ハテンコー先生の「子どもに愛される先生」になるための教員研修

くればやし ひろあき

第1話 ウザいベテラン教諭

 「またか…」


自然と口からこぼれ出て、思わず天井を仰いだ。今日もあのお母さんからの電話だ。

 部活動の指導を終えて、職員室に戻ってくると、早速教頭から声がかかった。


「田坂先生、また鈴木さんのお母さんから電話だよ。今日は落ち着いてるかな」


教頭の目が、僕を心配そうに見つめている。今週、すでに3回目の電話だった。前任の先生のお申し送りに寄れば「ちょっと心配性かな」とは言われていた。だが、今年に入り、日に日に電話の回数も増えてきた。

 立派なモンスターペアレンツである。

 それにしても思う。意気揚々とこの学校の門をくぐったのは、1年前。大学在学中に受験した教員採用試験に合格し、僕はこの市立青山中学校に赴任した。ところが、僕を待っていたのは生意気な中学生の洗礼だった。うざいだ、きもいだとののしられ打ちのめされた1年目。副担任として、なにもできなかった僕のプライドはズタズタだった。

 こうして迎えた2年目の今年、僕は初めて中学校2年生の学級担任になった。

 子どもたちも2年目、僕も2年目。同じ2年目同士仲良くやれればいい。そう思っていた。ところが、現実は甘くはなかった。「学校の先生」という仕事が、こんなにも心を削る仕事だとは思わなかった。

 今、僕の心を一番悩ませるのは、この、鈴木幸子の母親だった。


「もしもし、お電話を変わりました。田坂です」

「先生、いいですか?あのね…」


始まった。こうして毎日、自分の思っていることを一方的に話し続けるのだ。自分の子がいかに優れているか、そして僕の対応がいかに気に入らないか。ときに興奮してまくしたてる。僕も一生懸命説明するのだけれど、この母親ときたら、全然わかろうとしないのだ。聞く耳をもたないというのだから仕方がない。

 夕方の貴重な時間が、どんどん失われていく。今日は三十分で終わるだろうか。一時間はかかるまい。適当に相槌を打ちながら、話を聞くこと四十分。時計をチラリと横目に見る。


(もう七時か…。今日も遅くなるなぁ)


僕はうんざりしていた。ようやく電話を切ることに成功すると、1日の疲れがどっと出て、深いため息をついた。


「鈴木さんのお母さん、なかなか大変だね」


 優しい声色とともに、僕は肩をポンと叩かれた。ふと我に返り振り向いた。

 ハテンコー先生だ。葉山典之先生、人呼んで「ハテンコー先生」。子どもたちは、彼をおもしろがってそう呼ぶ。四十歳ぐらいだろうか。僕から見ると、「普通のおじさん」にしか見えないのだけれど、これで子どもたちからの信望はなかなか厚い。

 この春転任してきたというのに、もう子どもたちの心をつかんでいる。二年目の僕にとっては、それはとても悔しいことだった。

 僕の方が若くて、子どもたちとの年齢も近い。話題だって合うはずなんだ。だけど、全然ダメ。彼らは僕をナメてかかっている。それで叱ろうものなら、またヘラヘラしている。まったく、今どきの中学生たちときたら、そもそも言葉遣いからしてなっていない。どんな育て方をしたら、あんな風に育つのだろう。親も親なら、子も子だ。

 ところが、ハテンコー先生の前では違う姿を彼らは見せる。若い僕の前と、ベテランの前では態度を変えるなんて、なんてズルいんだろう。

 だから、僕はこの先生のことが好きではない。



「今日は四十分か。お母さん、どうだった?」



そう尋ねるハテンコー先生に、僕はぶっきらぼうに答えた。



「ええ、今日も好き勝手なこと、言ってましたよ」


「そうか…、田坂くんがそうやってお母さんの話を聴いてあげてくれて、鈴木さんのお母さんも救われていると思うよ。ありがとうね」



 「ありがとう」だなんて、この先生に感謝されるようなことは何もしていない。僕には、この先生の言っていることの意味がわからなかった。それに、僕がお母さんを救う?何を言っているのだろう。



