第10話 涙

【前回のあらすじ】

 どうにか誤解をといたふたり。お互いの自己紹介なども軽くすませて、打ち解けた様子だったのだが――。



 徐々に心の溝を埋めていったふたりは、その後も色々と話をした。今日あったこと、生い立ち、親しい友人関係。なにしろ時間はたっぷりある。それにあまりに違いすぎるお互いの境遇を話しはじめればネタは尽きなかった。


「なぜきみ達は、わざわざ過酷な状況を選んで生きるのだ? 我が党のメガフロートには及ばないだろうが、りくのコミュニティで暮らした方が、楽が出来るんじゃないのか」


「海上生活が特につらいと思ったことはないなー。ほんとだよ? だっておれは去年までおかに住んでたんだからね。でもやっぱり海がいいよ。戻ってきてあらためてそう思った」


「陸地に住んでたのか? なんだ海人一年生じゃないか、えらそーに」


 ミレニアが口を尖らせて言うと、クィントの眉もキリリとつり上がる。


「違いますぅ、休学扱いですぅ、ちゃんと五歳までは海で住んでましたっ」


「え? クィントいまいくつだ?」


「十五」


「あ、年下じゃないか」


「うそ、じゃあミレニアは?」


「女性に年齢をたずねるモンじゃない」


「なんだよそれ」


 こうしてまたふたりは笑う。

 他愛のないやりとりは続いていくのだった。


「不思議だな……クィントにはなんでも話せてしまう。海人だからかな?」


「でも年齢は教えてくれないんだ」


「それを教えるには、まだまだ付き合いが足りない」


「あっそ」


「ふふ……冗談だ。わたしは今年で十六になる。だが、色々な面でクィントよりも未熟だな。緊急時における冷静な判断力、それからサバイバル能力の高さ。つくづく自分はお嬢様育ちなのだと思い知ったよ。わたしひとりでは、おそらく火もおこせない」


 沈痛な面持ちでミレニアは言葉を紡ぐ。

 クィントはただ、それを見守ることしか出来なかった。静かに熾火を整えながら、そっと耳を傾ける。


「わたしの家はユニオンでは知らない者がおらぬほどの名家でな。何人もの優秀な政治家や、軍人を輩出している。そのうえ始祖グレゴリオにいたっては、ユニオニズムの提唱者なのだ。わたしもその名に恥じぬようにと努力してきたつもりだったのだが……。どうやら母上のお考えは違うらしい。早いところ婿をとって、後継者を生んでほしいと」


「結婚……ってこと?」


「そうだ。婚約者もいる。親同士の決めた、家柄も申し分のない高潔な人物だ」


「……ミレニアは」


「ん?」


「そのひとのことを……」


 言いかけてクィントは言葉を呑んだ。

 初対面の人間に話すようなことではないと思ったからだ。しかし、ミレニアはなにも言わずに首を横に振った。その顔は、とてもつらそうに映った。


「幼馴染なのだ。わたしにはどこまでいっても優しい兄のような存在でしかない。またわたし自身、彼にそれを求めてしまっている。そのことで、彼には苦労ばかりさせているというのに」


「そっか」


 焚き火に、書類の束をくべながらクィントはごちた。

 どこかほっとしている自分に驚きながらも、やはりミレニアと自分とは別の世界の人間なのではないかという寂寥感に駆られる。

 そんな思いを吹き飛ばしたい、と炎を育てる作業にも熱を帯びた。

 再び燃え盛ってしまった熾火は、まるでクィントの胸裡を映す水鏡のようである。


「クィントのご両親は?」


 この空気で一番聞かれたくなかったことを、彼女は口にした。


「いやぁ……」


 彼女に罪はない。ただこの関係を維持するためにはとても言い出しにくい。それほどまでにミレニアという存在が、すでにクィントの胸中を席巻していたのである。ミレニアが無垢な表情で彼の言葉を待っていた。

 言いたくない。

 でも……。


「ミレニア……党軍がいま世界中でしていることをきみは知っているかい?」


 精一杯の切り口だった。


「どういう意味だ?」


「きみのいうユニオン啓蒙部隊という奴の……真実の姿のことだ」


 ミレニアは目に見えて動揺していた。それはなにかを隠蔽している者がする素振りではなく、真実、なにも知らないという、未知に対する恐怖からくるものだった。

 また怖いのはクィントも同じだった。

 もしかしたらミレニアが壊れてしまうのではないかと。


「それは……なんのことだクィント。なにかを知っているのなら教えてくれ!」


「……おれの故郷は海洋上にあるビル礁を利用した小さなコミュニティだった。そこで数人の海人と一緒に漁をして暮らしていたんだ。父親は元からいない。いまどうしているのかも分からないし興味もない。おれには母さんだけで充分だった」


 書類束をくべる手が止まった。


「ある日、啓蒙部隊を名乗るユニオンの軍人がやってきて、おれ達全員にユニオンへの入党を迫った。だが、おれ達は断った。別に困ってないし、これ以上、なにかがほしい訳でもなかったから。そしたら……」


 クィントは一度、言葉を詰まらせてミレニアから顔をそむけた。

 こみ上げる想いを抑えるのに必死だった。


「そしたら……奴らは無抵抗のおれ達に向けて発砲したんだ。女子供の見境なく、全員が動かなくなるまでずっと。おれは母さんが身を挺して隠してくれたから無事だった。それがちょうど五歳の時の話……、数日後におれは、いまの親方に拾われたのさ」


「そ、んな――」


「分かってる。きみに罪はない。知らないことは決して罪じゃないんだミレニア。だから……だから泣かないで――」


 お互い、こらえられなかった。少年は母と故郷を失った時のことを思い出して、少女はいままで絶対と信じていたものに裏切られてしまったから。

 長い沈黙のあとに、ミレニアは重い口を開いた。

 とても弱々しい声で。


「やはり……やはり父上は正しかった……マクファーレン総統のやり方では、敵を生むだけだと常々仰られていた。こういう……意味だったのだ。誰ひとり味方のいないなかで、あのひとはずっと孤独な戦いをしていた。すまないクィント! これはわたしの責めだ! わたしがもっと早くにこの真実に辿り着いていたならば!」


「きみだってその頃はまだ六歳じゃないか」


「でもっ」


 嗚咽でえずきながらミレニアが言う。なんだかクィントはそれが愛しくてたまらなかった。自然と手が彼女の頬に触れる。随分と、冷え切っていた。


「ミレニア、ありがとう。きみは母の死を悼んでくれた。きみは母の死に対して心から詫びてくれた。充分だよ、それでもう。充っ……う、ううううぅ……」


 もう限界だった。

 クィントは彼女の肩を抱きしめ泣き、ミレニアは彼の腕のなかで慟哭した。その声は和音となって廃ビルの奥まで響き渡り、いつまでもいつまでも鳴り止むことはなかった。



〈つづく〉

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