#6 怪異の謎を追え

「ふう……いい汗かいたな……」


 一人でのトレーニングが終わり、汗びっしょりになった俺は、体を動かした後の健康的な倦怠感に包まれながら、元のオフィスルームに向かって歩いていた。


 扉を開くと、爽やかな風がふっと俺の頬を撫で、体をひやりと冷やしていく。俺はそのままソファーへと腰掛け、全身を脱力させる。


「はぁ、疲れた……でもやっぱり零さんはすごいなあ」


 調整してもらった白虎もばっちりだった。あれならこれからの実践でもだいぶ活かせそうだ。そんなことを考えていると、不意に声がした。


「トレーニングお疲れ様ー。はい、これどうぞ」


 天断が俺が座る向かいのソファーに腰掛け、持っていたスポーツドリンク入りのペットボトルを渡してくる。どうやら差し入れのようだ。


 俺はそれをありがたく受け取り、キャップを捻って勢いよく飲み干す。運動後のこれは最高にうまいのだ。


 ぷはーっと風呂のあとのコーヒー牛乳のような真似をした俺に、天断が微笑ましいものを見るように笑う。ちょっと照れくさくなる。


「で、どうだったの? トレーニングの成果は」


「ああ! もう、ばっちしだよ! 虎も俺によく懐いてくれるようになったし。それに、制御もしやすくなったな。思い通りに動くって感じだ」


「それはよかったね! 私も鍛えなくちゃなぁ……このままじゃ置いてかれちゃいそう」


「おう、お疲れ様。調整がうまくいったようでなによりだ」


 カーペットの上に置かれた猫足テーブルには、なぜか空になったはずのコンソメポテチの袋とコーラのペットボトルが置いてあった。……まさか。


「あーこれか。剣兄ちゃんに頼んで追加で買ってきてもらったんだよ。異能バトルで腹が空いてさ」


 デスクに座っている剣兄さんは、「僕は何も知らないよ」というように口笛を吹いている。正直、分かりやすい。


「そんなにたくさん食べてよく太りませんよね……羨ましいです」


 天断が苦笑しながら言う。それはそうだろう。好き放題お菓子を食べて、ソファーでダラダラと寝転がっているにもかかわらず、このおっさんは長身痩躯の美形を保っているのだから。学校の女子達がこの話を聞いたら、きっと零さんは恨まれるだろう。


「太りたくなかったら異能バトルをいっぱいすることだな。経験も身に付くし、おすすめだぞ?」


「そ……そうですね……頑張ります。冬に食べ過ぎちゃったからなぁ」


 やっぱり零さんは戦闘狂だ。「天断、このおっさんにダイエット方法は聞かない方がいいぞ。まともな答えは返ってこない」と心の中で彼女に呼びかけてから、本題を進めていく。


「実は零さんに協力してもらいたい依頼があって……洋館に人が引きずりこまれているらしくてですね……」


「洋館だと? オカルト系の依頼か?」


「どうも連続失踪事件みたいで……警察から依頼が来たんですけど……ああ、これです」


 零さんの目が微妙に険しくなる。ソファーにもたれかかっていた体が起き上がり、前のめりになる。


 依頼の内容を詳しく説明すると、時間は決まって夜。場所は東京の渋谷、スクランブル交差点。東京の中心地と言っても過言ではない道路を通った数人の人間が、相次いで行方をくらましているという。人物たちに共通点はなく、年齢や性別は様々。


 特定人物への関わりなどもなく、その時間に通っていた通行人全員が失踪したというわけでもない。そのため足取りを追うこともできずに、警察は捜索を断念。俺達、異能者に依頼が回ってきたというわけだ。


 スクランブル交差点といえば、大量の人が行き来する場所であるはずだ。いったい何が原因で、連続失踪事件などという問題が起こっているのか……


「ふうん、なるほどなぁ……確かにこれは問題だ。時間は夜になっているが、今から行かなくていいのか? 警察からの依頼なら延ばしたとき、あとあと面倒だろう?」


「あー。メンバーが集まってから行こうかと思ったんですよね。一応まだ期間はありますし、結構難しそうな依頼だったんで……今日の方がいいですかね?」


「俺も明日の夕方には名古屋に飛ばないといけないからなぁ。しゃちほこが暴れているんだとさ。まったくあの野郎……また暴れやがって。名古屋の異能使いも何をやっているんだろうな?」


 名古屋といえば、車が暴走したりするのを異能者が止めたというニュースをたまに聞く場所だ。異能者によって交通事故の件数が明らかに減ったらしい。


 味噌カツや手羽先などが有名な所で、零さんがたまにお土産として俺たちのために買ってくる。


「しゃ……しゃちほこ……城の屋根の上に乗ってる金の魚みたいなやつですよね。零さんって本当にいろんな依頼を受けてるんですね」


「まあ、戦うだけで金がもらえるからな。こんなに楽な話はないよ。戦いは好きだからストレスもないし、運動不足も解消される。メリットばかりさ」


「学生には重労働です……零さんが特別なだけですって」


「ははっ、そうかな。で、どうする? 今日なら俺が手伝ってやれるが……お前達が自分達でやりたいって言うなら止めはしないよ」


 俺は天断の方を見る。彼女はあまり乗り気ではないようだが、二人で攻略するにはさすがに苦しい依頼だろう。頼む、と俺が手を合わせると、彼女は朗らかに笑って頷いた。


「すみません、零さん。急な話ですけど……よろしくお願いします」


「ああ、了解だ。じゃあさっそく依頼に取り掛かるとしようか。歩くのは面倒だから、俺の異能で転移するぞ。場所は……っと。よし、完了だな」


 零さんの足元から淡く輝く紫色の光が伸び上がる。零さん曰く、転移は直接主となる転移者の体に触れていなければできないらしい。三人で手をつないで、光の中へと飛び込む。


「断絶――華よ、我らを導け」


 零さんの静かな声が、転移を発動させる。次の瞬間、目を開いた俺たちが見たのは、道路を縦横無尽に歩く人々の群れ。様々な光と音が混じりあい、昼と夜で全く違う顔を見せる東京の観光名所の一つ。


 ――渋谷スクランブル交差点。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る