第25話 トレジャー

【前回のあらすじ】

 海上に停泊中のブルーポラリス号。銘々が久しぶりの太陽を満喫するなかクィントはタツ爺から聞かされた船長とシェフの過去に思いを馳せる。




 ルカとクィントが甲板上ではしゃいでいる。

 一体なにを話しているんだろうか。

 ホァンはその光景を眺めながら、ただじっと押し黙っていた。


「イテっ」


 そんなホァンの顔を、やわらかなビーチボールが襲う。跳ね返り海面にプカプカと浮かぶそれを、ひとの輪のなかに投げ返すと、ホァンのそばへサクラがやってきた。


「いいんですかぁ? 盗られちゃいますよぉ?」


 海水の浮力に持ち上げられたソレは、まるで二個のビーチボールのようで。

 見慣れているとはいえ、あらためて間近にすると、やはりすごい迫力だった。

 ワンピース水着にあふれんばかりの彼女の肢体はとても艶かしく、妄想を友とするホァンやクィント達、少年にとっては、恐ろしくリアルに富んでいた。

 それはもしかすると、彼女の持つ母性にひかれているだけなのかもしれないのだが。


「盗られちゃうってなんだよ」


「もちろんルカのことですよ。クィント君、お気に入りですねぇ」


「いいンじゃない? マジメそうなヤツだし。……強いし。ぼくなんかの出る幕じゃないよ」


「ほんとにソレでいいんですか? まえから言ってますけどぉ、ルカだってあなたのこと」


「やめてよ……」


「ホァン……」


 困ったような顔でサクラが見つめてくる。

 それでもホァンは意固地だった。

 どこまでいっても拾われ児であるという引け目がそうさせるのか、この船には所在がない。

 マリナーに没頭することでしか見出せなかった自分の居場所は、いまでも正直危ういものだ。


 トラウマ――。


 ここを追われればもう行き場はない。そんな強迫観念が、ホァンの人生にはいつまでも付きまとう。そんな自分が、彼女と結ばれることなどありはしないと。もしこの関係が壊れれば、もうここにはいられないんじゃないか。


 ただただ情けなくなる。

 本当は自分が傷つくのが恐いだけなんじゃないかと。


「あらあら? クィント君が立ち上がりましたねぇ。どこへ行くのかしら?」


 サクラがそう言うので顔を上げてみると、確かにクィントはルカから離れていった。ルカはまだ遊び足りないのか、恨めしそうに手を伸ばすがついては行かなかった。


 ――そのままこっちへ降りてきて。


 誰にも聞かれないような小さな声で、ホァンはポツリとつぶやいた。

 でも、サクラの耳だけはごまかせない。彼女は困ったような顔をして、小さく微笑んだ。


 浮上した潜水艦の甲板などは、海鳥達にとってみれば恰好の休息所である。


 かつて彼らが賑やかしていた海岸も島もいまはなく、ひたすら飛び続けること数千キロ。哀れ目的地を見ずして命を落とす鳥達も多い。そんな時、海上に浮いているこの船は、彼らにはどう見えているのだろうか。


 束の間の楽園だとでも思っているなら、それはそれで喜ばしいことだとシェフは思う。

 しかし潜水艦が潜水しないことで、なにかの命をつないでいるというのは、まったく皮肉以外の何者でもないが。


 雲ひとつない蒼穹に、カンと照りつける太陽。

 こんな日は、溜まった洗濯物を干すに限る。

 乾燥機や船内干しでもいいのだが、長く海中にこもっていると、どうしても自然の温かみというヤツがほしくなる。

 長年の船上経験が、衣食だけでは人心を御しえないことを知っていた。

 やはり人間は、お天道様の下で生きていくのが自然であると。


「おんや?」


 シェフが張り線に、洗濯かごに入った最後のタオルを干そうとしている時だった。なにやら神妙な顔をしたクィントが、甲板上でくつろぐヴィクトリアのところへ近づいてゆく。あの少年は基本的には暢気だが、いざという時には類稀な覇気を見せることがある。

 いまがちょうど、そんな顔をしていた。


 ヴィクトリア相手に万一はないが、その場には自分がいるべきだと思い、手にしたタオルを素早く干して所在を移した。


 ヴィクトリアは紫のビキニを身につけ、大きなパラソルの下、リクライニングチェアに寝そべりながらシェフ特製のトロピカルドリンクに舌鼓を打つという、かなりベタな南国スタイルにひたっていた。


 シェフが彼女らのもとを訪れた時、ヴィクトリアはサングラスをずらして一度だけ自分のほうを見た。シェフはそれを確認すると腕組みをし、クィントがなにをしでかすのか様子を窺う。


