第27話 テオ

【前回のあらすじ】

 テストを兼ねたマシューとの対決。クレバーな戦法で、クィントは見事に「赤鬼」を退けた。




 その夜、クィントはブルーポラリス号の格納庫で、ひとりジュピター号を眺めていた。

 サイロに掛かる桟橋のうえ、かたわらにはプルルが遊ぶ。


「これって夢に一歩近づいたってことかなぁ」


 誰に聞かせる訳でもなく、ポツリと出た彼の本音。まだヴィクトリア達が、『目覚めの宝』を探し当てた訳でもないのに自然と顔が綻んだ。


「キュキュ~」


 合いの手を入れるようにして、プルルが鳴く。しかし、それはベルーガ生来の声である。


「あ、翻訳機が入ってなかったか。ちょっと待って」


 クィントが腰を上げ、ジュピター号のコクピットに取り付こうとした時だった。


「おめでとう……だって」


 背後からとてもか細い、そして、はじめて耳にする声がした。


 振る向くとそこには、ひとりの少女が立っていた。まだ五、六歳だろうか、白いワンピースを着て、手にはスケッチブックを持っている。肌も髪もなにもかも、真っ白な女の子だった。


 彼女はそのまま無言で、クィントのとなりにチョコンと座った。そしておもむろに開いたスケッチブックへと、クレヨンを走らせる。

 描きはじめたのは、水面に顔を覗かせるプルルの姿だ。


「えっと……きみ、誰?」


「テオ。テオドーラ」


 無表情に彼女は言った。顔を上げることもなく、クレヨンを持つ手も止めない。


「ああ。きみがテオか……」


 クィントはタツ爺との会話の中で「そのうち会える」と言われていた人物がいたことを思い出す。この船の針路を左右するとまで言われる人物。それがこの白い少女であるというのは、いささか信じがたい事実である。


「おれはクィント。そいつはプルル。よろしくね」


 するとテオは、ようやくクィントのほうを向いて、ジッと彼の目を見つめてきた。色素の薄いその瞳からは、意思や感情といったものが読み取れない。だが、不思議と気味の悪さは感じなかった。クィントもただ彼女を見つめ返す。


「絵、上手だね。船長の部屋に飾ってあったのも、きみの絵かな?」


 ヴィクトリアとの衝撃的な出会いを彩った船長室の壁の絵。それは床に散らばった酒瓶や全裸で横たわる美女のいる風景のなかで、とりわけ異彩を放っていた。

 荒くれどもがひしめく海賊船の中にあって一体誰が描いたのだろうとは疑問に思っていたが、なるほど彼女であればそれも合点がいく。


「そういえばさっき、プルルがおめでとうって言ってるって。どうして分かるの?」


「……この子がそう言ったから」


 テオは短くそう答えると、スケッチブックを閉じてクィントのまえから走り去ってしまった。結局、彼女のことはなにひとつ分からないまま初対面が終わる。なにか機嫌を悪くして、いなくなってしまったのではないかと、若干気にしてしまうクィントであった――。


「……ということが昨日あったんですけど」


 クィントは、次の日の食堂でシェフにテオのことをなにげなく聞いてみた。手元では昼食で出た大量の洗い物を片しながら、しかし、耳だけはしっかりとシェフの方へ向けて。


 シェフは巨大な寸胴鍋をまえに、夕食の仕込みをしていた。満足のいく出来だったのか、オタマ片手にご機嫌である。ちなみに今日のメニューはカレー。シェフいわく金曜日のカレーはどこかの船乗りの伝統なんだとか。


「んー? ああ、テオね。だいじょうぶ、彼女はちょっと人見知りをするだけさ。それに初対面でとなりに座ってきたんだろう? 充分、気に入られた証拠さ」


「ならいいんですけど……」


 シェフの言葉に、すこしだけ不安の晴れたクィント。となると今度は、彼女自体に対する疑問が頭をもたげてくる。テオとは一体、何者なのかと。

 するとシェフは、義足を穿いた脚を揉みほぐすようにして椅子に座ると、いつもかたわらにあるラム酒を引っ掛けた。


「なにから話すとしようかな。タツ爺からはどう聞いてる?」


「どうって……ただ、この船の針路は船長とシェフと、それからテオの意思で決まるって」


「その通りだ。確かにこの船の針路にとって、テオの意見は大きな意味を持っている。我々が『目覚めの宝』を探しているという点ではね」


「えっ! それってつまり、彼女は知っているんですか? 『目覚めの宝』の在り処を!」


 クィントは興奮した。おもわず手にした皿を滑らせるところだった。


「それは正確ではない。彼女にはただ聞こえるだけさ。『ワダツミ』の声ってヤツがね」


「なんですって? そんな馬鹿な、『ワダツミ』の思念を明確に受け取ることが出来る人間がいるなんて……一体、何者なんですか彼女は? どうしてそんな子が、この船……海賊船なんかに乗ってるんですか?」


