいところだ。

 腑に落ちなさはクィントの比ではない。


 どうもあのクソガキと関わると、クールでスマートな生来の自分から、大きく逸脱した結果となってしまう。

 思い返すだに腹立たしい。

 徹底的に相性が悪いのだと、マシューはひとり悪態をつく。


「だぁっ、くそがぁ! やめだ、やめだ、アホらしい! なんでこのおれが、あのクソガキのせいで便所掃除なんかされられてンだ! おれは『赤鬼』のマシュー・ミラーだぞ、ふざけンじゃねえ!」


 床にたたきつけたモップが、不規則にバウンドして出入口の方へと滑ってゆく。天井を這い回る換気ダクトが低いうなりを上げるなか、モップの柄はカランと安っぽい音を立ててトイレ内部にむなしく響き渡った。


 そんなマシューの八つ当たりを一身に受けたモップが滑り込んだ先に、スケッチブックを小脇に持ったひとりの少女がたたずんでいる。


 表情に乏しく、彼女が一体なにを考えているのかなどマシューには理解しようもないが、ただ怒れる自分の所業を目の当たりにされて、若干の気恥ずかしさを覚えたことだけは事実だった。


「なんだよ」


 トイレに来ているのに「なんだよ」はないなと自分でも思ったが、いまのマシューにはそれ以外の言葉は浮かんでこなかった。しかし、それでもテオは彼に対して感情というものを、あらわにすることがなかったのである。


「なんだよ、じゃないわよ。トイレに来たら、することなんて決まってるでしょ。馬鹿じゃないの?」


 そう言葉を継いだのは、テオの後ろに付き添っていたジュリアだった。

 ブルーポラリス号の操舵手にして、くびれの女王。

 メリハリの利いたそのボディは、ヴィクトリアともまた違った妖艶さをかもしている。しかし、氷のごとき表情と、得体の知れなさは船内でも随一であり、テオとは最強の「無愛想コンビ」として名高い。


「とっとと出てくんない。ウチのお嬢が入りづらいんだけど」


「けっ!」


 鼻にしわを寄せて通路へ出てくるマシューと入れ替わりに、テオがパタパタと慌ててトイレに駆け込んでゆく。


 ジュリアとマシューは、出入口を挟んで左右に分かれ、壁を背に無言で立ち並んだ。お互いに目も合わさない。気まずい空気だけがジワリと澱んでいく。


「言いたいことがあるなら言えよ」


「別に」


「腹んなかじゃ、ガキ相手にダセぇとか思ってンじゃねえのか」


「は? なんでウチがアンタみたいなの気にしなくちゃいけないの? 自意識過剰ってのよ、そういうの。これだから馬鹿な男は嫌い」


「ンだと、このアマぁ……。調子くれてっとマジでぶちこむぞ、あ?」


 目玉をギョロつかせて、マシューがジュリアに詰め寄る。しかし、彼女はその程度の脅しには一切動じなかった。

 腕組みで両横から突き上げられるバストが、こぼれんばかりに勇ましい。


「アンタ、人間として底が浅いのよ。そんなだからシェフにも認めてもらえないんだわ。すこしはあの坊やを見習ったら? まだ若いけど、大物の匂いがするもの」


「テメぇ……それ以上、言いやがったらこのククリが黙っちゃいねえぞ……」


 マシューは腰のホルスターから、そりも見事な愛刀を抜き放つ。

 いまこの世でもっとも気に入らない「クソガキ」と比べられ、邪悪さに磨きの掛かったまなこがギラつく。


 一方、可憐な喉もとに刃を突きつけられようとも、ジュリアの面魂は小揺るぎもしなかった。


 重苦しい一秒が、必死に時を刻もうと駆け抜ける。もはや、血の惨劇を食い止める手立てはないかに思われたその時、誰かにスカートのすそを引かれ、ジュリアが下を向く。

 テオだった。

 用を済ませて戻ってきたテオが、ふたりの間に割って入る。


 興をそがれたマシューは、ジュリアから身体を離し、トイレのなかへと戻っていく。外のふたりも早々に、その場を後にしたようだった。


 マシューは頭に上った血を下げるようにして、転がったモップを拾い上げる。その時、床に落ちていた一冊のスケッチブックを見つけた。

 まぎれもなくテオのものである。

 険悪な外のムードを感じて、慌てたのであろう。

 マシューはそれを拾い上げ、おもむろにページをめくる。


「はっ、まんまガキの絵だ」


 万事においてイチャモンをつけずにはいられないマシューである。

 クィントに褒められたテオの絵も、その例外とはならなかった。物事の本質よりも、まず文句。くちさがないマシューによる口撃の餌食となる。

 しかし、


「こ、これは……」


 ある一枚のページでマシューの手が止まる。

 忘我の形相で見入る彼の全身は震えていた。そして、にわかに微笑みをたたえ、押し殺すようにして声をもらす。

 やがて生気を取り戻したその顔は、まるで蛇蝎のごとく冷ややかで、冬の早朝のように冴え冴えとしていた。


 奇しくもそれはヴィクトリアがある結論に達していたのと時を同じくしており、またブルーポラリス号の運命をも巻き込んで一層苛烈に、海を染め上げてゆくのだった――。



〈つづく〉

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