「子育てって正解がないから、だれもが手探りなんだよね。だれもが不安を抱えている。そんな不安をぶつける先の一つが学校なのかもしれないね」



僕は、ますます困惑した。



「先生、それじゃあ僕らに親の不満のはけ口になれってことですか?」



 彼は、職員室の椅子に腰掛けると、僕にコーヒーの入ったマグカップを手渡した。淹れたてのいい香りがする。



「いいかい?僕らとお母さんは、敵同士じゃない。店員とお客さまの関係でもない。なんだと思う?」


「なんなんですか?」



ハテンコー先生は、ニッコリ微笑んでこう言った。



「僕らはね、子育てのパートナーなんだ。一緒に子どもを育てていくんだよ」



 パートナー?何を言っているのだろう。僕の仕事の時間を奪う、あのお母さんをパートナーだと思えと言うのだろうか。僕からしてみれば、邪魔者でしかないあの親を。



「先生、あんな親をパートナーだと思えって言うんですか?パートナーなら、こっちの都合も考えて電話をしてきてほしいですよ」



 僕は、だんだん腹が立ってきた。だけど、ハテンコー先生は顔色一つ変えずにこう言った。



「変えられるのは自分だけだからさ。こちらがパートナーだって思うだけで、お母さんとの関係はずっとよくなるんだよ」


「こちらがそう思ったって、向こうが変わらなきゃ意味がないじゃないですか?」



僕はムキになって反論した。周囲の先生たちの視線を感じた。



「そうだね。田坂くんは、鈴木さんのお母さんにどうなってもらいたいの?何を望むの?」


「そりゃ、こんな風に電話をかけてくるのをやめてもらいたいですよ。週に何度も電話をかけてこられたら迷惑です」



ハテンコー先生は、深くうなづいた。



「そうだね、大変だよね」


「僕だって早く帰りたいですよ、ハテンコー先生みたいに」

 ちょっと嫌味だったかもしれない。この先生は、夕方になるとだれよりも早く



帰るのだった。



「そうだね、早く帰りたいよね。お母さんからの電話の嵐が収まるといいよね」


「えぇ、そうです」



すると、またニッコリ微笑んでこう言った。



「じゃあさ、そのためにはどうしたらいいと思う?田坂くんには何ができる?」



僕にできること?あんなモンスターペアレンツ相手に何ができると言うのだろう。



「僕になにができると言うんですか?僕にできることなんて何もありませんよ」


「でも、それじゃ、何も変わらないじゃない?電話だって、きっと鳴り続けるじゃない?」



たしかにそれはそうなのだ。何もしなければ、この電話は続いていくだろう。そんな生活はうんざりだ。



「じゃあ、ハテンコー先生には何か考えがあるんですか。そんなやり方があるなら教えてくださいよ」



 さあ、ベテランのご意見を聞こうじゃないか。僕はようやく聞く耳ももつことにした。ところが、彼から明確な回答を得ることはできなかった。



「うん、でもそこは田坂くんがたどり着くべきなんだよね」


「どういうことですか?」



なんだ、偉そうなことを言っておきながら回答をもっていないだけじゃないか。



「そもそもお母さんは、なんで電話をかけてくるのだろう?」



 そんなの僕のやり方が気に入らないからだろう。なんだ?それじゃあ悪いのは

僕ということか?僕が悪いだって?今日だって四十分も話を聴いてやったのだ。それなのに、あの親ときたら、まったく歩み寄ろうとする気すらないじゃないか。それなのに、変わるのは僕の方だと言う。まったく馬鹿げている。こんな先生と話していても時間の無駄だ。



「なるほど、僕が悪いんですね。わかりました。以後、気をつけます」



 強引に僕は話を打ち切ると、なんとなく気まずくて目を合わせることなく席を立った。教頭先生が遠くで心配そうに見つめている。なんだか、急に周囲の視線が離れていく感じがした。僕は気づかぬフリをして職員室を出た。

 職員室の小窓から中をチラリ、のぞき見た。ハテンコー先生はマグカップに視線を落としたまま、じっと動かずにいた。反省するがいいさ。僕は悪くない。

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