第15話 たかが学級通信、されど…。

 時計の針はまもなく21時になろうとしていた。どうして、こうも忙しいのだろう。二校目ということで確かに仕事が増えたのは事実だ。授業の準備に時間をかける余裕もないし、学級の指導も中途半端だということはわかっていた。わかってはいたけれど、やりきれない自分自身にも腹が立って仕方がなかった。

 隣の席では、田坂先生が黙々とパソコンに向かっていた。最近彼は生き生きとしている。新卒二年目の彼は、一学期こそ頼りない先生だったものの、夏休みが明けてなんだか頼もしく見えた。たしか、一学期には保護者からのクレームで学級がバタバタしていたはずだ。



 「ねぇ、田坂先生は何をやってるの?こんなに遅くまで」


「ええ、今、学級通信をつくっているところです。二学期からつくることにしたんです。まだ、始まったばかりなんですけどね」



そう言うと、嬉々とした表情でパソコンに向かっていた。そんなものをつくって何になるのだろう。前任校でお世話になっていた先生が言っていた。「教師は、教室がすべて。教室で何を語るかが大事なんだ」って。学級通信なんて必要ない。私は子どもたちに言うべきことを言っていた。



「ねぇ、田坂先生。いい?教師ってのはね、教室で何を語るかが大事なの。学級通信を書いている暇があったら、教材研究でもしたらどう」


「はぁ…」



田坂先生は気のない返事を返してきた。先輩の助言が聞けない。だから、最近の若い先生はダメなのよ。



「浜島先生は、どうして学級通信を書かないんですか?なかなか書いてみると楽しいですよ」



何を呑気なことを言っているのだろう。二年目なんて、ペーペーじゃない?わかったような口を聞かないでほしいわ。



「いい?田坂先生。教師ってのはね、教室で何を語るかが大事なのよ。自分の想いを子どもたちにぶつけるのに、通信なんて必要ないのよ」



そういう私に田坂先生は、不服そうな表情を見せた。それがまた、私を苛立たせた。



「ふ~ん、僕はちゃんと子どもたちに想いを届けていますよ。で、伝えたことをもう一度文字に起こしているだけです」



一度伝えたことをもう一度文字に起こす?ますます意味がわからなかった。一度伝えたことをもう一度文字にしてどうするのだ。



「どういうこと?」


「えっ⁉︎だから、子どもたちに朝や帰りの会で伝えるじゃないですか?それを、もう一度文字に起こして学級通信にしてるんです」


「あのね、田坂先生。子どもに伝えたことをもう一度書いて、意味あると思う?」



 生意気な後輩だけど、面倒をみてあげなきゃいけないわ。だって、私もそろそろ中堅と呼ばれる年頃ですから。

 すると、当の田坂先生が納得したような顔をしている。



「なるほど、やっぱり先生もそう思いますか?」


「当然でしょ?普通だれだってそう思うわよ」


「そうですよね。いや~、やっぱりすごいなぁ」



何を感心しているのだろう。そんなことぐらい気づけるに決まっているじゃない。私はもう初任者じゃないの。それなのに、この若造ときたら、しきりに感心している。少しだけ癪に触ったけれど、感心される気分も悪くない。



「普通はそう思うんですよね、普通は。でも、違うんです」


「なっ…、何が違うって言うの?」


「そもそも、学級通信ってだれに向けて書いていると思いますか?」


「そんなの決まってるじゃない?子どもに向けて書くでしょ、普通は」


「う~ん、そうですよね。やっぱりすごいなぁ」



私はますますイライラを募らせた。



「だから、何がすごいのよ」


「いや~、普通は子どもに向けて書きますよね?うんうん」



田坂先生はしきりに首を縦に振った。何に納得しているのかわからなくて、私は黙り込んでしまった。



「でもね、学級通信は保護者に届けるラブレターだって言うんですよ」


「何よ、それ。ラブレター?だれが言ったの、そんな馬鹿なこと」


「ハテンコー先生ですよ。学級通信は保護者へのラブレターのつもりで書きなさいって。子どもたちに話したことを忘れないうちに文字に起こしなさいって」



ハテンコー先生って、あの葉山先生のことか。なんだか、ぼんやりした頼りない先生だけど、そんなわけのわからないことを教えて、どういうつもりだろう。



「なんで、子どもたちに話したことを書くのよ?意味がわかんないんだけど」


「素敵な教室をつくろうと思ったら、保護者に応援されなきゃダメなんだそうです。で、学級通信は僕らが保護者に想いを届けられる唯一のツールなんだそうです。とくに思春期になると、親子の会話もぐ~っと減りますからね。学級通信で学校の様子を届けることが保護者への応援になる。保護者を応援するから、保護者に応援していただける。あっ、これハテンコー先生の受け売りですけどね」



