#8 パンケーキ・マジック

 洋館の中は明かり一つすらなく、暗闇に包まれていた。なんだか、ツンとしたカビ臭い匂いも漂っている。日常的に使われなくなってから、随分と年月が経っているのだろう。


 窓ガラスが散乱し、カーテンもビリビリに裂けてしまっている。こんなところであの少女は一体何をしていたのだろうか。辺りを見回しても、少女の姿は見えない。


 一応、洋館は二階まであり、中も相当広いようなので、もしかしたらどこかに隠れてしまったのかもしれない。


 俺の異能で小規模な雷を起こし、手の上に乗せると手のひらサイズのランタンが出来上がった。それを見た天断が目を丸くする。


「わぁ、すごい! 異能ってそんな使い方もできるんだ……やっぱり私も鍛えなきゃ」


「へぇ、今まで知らなかったのか。便利だから天断も使ってみるといいぞ。天断の能力は雨と風だから農家とかに喜ばれるかもな」


「扉の中に吸い込まれるというのは本当か……」


「そうだね、でもこれで中に入れたわけだし。気を取り直して依頼に向かおう」


「最初は天断の方が乗り気じゃなかったのに、今ではノリノリだよな。正直びっくりだよ。行く前は、話をしただけで怖いとか言ってたのにさ」


「そ、そんなことないって。怖いから早く終わらせたいだけ! もう……からかわないでよ!」


「そうかそうか。やる気があるのはいいことだ。そういえば、さっきの女の子はどこに行ったんだろうな?」


 悩む俺の横でしゅぽっと軽い音が響く。見ると、零さんがマッチを擦ってタバコに火をつけているのが見えた。零さんは火の付け方に謎のこだわりを持っており、なぜかマッチ箱を携帯している。


「ちょっと零さん! この中でタバコを吸うのはやめてください……ここボロボロだから、燃えたら大変なことになりますよ……」


「あぁ? 大丈夫だよ、これぐらい。床に落とさないように気をつけるさ」


「もう……本当にどっちが子供なんだかわかりませんね。とりあえずあの女の子を探した方がいいと思うんですが、零さんはどう思いますか?」


「賛成だ。未だに行方不明者がいるということは、この中にも何人か閉じ込められている人がいると考えていいだろう。催眠系の妨害食らっているのか、あるいは……」


 そこで不意に零さんの言葉が途切れる。そして彼の目がじっと壊れかけの天井を見つめる。天井には無数の糸が張られていて、不気味さを醸し出している。何かあったのだろうか。


「零さん、どうしたんですか?」


 天断が心配そうに尋ねるが、零さんは黙ったままだ。こんなに黙ることは珍しい。もう一度彼女の唇が男の名前を呼んだ、その瞬間。零さんがくわえていたタバコを宙に放る。


「来るぞ! 下がれ!」


 零さんの叫びが俺の耳に飛び込んでくる。どうして建物を燃やすような真似を、と問う暇もなく、俺たちは彼の手によって強引に後方へと飛ばされる。


 零さんが先ほどまで見ていた天井を見やると、巨大な蜘蛛が俺たちをルビーのような真っ赤な瞳で睨みつけているのが見えた。タバコが長い足に絡め取られて、火がふっと消える。


「零さん、これは……」


「ああ、自分の住処を荒らされたと思ったんだろう。随分とご立腹らしいな……これは面倒だぞ」


 面倒だと言いながらもその顔は笑っている。戦闘がしたくてたまらないといった感じだ。


「キシャアアァァ――‼」


 蜘蛛は一度、鋭く鳴くとその巨体をそらせ、糸を吐き出してきた。白く粘り気のある極細の糸が俺の頬をかすめるがどうにか避ける。糸が細いぶん、変則的な動きをしてくるので直前で見極めてからステップを踏む。


「嫌あぁぁぁ‼ 私、蜘蛛嫌いなの! こっちに来ないでえぇぇ‼」


 あまりにも突然の出来事だったので、パニックを起こしているらしい。暴れ回る天断をなんとか制する。


「天断! 落ち着け……ちゃんと向かって倒せば大丈夫だ」


「で、でも怖いよ……虫嫌いだし、気持ち悪いし……」


「気持ち悪いと思うのは俺も一緒だ。でも倒さなきゃいつまでも終わらないぞ。お前の治癒異能が必要だ……なんとか復帰してくれ」


 だが彼女はまだ動けないらしい。あることを思いついた俺はそれを実行に移す。


「よし、じゃあこれがクリアできたら……そうだな。シュクルリでデカ盛りはちみつパンケーキをおごってやる」


 シュクルリは、近所にある有名なパンケーキ屋さんだ。平日でも人が多い人気店で、いつも甘いもの好きの彼女が「食べたい」と言っていたのを耳に挟んでおいたのだ。


「シュクルリ⁉ 奢り⁉ 二千円ぐらいするデカ盛りはちみつパンケーキをおごりで……」


 彼女の手が俺の両肩に伸び、引き寄せる。彼女の目は真剣だが、キラキラと輝いており心の中の葛藤を見せる。


「嘘じゃない? ほんとにほんっとうにおごる?」


「ああ、この前の討伐依頼で結構いいお金がもらえたからな……約束するよ」


「……じゃあ、戦う」


 このテクニックを教えたのは、意外に思われるかもしれないが剣兄さんだ。あれでも一応彼女は持っており、デートテクニックは熟知している。


「……剣兄さん、ナイス」


「何か言った?」


 未だにちょっぴり不機嫌な彼女の言葉に頭を横に振る。俺たちが作戦会議をしているうちに零さんは、随分と蜘蛛の体力を減らしたようだ。


「天断、回復よろしく」


「……絶対はちみつパンケーキ食べるんだから」


 少し照れ気味の彼女を置いて、俺は零さんのもとへと駆け出した。

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