第6話 排泄と丸薬


 日が落ちれば当然暗くなる。

 すると、あとは月明りに頼るか、薪や油を無駄遣いして心もとない灯りを得るかになるだろう。

 そしてほとんどの場合、荒野に生活する人は早くに消灯する事を選ぶ。


 ……飲み明かして語らったりなどしなければ。

 逆に言えば、それくらいしか起きている理由が無いとも言えた。


 例に漏れず、アクロ達も夕食を終えればあとは寝るのみ。


 それでも強いて他を挙げるとすれば、それは用を足すことだろうか。

 しかし、この二人の少女、人狼と生活する上でそれは、アクロが特別気を遣う行為でもある。


 闇の中、山豸やぎの群の間を行くとよく糞が落ちているが、それは問題ではない。

 そこをしばらくずうっと進んで、双子から風下に距離を取り、最近のアクロはしばらくそうして用を足すことにしている。


 ――排泄の臭いがバレるんだよね。


 彼女たちは鼻が良すぎるのだ。


 それでも、ただ揶揄われたり、もしくはあちらも気を使って、分かってるけど知らぬふりなら耐えられる。

 しかし風が吹いて臭いが流れてくる度に、一人で出来たね、う〇ちしたね偉いね、と言葉を投げかけられているような、そんな温かい視線を向けられるとどうにも耐えられなかった。


 そもそも寝たきりだった時は下の世話など避けようもなくされていたわけで、だから慣れたものだろうと思えば、その逆。

 今更になって、アクロは返って何か気恥ずかしさを覚えてしまっていた。


 手の指ほどの深さ、片足でつんのめる様に蹴り込んで地面を割り、掘って進めて穴を作ると、その上に足と杖とを渡して跨る。

 アクロはしゃがむ事がまだ難しいので、松葉杖に寄りかかりながら腰が引けたような姿勢で事に臨む。

 そこからは物語の美的観点から一部省略させていただくが、それをの収まった穴を足で平に戻して均す。


 しつこいようだが全て片足なので、なかなか腰の要る作業になる。


 すっきりして帯を締め、露営へ。

 山豸やぎの糞は問題ではないと書いたが、あれは嘘だった。

 足裏に感じた不快な感触の後、靴底を時折地面に擦り付けながら、少し曇った面持ちでアクロが戻ると、そこにはチャルルしかいない。

 片割れは何処へ行ったの、とは聞かない。

 皆やることと言えば限られるからだ。


 しかしここでまた一つ困ったことがある。

 人狼が性質上そうなのか、アクロには二人以外の情報が乏しいので判断はつかないのだが、この少女たち、とくにトゥルルの方には癖があった。

 その手の事に関しての気遣いが薄いのだ。


 ――風上で音が近いんだよね。


 彼女は決まって音が流れやすいそちら側で催すので、距離を置きたいなら自分が離れるしかない。


 既に何かささやかな物音が聞こえだして、それを自分の足音で紛らわせながら、アクロは山豸やぎを相手にしばし時間を潰そうと近付く。


 山豸やぎは脚を折って座り、目を閉じてはいるが、時々周囲を確認するように耳を動かす。


 顎から首にかけて豊かにたてがみが生えていて、それも動いている。

 昼に食べたごく少量だろう草を大切そうに、腹からもどしては口で磨って、また腹に戻している動きだ。

 時々低く唸るが、これはアクロを警戒しているわけではなく、腹で発酵した草から出た気を抜いているらしい。


 もうよいだろうか、とアクロが視線を向けると丁度トゥルルが戻ってきていた。

 おやすみ、と彼が何気なく山豸やぎに声をかけてやると、ぐえぇ、と一つ鳴えこえが返ってくる。


 再び戻ると、二人の視線がアクロに集まった。


「おかえりぃアクロ、ずいぶん長かったみたいねー」


 などと、アクロの気も知らずトゥルルが言い、それに続いてチャルルは、


「んっ、二度目行ったの。 ぽんぽん大丈夫なの? 明日出られそうなの?」


 と心配そうに続けるが、そう言えば昼の干し肉は大丈夫なのだろうか。

 何かあったら君のせいだぞ、と言葉を心の中に潜めて、アクロは儀礼的に返す。


「問題ないよ、多分」


 明日になって急に腹を下しやしないか、と段々心配になりながら、アクロは即席の露営で今日の床を探す。

 が、手ごろな場所がなく、その代わり双子の間に妙な隙間があった。

 隙間を掌で二度、軽く打ってトゥルルが接近を促す。


 え、とアクロは声を漏らした。


「そこで寝なくちゃならないの? 僕は」


 さも当然、と言った面持ちで二人は返して来る。


「いーじゃない、久しぶりに」

「んぅ、川の字で寝るの」


 久しぶりに、と言ってもそれはアクロに介抱が必要だったときの話だったが、しかしこうなると拒否権はなさそうだ。

 入口に見立てられる付近へ杖を置き、よたよたと身を低くして、体を引きずりながら二人の間に入った。


「ほんとーにお腹だいじょーぶなの? おなかのお薬、あるわよぅ?」


「んっ、季節で定期的に巡回してるお薬屋さんが、薬箱を置いてくれてるの」


 アクロは聞いたことがあった、確か砂漠では異教の呪術師が弾圧を逃れながら糧を得るため、その知識で薬を作っては常に移動しながら売っているとか。


 小さな木箱を出して来る。

 三段の精巧な取っ手があり、引き出しの中には複数に仕切られた枠の中、丸薬が一錠ずつ収まっていた。

 しかし一つも減っていないようだ。


「なくなった分だけ後払いなんだけどねぇー。 お腹の薬はあんまし使わないから、ちょっと使ってみてっていう、興味本位的なところもあるかなーって」


「それじゃ厚意に甘えて、一錠貰おうかな」


 実験対象にされるのは少し不満だったが、アクロは言って促されるままに手を出してしまった。

 差し出された並びの中から一つをつまむ。


 口元に近づけると、虫の糞を固めたのかと思うような酷い臭いが鼻を突き抜けた。

 しかしこれは恐らく、木の皮か何かの出汁を煮詰めたものと、乳酪バターを合わせたものじゃなかっただろうか、とアクロは学院で学んだ薬学の知識で思い当たる節を手繰る。


 異教徒が作ったものとはいえ、薬の知識は自分たちと共有されているものなのかもしれないな、とアクロは頭の中で目星をつけた種類の薬に新たな知識を加えた。

 そして、知識はその丸薬の味も見当をつけて教えてくれる。

 相当ひどかったはずだ。


 良薬は口に苦し、と言うが、別に味わう必要はない。

 舌のなるべく奥に指で押して詰め込むと、舌が味覚を感じる前に、


「んっ、お水なの」


 水瓶からすかさずチャルルが取ってくれた水で、アクロは丸薬を腹に押し入れた。

 苦い、いや渋いとも言えようか、複雑な味。

 これだけ気を使って、なお口の中に後味の引く薬を使ったのだから、病は気からとも言うし、調子も良くなった気がしてくる。


「それじゃー、明日はまた早いわよ。 おやすみぃ」


 それぞれ声をかけると三人は就寝した。

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