第12話 知られざる過去

「今、戻りました」



 時計の針は二十時を少し回ったところだった。夜の職員室は昼間と変わらぬ熱気に包まれていた。ハテンコー先生は「じゃあ田坂先生。教頭先生にちゃんと報告しておいてね。僕は帰るから」と言うと、鞄を抱えて忙しなく職員室を飛び出していった。

 僕は教頭先生に事の次第を報告した。教頭先生は満足そうに微笑んだ。



「田坂先生、よかったですね、本当に。鈴木さんのお母さんにもわかってもらえたし、先生にとっても勉強になんたんじゃないの?」



僕も笑顔で応えた。



「はい、とっても勉強になりました。ハテンコー先生は、なんて言うか、すごいですね。行き帰りもいろいろお話をさせてもらって、なんというか、他の先生とは違うというか…」


「これからも、いろいろ相談させてもらうといいよ。なんでも答えてくれるだろうから」



僕は恐る恐る尋ねた。



「あの…、教頭先生は以前にもハテンコー先生と一緒に仕事をされていたんですよね?」


「うん、まだ彼が大学出たての、ちょうど田坂先生と同じくらいのころだね。僕は、隣の学年だったし、大きな学校だったからね。それでも、よく食事に行ったりはしたかな」


「ハテンコー先生は、どんな先生だったんですか?」



 そう尋ねると、教頭先生は少しだけ答えづらそうな顔をした。



「まぁ…、今とはずいぶんと違う印象の先生だったかな」


「どういうことですか?」


「生徒に厳しくてね、いつも怒鳴っているような感じ?歩くルールブックって感じの先生だったの。あんなに穏やかな先生じゃなかったかな」



 僕は驚いて聞き返した。



「そうなんですか?全然想像がつきませんよ。何があったんですか?」



すると、教頭先生はさらに顔を曇らせた。



「まぁ、それはそのうち、ご本人に直接聞いてみるといいよ。私の口から言うことじゃないだろうし」



僕はこれ以上詮索するのはよくないと思い、うなづいた。聞かなければよかったと少しだけ後悔した。「昔はまさに破天荒って感じで強面の先生だったんですね」と軽口を叩いた僕に教頭先生はこう言った。



「田坂先生は、破天荒の意味を間違えているようだね」


「えっ…、どういうことですか?」


「いいかい、破天荒って言葉の意味はさ、だれもやったことがないことを初めて行うことを言うんだよ。前人未到の場所を切り開くことをね」


「そうなんですか?」



教頭先生はニヤリと微笑んだ。



「名前の通り、彼にはこれまでの常識は通用しない。これまでどうだったかなんて関係ない。学校はこうあるべき、先生はこうあるべきってのは通用しない。まさに、破天荒な先生なんだ」


「たしかに、ハテンコー先生の教えは、初任者研修会で習ったこととは違いました」


「彼はね、目の前の子どもたちの幸せしか考えないんだよ。いつだってそこがブレない。だから、子どもたちに愛されるんだろうな。僕が初めて出会った若いころは、真逆の先生だったんだけどね。子どもたちに嫌われてもいいから、学校のルールを守らせる、そんな先生だったもんなぁ」



 いったいハテンコー先生に何があったのだろうか。僕は聞いてみたい気もした。そこに僕が変わるヒントがあるような気がしたのだ。けれども、それは開けてはいけないパンドラの箱のような気もしていた。



「ところで、ハテンコー先生はどうしていつもあんなに急いで帰るんですか?」



教頭先生がまた答えづらそうな表情を見せた。僕は、その表情を見て、また後悔した。聞かなければいいことを考えなしに話してしまう。それは、僕の悪い癖だった。



「プライベートなことだから、言いづらいんだけどね。ご家族がいろいろ大変みたいよ。だから、早く帰るんだよね。あんまり遅くまで、職場にいられないらしいの、本当は。今日もこんな遅い時間まで学校にいたわけじゃない?あなたのことを心配しているのよ」



 ここ最近、いつも遅くまでいた。何をするでもなく机に座って本をを読んでいた。そこには、そんな意味があったのだ。僕の胸に感謝の念が押し寄せてきた。教頭先生に一礼すると、僕はトイレへと駆け込んだ。あとからとめどなく涙があふれてきた。

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