3.11.東日本大震災 記憶の記録

静海しず

2020

当日

 3月にしては日差しが暖かい、とても天気の良い日だった。あの日、わたしは出張で東北のとある客先のビルの執務室で仕事をしていた。金曜日の午後だったので、宿泊先のホテルから荷物も引き上げてきていた。部屋の出入り口付近には同じような出張者の荷物が並べてあった。

 新幹線の時間が迫り、そろそろ駅に向かおうかと帰り支度を始めた時だった。体がかすかな揺れを感じた。わたしは卓上で充電中だった携帯をつかむと、すぐに事務机の下に潜り込んだ。


「また潜り込んでるよ」


 周囲から、仕事仲間の苦笑する声が聞こえてきた。今週は小さな地震が度々あり、わたしはその度に同様の行動をしてた。

 だって怖かったのだ。幼いころ、わたしは神戸市で阪神淡路大震災を経験している。地震の恐ろしさを知っている。笑われたって関係ない。命を守る行動をして、結果的に何事もなかったらなかったで、それでいいのだ。

 その時は突然やってきた。かすかな揺れは強さを増し、フロアにいる全員の携帯電話の緊急警報が一斉に鳴り響いた。周りで笑っていた同僚は焦りだし、積み上げていた段ボールやキャビネットが倒れないように押さえようとしていた。

 だが、揺れは収まるどころかますます激しくなっていく。


「隠れろ!!!」


 誰かが叫んだ。そのほんの少しあと、一層強い揺れが襲ってきた。おそらくこれが本震だったのだろう。机の脚をつかんでうずくまっていても、体が揺れに引っ張られる。コンクリートの建物にいるのに、ペラペラの紙箱の中に入れられてひどく振り回されているような感覚だった。すべてがぐにゃぐにゃで、体を支えられない。それほどの揺れだった。

 同僚が隣に潜り込んできた気配を感じた。

 長い長い揺れの中、わたしは「やっぱり」と思っていた。前週は仙台に出張していたのだが、そこでも震度4くらいの地震が度々あったのだ。大きな地震の前震ではないか? うっすらとした不安があった。

 いつ終わるとも知れない揺れの中、泣きじゃくるわたしの肩を、同じく机の下に潜り込んだ同僚が、しっかりつかんで支えてくれていた。

 怖かった。地震の揺れそのものもそうだが、揺れが収まった後、街がどうなるかわたしは知っていたから。地震の後、神戸の街は火にのまれた。消防車のけたたましいサイレンの音は今も耳に残っている。


 揺れが収まって机の下から這い出ると、部屋の様相は一変していた。天井まであるスチールの重たいキャビネットが倒れ、書類が詰まったキングファイルが散乱している。段ボールは崩れ、パソコンは倒れ、割れ、天井の点検口の板が外れて中から配線が飛び出ている。灰色のほこりがもうもうと舞っていた。

 とにかく外に出よう。全員がいることを確認して出口に向かう。部屋の出入り口に散乱していた出張者のキャリーバッグは男の人たちが端によけてくれた。

 避難経路になっている外階段に出ると、吹雪になっていた。揺れの前には爽やかな青色だった空が、今は不吉な灰色に変わっていた。

 天変地異。世界の終わり。そんな言葉が頭に浮かんだ。

 外階段で避難している途中、またしても揺れが襲ってきた。階段が建物から外れるような気がして、急いで階段を下りた。

 しばらく駐車場で待機していたが、余震のたびにアスファルトの地面が液体のようにゆらゆらと波打っていた。

 建物は危ないから入れないが、寒いからということで、客先に常駐している同僚の一人が自分の車にわたしたちを案内してくれた。出張者は車内に残り、常駐のメンバはお客と一緒に状況確認等の作業をしに戻っていった。

 全員無言のまま、緊急ニュースを流すカーナビを見ていた。それしかすることがなかったのだ。携帯電話は通じず、建物に入ることはできない。じっとしているしかなかった。

 正直、このへんのわたしの記憶はあいまいだ。おそらく極度のストレスのために頭がぼんやりしていたのだと思う。


 時間が経つにつれ、各地の被害状況が徐々にわかってきた。そして、何が起ころうとしているかもわかってきた。同じ場所の映像なのに、数分前とは明らかに異なる漁港の水位。防波堤を越えて道に流入してくる海水。まっくろな海面。先ほどまで人が立っていたはずの道路が水に浸かっている。車が流されている。

 立っていた人は無事に逃げたはず、流される車に人は乗っていないはずと強く信じた。それは願いだった。あの濁流に人が飲み込まれたとは思いたくなかった。


 新幹線はもちろん運休になった。

 ホテルは引き払ってしまっていたため、わたしたち出張者には今日寝る場所がない。現地メンバの厚意で、空き家となっているご実家に、出張者全員で身を寄せさせてもらうことになった。ありがたかった。途中の道路にはブロック塀が石畳のように延々と倒れ、白い雪が積もっていた。

 その日はテレビと明かりをつけたまま、緊急地震速報と余震に怯えながら居間のこたつで横になった。疲れているはずなのに、深い眠りにつくことはできなかった。

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