 勢いあまるクィントの様子に、シェフは「質問が多いな」と笑った。


「それは分からない。我々はただ、彼女の言う『ベガの守りし宝』を探しているに過ぎないんだよ。まあそれが『目覚めの宝』である可能性は高いと見ているがね」


「ベガ……海洋を守護せし者……」


「それに彼女は、我々にとっては海からの贈り物みたいなものでね」


 シェルはラム酒を飲む手を止めて語り始めた。


 ……ある嵐の夜だった。

 大時化の海のなか本船を巨大な魚群が取り囲んだ。


 サメはもちろんのこと、通常なら近づくことすらないはずの天敵同士の魚達が山ほどね。

 ありえない光景だったよ。


 そんな状況のなかだ。


 針路を絶たれたことに腹を立てたヴィクトリアが、直接海に殴り込みを掛けようかって時だったね。まだ乳呑み児だったテオを背中に乗せた、つがいのバンドウイルカが現れたのさ。


 そして彼女を我々に託すとそのままいなくなったんだ。その瞬間、魚群も消えて嵐も収まった。とても不思議な出来事だったよ……。


「『ワダツミ』の……子供……?」


「フフフ。そういうことになるね。まあ事実はどうあれ、彼女は我々全員の娘のようなものさ。元気に育ってくれればそれでいい」


 そう言ってシェフはまたラム酒をあおり、笑顔で話題を打ち切った。


「そういえば少年。昼のデザートがまだ残ってたはずだから、休憩がてら食べてきたらどうだ。食堂のカウンターに置きっ放しだからもう誰かに食べられてるかも知れないが……」


 クィントは「もう」の時点で厨房から飛び出していた。

 ここ数日の船内生活で、甘味の重要性を知った彼の身体が勝手に反応したのだ。

 履き慣れない靴を鳴らし、猛獣のようにカウンター上のプリンに突撃する。


 ゴォと風切り伸びる手の、つかむ容器はただひとつ。

 しかし無常なるかな。

 伸びたる腕はひとつに非ず――。


「げ! マシュー!」


「クソガキ!」


 ほぼ同時にプリンへと辿り着いたふたりの手は、互いに引くことを知らず、すぐさま膠着状態に陥った。動くことは隙を生むことを意味し、わずかな力のゆるみでさえ相手にアドバンテージを与えることになってしまうからだ。

 あらゆる攻撃が制限されるなかで、静かなる戦いが舌戦へと移行するのは、当然の帰結であると言えた。


「おいこら。さっさとその手を離しやがれ、クソガキ! どう考えてもおれのほうが速かっただろうがっ」


「いやいやいやいや。見て、この人差し指。アンタのより下に来てンでしょうがっ」


「それを言うなら、よく聞けこのクソ野郎。いいか、コレを見つけたのはおれが先だ。おれが食堂にきた時にゃ、おまえはまだ厨房んなかだったろうが!」


「おれはシェフ直々にこのプリンの処分を任されたんだよ。こればっかりは譲れない!」


 がるぅ~っとお互い、飢えた野犬のようなうなりを上げてにらみ合う。これまでの因縁も含み、どちらかが折れる様子は一切なかった。


「はい、そこまで~」


 そんな一触即発の状況下において、空気を読まずに割り込んできた勇者がひとり。

 サクラだった。

 彼女はふたりが握り締めていたプリンを取り上げ、高らかにこう宣言する。


「ただいまより『第一回プリン杯争奪チキチキウルトラレース』を開催しま~す。おまえらぁ、にゅーよーくへ行きたいかぁ~」


 それに呼応するように、一体いつの間に集まったのか船内の荒くれどもが集結していた。「うおーっ!」の大鐘音がこだまする。

 サクラは続けて「罰ゲームは恐くないか」など訳の分からないことを言ってクィントを困惑させたが、要約するとこうである。


「古来より、知力、体力、時の運を制した者こそ、その手に栄冠をつかんだと言われております。その例に倣い、おふたりにはこのプリンを目指して、いまから勝負をしてもらいたいと思いますヒマだから」


 最後の言葉に引っ掛かるものはあったものの、クィントは俄然やる気だった。

 無論、マシューも受けて立つの気合いで満ちている。

 食堂は一気に熱を帯び、誰の口からという訳でもなくふたりを煽り立てた。



〈つづく〉

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