「船長、話いいですか」


「なんだい、あらたまって。わたしゃ、ハタチ未満のオトコには手を出さないことにしてンだけどね」


 いきなり話の腰を折るヴィクトリアだったが、クィントはそれをものともしなかった。ただ淡々と、己の想いを紡ぎ出す。


「おれにも船長達の夢、手伝わせてもらえませんか?」


 ヴィクトリアは露骨に顔をしかめ、シェフの方をにらむ。それを受けて彼は、身に覚えのないことをジェスチャーで示した。


「タツ爺か……」


 ヴィクトリアが豪奢な赤髪をかき回してうめく。

 長年の経験上、これが彼女の照れ隠しであることをシェフは知っている。まためんどくさいことになった、と感じていることもすぐに察した。


「なにを聞いてきたかは知らないけどね。夢とかそういう暑苦しいのは、やめておくれな。わたしは海賊だよ? ほしいものは力ずくで奪い取るし、これまでもそうしてきた。いまさら坊やの細腕ひとつ借りたところで、手に入るようなシロモノなんざないよ」


「おれにとっても夢なんです、『目覚めの宝』を引き上げるのは。船長みたいに大きな志はないけれど、それでも、もしこの世に存在するならおれの手でサルベージしたい!」


 真っ直ぐだった。ただひたすらに。

 問うた相手に曲解を許さない愚直さがあった。シェフはおもわず表情を綻ばせる。それを見たヴィクトリアには、非難の目を向けられたのだが。


「飯炊きや掃除番じゃダメなのかい? それだって、この船にとっちゃ重要な仕事だよ。夢、夢って聞こえはいいけどね。こっちは地に足つけてくれたほうが助かるンだよ」


「おれはサルベージャーだ! 師匠はエドリック・カルロ!」


「ほう……『ミラクル・エド』か」


 シェフの口から感嘆が上がる。直接的な知り合いではないが、タツ爺からよく話は聞かされた。豪放磊落を地で行く男らしいが、その魂はしっかりと弟子に受け継がれているようだ。


「ガキの頃から親方の船に乗って、二〇〇〇メートル級の大堀物にだって参加したことがあるんだ! だから」


「だから、なんだってのさ」


 ヴィクトリアが今日一番のすごみを見せる。その迫力には、大物海賊すら容易に近寄らせない危機感がある。彼女の目が言っている。それ以上口にすれば、ただでは済まないと。


「ガキのたわ言は聞き飽きたよ。この船の針路はわたしが決める。『ミラクル・エド』の弟子だかなんだか知らないが、調子に乗ンじゃないよ。おまえに一体なにが出来る!」


 すると少年の目は、まるで澄み切った海のように輝いた。おごりも高ぶりもない在りのままの自分をさらけだして。


「アンタの夢を引き上げる!」


 臆面もなく言い放たれたその言葉に、ヴィクトリアがしばし絶句する。まるで長年待っていたプロポーズを受けた、純情な乙女のような顔をしていた。


「これは落ちたな」


 シェフはひとりほくそ笑む。周囲には、次第に野次馬達が集まり出していた。


「どうします船長?」


 固まっているヴィクトリアに、シェフは助け舟を出す。ハッと我に返った彼女は、慌てて船長の威厳を身にまといなおした。


「ゥウンっ! しかたがないね! そこまで言うならテストしてやる! それをやり遂げたら一人前として認めてやるよ!」


「テスト?」


「マリナー乗りなら、腕で勝負しな。いまから海中したに潜って、ユニオンの武装マリナーを一体調達してくるんだよ」


「なんだ、そんなことでいいんだ」


「ちょいとお待ち。ただ潜って来いってンなら、タコでも出来る。こっちも色々と妨害をさせてもらうよ。ルカ、行っておいで。坊やのこと気に入ってるからって手ェ抜くんじゃないよ!」


 すると野次馬の中にいたルカがおどけて、


「え~、どうしよっかな~」


 などとヴィクトリア相手に軽口をたたいていると、いままでどこにいたのか、ここぞというタイミングであの男が口を挟んでくる。


「おれがやってやるぜ」


「マシュー……」


 誰ともなく彼の名を呼んだ。そこには一触即発のムードがあったが、クィントは冷静だった。彼は、ヴィクトリアの方を向き、ただ「お願いします」とだけ言った。


「半端な覚悟じゃないね?」


 彼女がそう念を押すと、


「はい!」


 クィントは短くそう答える。

 静かなるたたずまいに、猛烈な闘気をまとわせて。


 シェフは久しぶりに心が奮えているのを感じた。久しく感じなかった熱い鼓動。それはまぎれもなく、このクィントというひとりの少年に呼応しているのだ。

 かつて『血染めの王』とまで呼ばれた自分が、彼の息吹に一喜一憂している。


 そんな彼に若かりし日の自身を重ね合わせていることに気付き、なんだか奇妙なくすぐったさを味わうのであった。



〈つづく〉

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