16 アレの封印を解くしかない様だ

 二度目の週末。

 娯楽施設は殆どが閉鎖されている。

 

 澪を連れて遊びに行こうにも、遊べる場所は無い。

 そこで仁は考えた。

 

 閉鎖のしようがない場所へ行けばいいのだと。

 

「わーお花いっぱい!」


 環境保護エリア。

 通称酸素ボンベと呼ばれるエリアだ。

 移民船内の酸素循環サイクルを回す最重要エリアとも言える。

 

 宇宙移民において、酸素が無くなれば後は真空のデブリと消えるしかない。

 故に、このエリアだけは絶対に閉鎖されない。

 

 沢山の樹木に草原、花畑。

 そうした植物達に囲まれて仁も深呼吸する。

 何となくだが、リラックス出来る。

 

「あー何かそういえば昔聞いた様な……」


 令が力説していた気がすると仁は思いだした。

 何時だったか、彼女と何度もこの辺りを歩いたことがある。

 残念ながら、そのうんちくの詳細は記憶に残っていない。

 

「じん、じん。この花は何?」


 興奮気味の澪。

 相変わらず表情は動いていないが、目だけは輝いている。

 

「えっと……確かこれは」


 記憶を探る。

 花の種類はそうそう増えたりはしない。

 特にこの花は特徴的な名前で、令と会話をしたから覚えていた。

 

「……そうだ。金のなる木だ」

「え?」

「金のなる木だ」


 澪が己の掌を見つめる。

 困惑した視線で見上げてくる。

 

「お金、成るの……?」

「そんな目で俺を見るなよ……そういう名前なんだよ。本当に」


 船内で使われている通貨、クレジット。

 船団が発行したそれは市民IDにチャージされる物だ。

 

 植物がどうやって金を成らせるのか。

 改めて考えると不思議にも程がある話だった。

 

 名前の由来に想いを馳せていると、飽きた澪が別の花へと駆け寄る。

 

 仁も知らない花はその場で左手甲のディスプレイで検索した。

 少しだけ花の知識に詳しくなりながら、二人は環境保護エリアの中に通された遊歩道を歩き回る。

 

「あれ?」


 ふと、澪が声をあげた。

 

「どうした、澪?」

「お空からお水落ちて来た」

「え?」


 その言葉に仁も空――天頂スクリーンを見上げる。

 青空が投影されたそこから、仁の鼻先にも雨粒が落ちる。

 

 瞬く間にそれは増えていき、雨と呼ぶに相応しい規模となった。

 

「おいおいおい! 今日は晴れの予定だろう!」


 周囲も同じような悪態を吐きながら雨を凌げる場所へと避難していく。

 船団の天候は全てコントロールされている。

 故に、予定外の雨など有り得ない筈だった。

 

「わー。水が沢山落ちて来た!」

「雨だよ、雨!」

「雨かー」


 ぼやっとしている澪の手を引いて仁は木陰へ走る。

 何の木か分からないが、葉をしっかりと繁らせた枝は雨粒を遮ってくれる。

 

「むー」


 ずぶ濡れにされた澪が不機嫌そうに空を見上げる。

 憎たらしいほどの青空である。

 

「雨の時は曇りにするんだけどな……」


 空模様と実際の天候は通常連動している。

 だがあくまで、別々のシステムで動いている物を合わせているだけらしい。

 

 そう考えると、この雨は本当に想定外の事態なのかもしれない。

 

 折角の休日。

 今だけは船団を襲う危機の事を忘れたかったのに、と仁は思う。

 

 このタイミングでの不具合。

 無関係とも思えない。

 

 しばらくすると、雨は止んだ。

 こう濡れ鼠になってしまっては散策の続きと言う訳にも行かないなと仁は溜息を一つ。

 

「……仕方ない、帰ろうか」

「はっくしょん」


 その言葉に澪はくしゃみで返した。

 

 大慌てで家に戻り、タオルで澪の頭を拭く。

 

「じん、寒い……」

「だよな……」


 気の毒なほどに澪は震えていた。

 銀の髪が身体に張り付いていて凍り付いている様にさえ見える。

 仁自身少し肌寒い。

 

 致し方ないと、仁は決断した。

 

「アレの封印を解くしかない様だな……」

「アレ?」


 大仰な物言いに澪が首を傾げる。

 

 十数分後。

 澪が歓声を上げる。

 

「お湯だ!」

「お風呂な」

「お風呂だ!」


 湯気を立てる湯舟。


(いや、無いと思ってたけどあったわ。ずぶ濡れになる時……)


 湯加減を確かめながら仁は心の中で令に感謝を捧げる。

 

(ありがとう、令。お陰で風邪をひかせなくて済みそうだ)


