四話 吸血鬼として生きるということ

「あ、でも誤解しないように。ちゃんときみにも私の血をあげたんだから」

「そうなんですか?」

「そうだよ。糖尿病の患者が毎日インスリン注射が必要になるのと一緒さ。これからのきみは吸血鬼、それも隷属として死ぬまで私の血が必要になる。本当は多少でも人間の食事が摂取出来れば、気が紛れてよかったんだけど」


 神父様の話によると、吸血鬼は血液でしか栄養補給が出来ない。神父様のような力の強い吸血鬼ならば、娯楽の一つとして人間の食事を楽しむことが出来る。

 でも、そうではない吸血鬼にとって血液以外の飲食は毒を飲んでいるのと同じなのだそう。

 また、神父様以外の血もまた飲むことは出来ない。


「隷属は死ぬまで主人に付き従う者。主人は隷属が裏切ったりしないように、血で相手を縛るのさ。レクスくん、今凄く喉が渇いているだろう?」

「はい……喉が焼けるようです」

「その渇きを癒せるのは私の血だけだ。でも、私の血をコップ一杯飲んだところで凌げるのは、ほんの一時だけ。血は食事であると同時に、麻薬なんだよ」


 だから、と神父様が続ける。


「これからはきみの状態を見て血をあげるから、他の人の血は飲んじゃ駄目だよ。犬や猫の血もね」

「えっと、わかりました」


 飢餓状態の吸血鬼は犬や猫、更には腐りかけた死骸だとしても欲求に抗えず牙を立てて血を吸うと聞いたことがある。

 ……俺は神父様のように髪や目が紅くなるようなことはなかったが――ちなみに、神父様の今の姿は『擬態』と言って、吸血鬼が見た目を人間のように見せる魔法の一種である――犬歯だけは鋭く尖ってしまった。

 俺も悪食が進めば、自我を無くし血を求めるだけの化物になるのだろうか。想像したくなくて、俺は話を変える。


「さっき、俺には休息が必要だって聞きました。それって、どういう意味ですか? 処置のおかげで傷口の痛みも気になりません。時間を無駄にする余裕はありません」

「確かに、吸血鬼になったきみは体力や回復力が大きく向上している。でも、私の……真祖の血が身体に定着するまでには時間がかかるんだ。定着していない内に無理すると、それだけ悪食が進む。様子を見ている限りだと、最低一週間は安静にして欲しい」

「でも、俺には時間が――」

「それはわかってる。でも、教会を罰する方法もまだ思いついていないだろう? まずは安全な場所でゆっくり休んで、それから行動しよう。大丈夫、神は寛容だからね」


 優しく微笑む神父様に、俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 確かに、俺が教会への復讐案を考えることが隷属になる条件だった。早く考えなければいけないが、微熱が続いているかのようにぼんやりしてしまう。

 そういえば、さっき見た夢……思い返せば、ヴィクトル達と対峙していた時にも言っていたっけ。


「よし、じゃあそろそろ行こうか。この川の向こう側にリトっていう町があってね。そこでしばらく――」

「神父様って、千年前は人間だったんですか?」


 無意識に、口を突いて出た問い掛け。はっと気づいた時には既に遅く、車に戻ろうとしていた神父様が足を止めた。

 そして、彼はゾッとするほど冷たく微笑んだ。


「そうだよ、私は元々人間だ。軍事帝国アルジェント……自らの傲慢で潰され、千年前に滅亡したあの愚かな国が、私の故郷だよ」



 リトという町が近いのか、道路の舗装はかなりマシになってきた。神父様は俺の気を紛らわせようと、色々な話をしてくれた。

 主に俺が、というよりも人間が把握していない吸血鬼に関する知識を。俺は未だに自分が吸血鬼になったという自覚がない。

 喉は渇いてはいるが、今は神父様の運転の荒さの方が気になるくらいだ。


「アルジェントが滅亡する頃、他の国でも戦争が起こってね。今のプラティーナは、それらの国の残党が集まって出来上がった集合体だ。教会を中心に据えてはいるが、あれはあくまで形だけ。信仰心なんて欠片もない。嘆かわしいと思わないかい?」

「そう、ですね」


 いつの間にか愚痴っぽくなってきた神父様の話を聞き流しつつ、俺は考える。教会に復讐するには、どうすればいいのか。

 クローゼ村のように一掃するのは駄目だ。身を持って実感したが、村がなくなるだけではこの憎悪を晴らすことなど出来ない。あまりに一瞬だったせいだろうか。


 ……そうだ。俺が欲するのは正義の裁きではなく、復讐だ。俺が味わった絶望を、教会でふんぞり返っている人間達にも味わわせてやりたい。

 

「それから、ライラとヴィクトル……あいつらも、この手で」


 俺を裏切ったライラと、笑い者にしたヴィクトル。教会という後ろ盾と、ダンピールであることを利用して私腹を肥やしているなんて。人間達を裏切っているも同然だ。

 あんなクズども、生きている価値なんてない。


「でも、一体どうすれば……って、うわ!?」


 憎悪に沈みかけた思考を吹き飛ばすかのような、強烈な急ブレーキ。前に飛び出しそうになる身体を、シートベルトがなんとか食い止めてくれる。

 ……逆に、シートベルトが無かったら頭でフロントガラスを突き破っていたかもしれない。簡単に死なない身体になったとはいえ、想像するとぞっとする。


「し、神父様!? 何ですか急に、どうしたんですか!」

「うん? ほら、そこにトラックが一台停まってるだろう? 町までもう少しなのに、こんな場所で停車してるなんて、困り事かなと思ってね」


 あっけらかんと言いながら、さっさと車を降りてしまう神父様。サイドミラーを覗くと、彼の言う通り一台のトラックが路肩に停車していた。確かに、不自然ではある。

 ……でも、だからと言って急ブレーキを踏まなくてもいいのでは。うんざりしながら俺も車から降りて、神父様の後を追いかけた。


「こんにちは、何かお困りですか?」

「おお、これはこれは。まさかこんなところで神父様にお会い出来るなんて」


 駆けつけた俺達を出迎えたのは、鷲鼻の中年男性だった。男性はトラックの運転席から降りて、俺と神父様を見比べて両手を組んで感謝を捧げてくる。

 どうやら、俺が吸血鬼だとは気がついていないらしい。それは安心なのだが、どうやら俺も神父だと思われたようだ。

 ……ボロを出さないように、黙っておこう。


「わたしはリトで雑貨屋を営んでおります、ジェイクと申します」

「これはご丁寧に。私は神父のキュリロス、この子は弟子のレクスです」

「キュリロス神父に、レクス神父ですね? このようなところでお会い出来るなんて、これぞ神のお導きでしょうか」


 再びジェイクさんが祈りを捧げる。どうやら、かなり信心深い人のようだ。

 こういう人、神父様好きなんだよなぁ。


「ふふ、ふふふふ。あなたのような敬虔な信者に会えたのは久しぶりです。我々の出会いを神に祈りましょう!」

「いや、神父様。祈るよりも先に、ジェイクさんの困り事を聞くべきでは」

「えー……それは後でいいよ」


 いいわけが無い。俺は今にもその場で祈ろうとする神父様を小突いて、ジェイクさんの話を聞くことにした。

 


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