 わかったような口を聞く若造に私はいら立った。何より、学級の仕事を楽しそうにしている姿が腹立たしかった。たまたま私のクラスには性格の悪い子が集まってしまったのだ。田坂先生のクラスは一学期こそバラバラの印象だったが、徐々に落ち着きを取り戻していった。きっと、よい子たちが集まったのだろう。



 「いい?ちゃんと学級経営をしていれば、子どもたちの口を通して、保護者にも想いは伝わるものよ。やっぱりね、大事なのは子どもたちに何を伝えるかよ」



すると、田坂先生は心配そうな表情を見せた。



「浜島先生。いいですか?」


「なっ…、何よ?」


「浜島先生のクラスの子たち、先生の想いをどう受け取っていますか?」


「えっ…」



 私は返す言葉がなかった。私は毎日、想いを伝えている。そんなことでは、三年生になったとき心配だ。もっとちゃんとしなさい。このままじゃダメ。毎日、同じことを伝え続けていた。だけど、どう受け取っているかと聞かれて、私はハッとさせられたのだった。



「ねぇ、葉山先生は他に何て言ってたの?」


「いや~、ハテンコー先生、本当におもしろいんですよ。どんな些細なことでもいいから絶賛しろって言うんです。で、おもしろいのは、毎日いいところ探してるといいとこ探しのアンテナが磨かれるって言うんです。とにかく朝と帰りに絶賛しなきゃいけないんです。大変ですよ」


「そんなに褒めるところなんてないでしょ?」



私は力なく尋ねた。ところが、田坂先生はうれしそうにこう答えた。



「そう思うじゃないですか?でもね、違うんです。だんだん見えてくるんです、いいところが。ハテンコー先生はカラーパス効果だって言ってました。それで、子どものいいところを朝や帰りに伝えるんですね」


「たとえば、どんなことを?」


「今朝はですね、昨日加藤さんが黒板をきれいに消してくれてたんですよ。それで、きれいな黒板でうれしいなぁありがとな~って伝えました」


「何それ。そんなの当たり前じゃない。黒板はきれいに消すものでしょ?そんなのきちんと日頃から指導しなきゃダメよ」



 今日も、日直の田中を叱ったところだった。黒板消しを上から下に丁寧にかけなさいって。毎日指導しているのだけれど、なかなか定着しないのが悩みの種だった。けれど、指導は根気がいるものと教えられてきた。叱っていれば、そのうちわかってくれるはずだ。



 「でも、四組の黒板ってあまりきれいじゃないですよね?」



(うっ…)私は言葉に詰まってしまった。



「そしたら、今日はですね、教室をのぞくたびに黒板がピカピカになってるんです。もう、うれしくって。それで今日の帰りに、お前たち最高だなぁってほめました」


「何それ。そんなのたまたまじゃない?どうせ続かないわよ」



田坂先生は、少し悲しそうな顔をした。



「いや、これ、ハテンコー先生の予言通りなんです」


「予言?」


「はい。子どもたちの素晴らしいところを褒めていれば、素晴らしさは伝染していくって。教室はいいところも悪いところも伝染していくんだそうです。それで、いつのまにか、それが学級の普通になる。そうやって育てるのが学級の文化だって」


「伝染していく?」


「そうです。一学期、僕は悪いところを指摘して、気がつけば叱っていたんです。それで気がつくと、どんどんダメなところが伝染していったんですよね。それで、ハテンコー先生が教えてくださったんです。これまでの学校の常識と逆をしろって」


「逆?どういうこと?」


「これまでは、悪いところを見つけて叱るのが普通でしたよね?でも、これからは逆だって。いいところを見つけて、どんどん認めていくんだそうです」



 どういうこと?先生の仕事は指導をすること。ダメなところを指摘して、きちんとさせるのが指導でしょ?それなのに、この田坂という若い先生は、褒めて認めるなんて言う。私はますます混乱してきた。

 すると、私の背後に気配を感じて振り返った。



「おっ、田坂先生、すっかりハテンコーイズムが身についているようだね」



教頭先生がニコニコとパソコンをのぞき込んだ。



「いつも楽しみにしているよ、学級通信。浜島先生も書けばいいのに」


「そんな余裕、私にはありません」



言って、私はハッとした。二年目の若い先生が書けているのに、私には書く余裕もないのだ。なんだか恥ずかしい気持ちになった。



「田坂先生、その学級通信、私にもくれない?」

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