第20話 私以外、私じゃないの

「ねえ、田坂先生。ちょっといい?」



 時計は、夜の8時を過ぎていた。相変わらず、この若者はパソコンとにらめっこをしながら、学級通信作りに勤しんでいる。



「はい、何でしょう?」


「あのさ…、子どもたちとつながりをつくるのって、どうしたらいいんだろう?」



それを聞くと、彼は首だけひねって怪訝そうな顔で私を見つめた。



「なんすか?急に。いつもの浜島先生らしくないなぁ…」


「そ…、そんなことないわよ。ただ、ちょっとね」



パソコンを打つ手を止めると、彼は座り直しこちらに向きを変えた。



「何かあったんですか?」



そう尋ねられて、今朝ハテンコー先生から言われた話を伝えた。



「なるほどなぁ…。それで?」


「いや…。それでって…。だから、子どもたちとつながりをつくるために、何ができるのかな~と思ってね」



彼は、さも可笑しそうな表情で私を見つめた。



「でも、ハテンコー先生は何ができますか?って尋ねたんですよね?じゃあ、浜島先生の中に答えがあるってことじゃないですか?僕に聞いても答えはないんじゃないですか?」


「そっ…それはそうだけど」と私は弱々しく答えた。その答えが見つからないから、困っているのだ。



「ハテンコー先生は言ってましたよ。田坂先生が僕にはなれないように、僕も田坂先生にはなれません。子どもたちも、一人として同じ子はいません。教育に万能な方法なんてないんですよ。だから、いつだって目の前の子どもたちのために何ができるかを、自分自身に問いかけるんですよっておっしゃっていました」


「自分自身に問いかける…」


「自分自身の中に答えはあるんだと思いますよ。だから、教育書を読む前に、ちゃんと自分の魂とつながりなさいって。人の真似は勉強にはなるけれど、そこに正解はないんだそうです」



自分の魂とつながる?どういうことだろう。



「あの…、浜島先生は子どものころ、どんな先生を信頼していましたか?」



そう尋ねられて思い出す先生がいた。

 中学生のとき、国語の先生だった高橋先生だ。授業のことは思い出せないけれど、いつも気さくに話しかけてくれる先生だった。それで、休み時間にはよく私の話を聞いてくれたっけ。

 たしか、合唱コンクールに向けて合唱練習していた日だったかな。高橋先生のクラスと合同練習することになった。お互いのクラスで歌を聴かせあったんだ。歌い終わったあと、先生と目が合った。先生がね、ニコって微笑んだの。ただ、それだけ。でも、うれしかったなぁ。

 それで、困ったことがあったら、高橋先生に相談しようって思った。だけど、結局そんな機会は訪れなかった。

 ふと、心の中で思い出しながら、ニヤついてしまった。それを見ていた田坂先生が、不思議そうな顔をして尋ねてきた。



「浜島先生、どうしたんですか?急にニヤニヤして」


「えっ…?別にニヤニヤなんかしてないし。ただ昔のことを思い出していただけよ」



そういうと彼もニヤニヤして、こう質問を重ねた。



「その…、昔出会った先生に浜島先生が信頼を寄せたのはどうしてですか?」



 私は黙ったままじっくり考えた。彼はその間、私の言葉を待っていてくれた。その沈黙が心地良くもあった。

 授業のことは覚えていない。教育技術があったかなんて覚えてもいない。ただ、あったかくて、優しい先生だなぁって感じて、うん、好きだったな。



「あのね…、あたたかくて優しい先生だったの。話をじっくり聴いてくれて」


「これも、ハテンコー先生が言ってたんですけどね。子どもたちに愛される先生になりなさいって。それから保護者に応援される先生になりなさいって。子どもたちに愛されて、保護者に応援されてたら、言葉がちょっとぐらい下手くそでもちゃんと届くって。子どもに愛されてなくて、保護者に応援されてなかったら、どんなに巧みな話術でもまったく届かないって」


「子どもに愛される?保護者に応援される?」



私は、自分に問いかけるように、言葉を口に出した。



「そう。子どもたちに愛され、保護者に応援されたら、それは幸せな先生、ハッピーな先生だって、おっしゃってました」


「ハッピーな先生?」


「そうです。そういう先生が、教室そのものをハッピーな教室に変えるんだよって」


「ハッピーな教室?なんだか、今のクラスと正反対だなぁ…」



思わずつぶやいてしまって、ハッとした。そんな弱気な姿を彼に見られたくはなかった。



「ハテンコー先生はこうもおっしゃってました。愛されたかったら、愛しなさい。大切にされたかったら大切にしなさい。応援されたかったら、応援しなさい。世の中は鏡だから、あなたがしたことが返ってくるのだよって」



 私は、自分の学級経営を省みた。愛しても、大切にしても、応援してもいなかった。一方的にこちらの考えをぶつけていた。子どもたちの声にじっくり耳を傾けることもなかった。だから、子どもたちも私の声に耳を傾けてくれなかったのかもしれない。私が心を開いてなかったから、子どもたちも心を開いてくれなかったのかもしれない。

「世の中は鏡…」そう独り言ちた。



 「そのことを浜島先生が理解できたなら、あとのやり方は、先生自身のやり方があるんじゃないでしょうか?」



 そういうと、田坂先生はキラキラした瞳で、私は見つめてきた。私は自分の頬をつたう温かいものを感じた。さっと手で拭うと、「そうだね」とつぶやき、席を立った。

 職員室に戻ると、彼の姿はなかった。気を遣わせてしまったかもしれない。そう思うと、あの若い先生に申し訳ない気持ちになった。

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