第25話 1月4日

 部屋に朝日が差し込み始めた午前7時半、俺は玄関の扉を開けた。


「行ってきます」


 振り向くと玄関に立った彼女が笑顔で手を振ってくれた。


「行ってらっしゃい」


 その光景が新婚のようだな、と今更思ったことは俺だけの秘密である。


 いつも通り玄関の鍵を閉める。内側から閉めてもらってもいいのだが、持ち物確認も兼ねているので自分でする。


 多くの車、行き交う人々、見慣れた景色を見ながらまっすぐ喫茶店に向かった。



「おはようございます」


 いつも通りに店の裏口から入る。裏口は美智子さんが俺たちの来る頃合いを見計らって開けてくれている。たまに開いていないときもあるが、そのときは横のインターホンを押せばいい。


「おはよう」


 姿は見えないが、店の奥から彼女の声が聞こえる。


 靴を履いたまま上がり、彼女がいるであろう店内に顔を出す。


「明けましておめでとうございます」


 キッチンに立っている彼女の姿を見つけると挨拶をした。


 彼女は友達でも家族でもないので、短縮せず、礼儀正しい挨拶をした。


 俺に背を向けていた彼女は手に付いた水をタオルで拭いた。拭き終ると姿勢を正して向かい合った。


「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 俺たちが新年の挨拶を終えた頃、裏口の扉が開く音が聞こえた。