 ナノマシンによる洗浄で十分だと主張した仁に対し、令は風呂場の設置に拘った。

 正直、使うときなど無いと思っていたが……こうしてずぶ濡れになって、身体を温めたいと思う時が来た。

 

 仁だけなら我慢したが、まだ子供の澪にまで無理はさせられない。

 

「それじゃあ澪、先に入って温まってな。俺は澪が出たら入るから」

「じん、じん」


 くいくいと澪が左袖を引いてくる。

 

「どうやって使うの?」


 だよな、と仁は思った。

 

 結局、二人で入る事にした。

 ナノマシン洗浄と違って、服のまま入るわけには行かない。

 羞恥心も無く衣服を脱ぎ捨てた澪を湯舟に放り込んで、仁も肩まで浸かる。

 

「あー」

「温かいねー」


 二人して緩んだ声を出す。

 冷えた身体に熱が染み渡っていく。

 

「これは……いいな……」


 普段はナノマシン洗浄で十分だと考えていた仁だが、偶になら湯舟に浸かるのもいいかもしれないと宗旨替えしていた。

 この溶ける様な感覚はナノマシンでは味わえない。

 

「何で今までお風呂やらなかったの?」


 膝の間から澪が見上げて、そう尋ねてくる。

 

「んー準備に時間がかかるからだな」


 単純に時間の問題だ。

 ナノマシン洗浄ならば一瞬で済むが、湯舟に浸かるとなると諸々含めれば数十分。下手したら一時間以上かかる。

 

「後は、お水いっぱい使うから、これ」


 多分今日一日だけで月の水道代の分は使ったと仁は思う。

 今はまだ平気だが、今の状況からすると近い内に節水が呼びかけられるだろう。

 そんな時期にこんなに水を使ってしまい良いのだろうかと言う考えもある。

 まあいっかと仁は思考を投げ捨てた。

 金なら無駄に溜まっているのだから。

 

「気持ちいいねー」

「こらこら、暴れるな澪。お湯が溢れる」


 水面を叩いて遊ぶ澪に注意する。

 縁一杯に溜まったお湯がその度に流れていく。

 もう一度足すのも手間なので、静かにするように言うと、澪も大人しく湯舟に浸かった。

 

「えっと確か……」


 本当は色々と風呂場の作法があった気がすると仁はぼんやりした頭で考える。

 身体を洗ったり、髪を洗ったりだとか。

 ただ、仁は風呂場を使う気が無かったのでその辺に必要な物が一切ない。

 今度買ってこないといけないなと仁は思う。

 この気持ち良さには抗えない。

 多分もう何度かは使うことが間違いない。

 

「まあ後でもう一回ナノマシン洗浄すればいっか……」


 別に併用を禁じる決まりがある訳ではない。

 今はただこの温もりに揺蕩っていたいと仁は思った。

 

 そのまましばし、だらだらと湯舟に浸かり――。

 

「待てよ……」


 お湯の温度を思い出す。

 あんまり身体を暖め過ぎると、悪影響が出るのではないか。

 否、もうすでに出ているのではないかと仁は思い至った。

 

 思えば先ほどから頭がぼんやりしている。

 

「不味い……澪、風呂から出るぞ。澪?」


 澪を湯舟から引き上げると真っ赤になった顔で仁を見上げてくる。

 

「じん……あちゅい……」


 呂律の回らない舌でそう言うと澪は目を回した。

 

「すまん澪!」


 謝りながら大慌てで仁は澪の身体を拭き、ベッドまで運ぶ。

 タオルケットをかけて、少し部屋の気温を下げる。

 

 調べて、濡れタオルを額に乗せるなどとしていたら顔色も良くなってきた。

 

 水をぐいぐいと飲みほして、澪はしみじみ言った。

 

「……お風呂って危ないね……」

「そうだな……俺達みたいな初心者には危険だった」


 漸く声を出せた澪に仁は同意する。

 

 やはりアレはまだ初心者の自分たちには早すぎたのだと仁は嘆息した。

 

「次はちゃんと手順を調べよう」

「うん……」


 お風呂って気持ちいいけどこわい、と言う意識が二人に刻み込まれた日だった。

 

 突然の降雨の理由は、天候管理システムのスケジュールと、外部へと提供されていたスケジュールに誤りがあったとの事だった。

 

 そしてそれが嘘であることは船団の人間ならすぐに分かる事だ。

 それからも天候は幾度となく狂ったのだから。

 

 天候管理システムに何らかの障害が発生したことは間違いなく、人型ASIDの襲撃に怯える市民は更に気持ちを暗くさせていった。

 

 余談ではあるが、跳ね上がった水道料金を見て仁も気持ちを暗くした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る