ただ、隣に住んでいる女の同僚と毎晩、ご飯を食べる話(旧版)

七野りく

プロローグ

「――それじゃ、お先、失礼します」


 週末の金曜日。

 俺は予定通り仕事を終え、定時に席を立った。

 未だ仕事の山と格闘している先輩――石岡さんがギロリ、と俺を睨む。


「……篠原、待て。少し待て。後三十分でいい」


 にっこりと微笑みながら、コートを羽織って返答。


「飲みには行きません。あ、明日までにその伝票、チェックお願いしますね」

「…………了解」


 恨めしそうに俺を見た後、伝票へと視線を戻した。

 まぁ、また今度一緒に飲みに行こう。俺に経理のイロハを教えてくれた先輩だし。

 他の同僚――総務兼経理部兼財務部の面々にも挨拶をして、ビルを出る。

 今週も一週間、お疲れ様、俺。

 時間はまだ夕方五時半。

 さて、この後は――携帯が震えた。

 メッセージを確認。名前は『ラッキーガール』。……何度見ても、酷いネーミングだと思う。


『今日は餃子! 焼くのと! 茹でるのと! 揚げるの! 決定っ!!!』


 ……金曜日だからって、また、年頃の女性らしからぬコメントで。

 でも、餃子かー。美味いよな、確かに。材料はないから、買わないとな。

 そんなことを思いながら、地下鉄の改札へ。

 電車を待っていると、再び携帯が再振動。


『へ・ん・じ!!! もう、私のお腹は、餃子を……そして、キンキンに冷えた、ビールを欲している……。それ以外は受け入れられない。あと、へ・ん・じ!!!! ホウレンソウは基本中の基本よ! 篠原雪継しのはらゆきつぐ君!!』


 「…………うぜぇ」。思わず呟いてしまい、そのまま返事をせず携帯を仕舞う。

 この感じだと、向こう仕事を抱えている状態と推測出来る。

 今がまだ五時台だから……夕飯は七時目安で良いだろう。

 向こうが来なかったら――三度、携帯が振動。今度は着信だ。そこまで、餃子が喰いたいのか。

 地下鉄がホームへやって来る。渋々出ると、早口で言いきられる。


「先に食べたりビールを飲んでたら高校時代の黒歴史を全部白日の下へ晒す」

「はぁ!? お前なぁ」


 此方の反論を聞く前に通話終了。通話時間、僅か五秒。

 メッセージが入る。


『帰宅は19時過ぎる。私、焼くのプロよ? 揚げるのは任せた! 嫁入り前に、肌を傷つけるわけにはいかないから!!』


 「…………」自分の顔が何とも言えない感じになっているのが分かる。

 こんなのでも、中の上の文具メーカーである、うちの社内ではトップ営業として名を馳せ、性格、器量とも良し、とされているのだから世も末だと思う。既に係長だし。

 いやまぁ、実際、とんでもない営業成績を見せつけられると何にも言えんけれども……酒を飲む度、延々と自慢してくるのはウザイが。 


※※※


 マンションのインターフォンが鳴ったのは、夜20時過ぎだった。

 俺が答える前に鍵が勝手に開き、長い茶髪で小柄な若い女が部屋へ侵入してきた

 控えめに言って美人。悔しいことに。

 この女、謎なことにこいつは俺の部屋の合鍵を持ってやがるのだ。

 なお、俺は向こうの家の合鍵は持っていない。押し付けられそうになった際、断ったら本気でグーパンされた。

 どうやら、自分の部屋にも戻らずこっちへ来たらしく、高そうな鞄とビニール袋を持っている。ビニール袋の中身は硝子瓶。おそらくはワインだろう。

 表情は不機嫌そのもの。

 俺は椅子に座りながら携帯を手に取り、緊急ボタンを押す振りをする。


「あ、警察ですか? 不法侵入者」

「ゆ~き~つ~ぐ~…………」

「……冗談だっての。お疲れさん」

「……餃子!」

「の、前に手を洗って、うがいをしろ。あと、着替えて来い。隣の部屋なんだから」

「あんたは、私のお母さんか! ……シャワー借りる」

「おい、こら、貴様」

「私には、四月一日幸わたぬきさちっていう名前があるんですけどー」 

「ラッキーガール、止めろ」

「…………」


 四月一日はおもむろに、ビニール袋を振り上げた。

 目がマジである。というか、少し恥ずかしい自覚はあったのか。

 俺は対抗。


「今、ここで俺を殺って……本当にいいのか?」

「私の気が済むわ。後の事は後の私に任せる!」

「――揚げ餃子は食べられなくなるけどな」

「!? 卑怯者っ! 餃子を人質に取るなんて恥を知りなさいっ!!」

「……二十四歳、独身女子で、うちの社内だと『大エース様』『四月一日様』とかって言われて、崇められている人の台詞じゃねぇなぁ」


 げんなりしつつ、立ち上がりビニール袋を受け取る。やっぱり、中身はワインだ。材料代って、ことだろう。……3/4はこいつが飲むだろうが。

 ひらひら、と手を振る。


「とっとと、着替えろ。その間に準備はしとく」

「りょーかい。あ、一緒に入る?」

「…………それ以上、口にしたら、貴様の高校時代の写真を会社でばら撒く」

「え? 別にいいけど?? ほら、私ってば、高校時代から可愛かったし?」

「…………」


 うぜぇ。しかも、事実なところがまた何とも……。

 俺は小さなビール用冷蔵庫の隣に鎮座している、小型のワインセーラーへワインを入れる。両方共、四月一日が買ったものだ。……最近、侵食されているような?

 四月一日は、これ以上俺が構ってくれないと理解したらしく、勝手知ったる何とやら、そのままバスルームへ消えた。さっきまでの不機嫌は何処へやら。鼻歌まで歌ってやがる。

 ……住んでるのは隣の部屋なんだから、帰れば良いものを。

 にしても、どうして、こんな事になってるんだろうか。

 溜め息を吐き、俺は冷蔵庫にしまっておいた、包んだ餃子を取り出すのだった。


 

 ――これは、就職した会社の同い年の先輩が、偶々、隣に住んでいただけじゃなく、高校の同級生で、何となく一緒に夕飯を食べるようになったっていう何でもない話だ。少しの間、付き合ってくれると嬉しい。 

 

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