「・・・おはようございます」


 少し間が開いて日野さんの声が聞こえてくる。


「おはよう」


 美智子さんは彼女に聞こえる声で挨拶を返した。


「じゃあ先に着替えてきます」


「うん、わかった」


 店内を出て廊下に行くと彼女と鉢合わせた。


「おはようございます」


「おはよう、美智子さんはキッチンにいるよ」


「ありがとうございます」


 彼女が俺を通り過ぎて店内に姿を消すと、俺は木の板を裏返して更衣室の扉を開けた。


 更衣室内で久しぶりの制服に着替える。制服からは柔軟剤の匂いがした。脱いだ服を持参しているハンガーにかける。鞄も一緒に入れてロッカーを閉めてから更衣室を出た。


 部屋の外では日野さんが立って待っていた。


「ごめん待たせた」


「気にしないでください」


 俺は扉を開けたまま彼女に入るように勧める。彼女はその意図を察してか、軽くお辞儀をしてから部屋に入っていった。扉を閉めると天井めがけて大きく背伸びをした。


「頑張りますか」


 手を降ろしてから店内に向かった。




 午前中の店内は今まで通り、満席にはならない程度のお客が来た。


 常連さんはもちろん、普段見ない人までが足を運んでくれた。



 昼食を終え、店内に戻ると俺のよく見知った2人がテーブル席から手を振ってきた。


「秋原くーん」


 手を振りながらポニーテールを揺らす東堂さん。その目の前の席にはコーヒーを飲んでいる白崎さんがいた。


「2人とも久しぶり」


「久しぶり、あけおめ〜」


「あけおめ」


 コーヒーカップを口から離した白崎さんも俺の方を向く。


「秋原くん、明けましておめでとう」


「おめでとう」


 2人のテーブルにはコーヒーカップが置かれているだけで、それ以外はなにも置かれていない。


「ケーキとかは頼まなかったんだ」


「うん、今日はコーヒーだけ。前来た時に美味しくて、また行こうねって話してたんだ」


「その気持ちわかる。ここのコーヒーってコーヒーなのに苦くないんだよな」


「そうなの!私普段からあまりコーヒー飲まないけど、ここのは何杯でも飲んでいられる」


真衣まい、コーヒーの飲み過ぎは良くないよ」


「そんなのわかってるよ」


 東堂さんの例え話を白崎さんは本気で返した。


 そんな会話をキッチンで聞いていた美智子さんが俺を呼んだ。


「晴太くん」


「はい」


「私もお昼行って来るから店番よろしくね」


「わかりました」


 美智子さんは背伸びをしながら店内を出て行く。


 店内には俺たち3人が残された。俺は横の席から椅子を持って来ると彼女らの横に座った。


「お昼っていつもこんな状態になるの?」


「そうだな。この店は昼食の足しになるようなものは出してないから、みんな違うところに行くよ」


「そっか・・・ならこの時間が穴場なんだ。いいこと知った」


 この時間は本当に人がいない。常連の人ですらこの時間に顔を出す人は少ない。俺たちの昼食を気にかけてくれている・・・っていうのは考え過ぎか。


「じゃあ次来るときもこの時間に来ると空いてるんだ」


「この店は基本いつでも空いてるよ」


「そうなんだ」


 3人で店の話に花を咲かせていると、後ろの方から足音が聴こえてきた。その音は次第に近付き、日野さんが店内に顔を出した。


 彼女は店内を見回し、テーブル席に座る俺たちに目を向けた。


「いらっしゃいませ」


 彼女は姿勢を正し、軽く頭を下げた。


 彼女のことを見た白崎さんは俺の肩を数回叩いた。


「秋原くん、前来たときあの店員さんいた?」


「いや、年末前に入って来た子で、俺たちと同期」


「そうなの!」


 そう言うと東堂さんは日野さんを手招きした。日野さんはそれに誘われるように俺たちのもとに来る。


「私は東堂真衣、でこっちが白崎美穂。秋原くんと同じクラスなんだ、よろしく」


 東堂さんは笑顔を、白崎さんは軽く頭を下げた。


 2人の軽い自己紹介を受けて日野さんも笑顔を浮かべた。


「日野琴音です、よろしくお願いします」


「日野さんはどこの高校なの?」


「高花です」


「高花、マジで!すごい」


 東堂さんは声を上げた。


「高花か~、私も受験したんだけど落ちたな~」


 白崎さんはなにもない天井を見上げながら言葉を漏らす。


 やっぱり2人も俺のときと同じような反応を見せる。それほど高花に通っていることはすごいことなのだ。


「日野さんって、彼氏いるの?」


「え!?」


 東堂さんの問いに日野さんが唖然とした。急に話題を変えたからだろう。


「日野さん可愛いからさ、彼氏とかいそうだなって思って」


「彼氏なんて、そんなのいませんよ」


「え~、本当?」


 東堂さんの話題に白崎さんも話に入る。


「じゃあ好きな人は?」


「す、好きな人は・・・」


 そこで彼女は沈黙した。頬を赤らめ、俯いた様子を見て、二人がニヤリと口角を上げる。


「これはいますね~」


「いるみたいですね~」


「まだ私は何も・・・」


「隠さなくていいよ、顔に書いてある」


「そんなことないです」


 そう言いながら手で顔を隠す日野さん。2人はそんな彼女の姿を見て楽しいんでいる。女の子の恋バナは毎回こんな感じなのだろうか、そう思いながら何も言わず見ていた。


 すると日野さんは手を少しずらし、片目で視線を送って来る。「助けてください」そう訴えてきている気がした。


 このままいけば2人は彼女から好きな人の情報をすべて吐き出させるまで終わらないような気がする。現に今も目の前の2人の顔からニヤケが消えていない。


 俺は小さく息を吐くと、黙っていた口を開いた。


「その辺にしてあげて2人とも」


「え~、これからなのに・・・」


 白崎さんは不満そうな顔を作って見せる。しかしその顔はすぐに微笑みに変わる。


「・・・なんて冗談、ごめんね日野さん。反応が可愛いからついからかいすぎちゃった」


 白崎さんが謝ると東堂さんも反省をした様子で頭を下げた。


「ごめんね」


 ひとまず2人からの追及が終わると日野さんは顔から手を離した。


「いえ」


 話がひと段落すると東堂さんが立ち上がった。


「コーヒーも飲んだし、そろそろ行こうか」


「そうだね、秋原くん会計お願い」


 白崎さんも東堂さんの後を追うように立ち上がる。俺も2人から少し遅れてレジに向かった。


 いつものように素早くレジを打つ。


「合計で460円になります」


 二人はそれそれの財布から自分たちの飲んだコーヒー代を出した。


「ちょうどいただきます」


 もらったお金を打ち込み、レシートを彼女らに渡す。


「それじゃあまた、次は学校でね」


「うん学校で」


「日野さんもばいばーい」


「ありがとうございました」


 二人が手を振りながら店を出て行く間、日野さんは頭を下げ続けた。

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