避難生活おわりの日

 状況が落ち着いてくると、今度はどうやって帰ろうかという話になってくる。かろうじて東京へは臨時便を飛ばしている空港があり、そこまではバスが走っていることが分かった。

 幸いにしてわたしは全日空のチケットが取れて東京に戻る算段がついたが、仙台から来ている出張者はお手上げ状態のようだった。仙台に入る方法が見つからないのだ。

 後日、彼らは高速バスを使って新潟経由で仙台に戻ったと聞いた。現地から一日かけて新潟に移動、さらに1日かけて新潟から仙台へ。本来なら1時間強の距離を2日かけて移動しなければならない。震災がもたらした被害の大きさを改めて感じた。


 空港にはたくさんの人がいた。キャンセル待ちをしている人や、とりあえず空港に来てみたという人など、飛行機の座席を確保できていない人が圧倒的に多いようだった。一様に暗い顔をして、不安そうに座り込んでいた。

 わたしは本当に恵まれていると思った。このチケットは東京にいる同僚が苦労して確保してくれたものなのだ。

 疲れて座り込んでいる人を目にするとなんだか申し訳ない気持ちになり、この人たちに自分の席を譲ってあげたいとも思ったが、チケットを手放すことはできなかった。わたしだって家に帰りたい。

 当初、飛行機は16時くらいに出発の予定だったが、機材が到着せず出発予定時刻はどんどん遅れていった。疲労を感じてはいたが、こんな混乱のなかで便を用意してくれることをありがたいと思った。充電の問題があるので携帯電話で暇をつぶすこともできず、ラウンジで搭乗が始まるのをひたすら待った。

 遅延の案内が繰り返されるたびにため息をつきつつも、ほとんどの人がわたしと同じようにじっと耐えていた。だが、ある中年男性は航空会社の女性スタッフに「いつまで待たせるんだ!」と詰め寄っていた。自分のイライラを女性スタッフにぶつけて憂さ晴らしをしているようにしか見えなかった。本人には並々ならぬ事情があったのかもしれないが、こんな風にはなりたくないと思った。

 結局、滑走路を離れたときには20時近くなっており、羽田空港に着陸したのは22時ごろだったと思う。当時、婚約中だった夫が空港まで迎えに来てくれた。

 彼の顔を見たとたん、涙があふれてきた。こんなひどい被害が拡がる中で、お互い無事で本当に良かった。


 後から聞いた話だが、彼はわたしが東北に出張しているのは知っていたので、なかなか連絡が取れないわたしをひどく心配していたそうだ。

 しかも前週はわたしが仙台に行っていたこともあり、当日も仙台にいると思い込んでいたらしい。そして「仙台市の映像です!」の声と共に流れる津波の映像を携帯電話のワンセグで見て、「あいつ泳げないのに……!」と思ったそうだ。あんな濁流の中では泳げるとか泳げないとか関係ないと思う。

 そして最悪の事態を想像して呆然とするあまり保有株の売り時を逃し、大損したらしい。申し訳ない。

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