第2話 12月24日

 俺のマンションに向かう間、女性は無言だった。最初は声をかけていた俺も後から話しかけるのやめた。しかし女性の冷えきった手は離さなかった。離せばその場にしゃがんでしまうような気がしたから。空いた手には女性が持っていた黒のハンドバックを持ってあげている。


 マンションに着くとエレベーターに乗り、5階にある俺の部屋に着いた。玄関を開けると暗闇が広がっていた。部屋は外気程ではないが冷えている。


 玄関横の電気をつけて中に入る。


「どうぞ」


 靴を脱ぎ、玄関の前に立っている女性に入るように勧める。女性は俯いたままだったが「お邪魔、します」と言って入って来た。


「靴を脱いで先にシャワーを浴びて。タオルとかは入っている間に用意しておくから」


 風呂場の扉を開けて電気を着ける。本当は浴槽にお湯を溜めた方がいいのだろうけど、女性をこれ以上冷やす方がダメな気がする。


「わかりました」


 女性は従うように風呂場に入ると扉を閉めた。


 俺はリビングの電気を着けるとテーブルに彼女の鞄を置いて自室に入った。


 かけていたショルダーバックを机の上に置くとクローゼットを開けた。女性の着替えを貸すためだ。


 しかしどれを貸せばいいのかわからない。俺の寝巻きを貸すと俺の服がなくなるし、楽な格好の出来る服はほとんど半袖でこの時期には合わない。


 どうしたものかと腕を組んで悩んでいるとクローゼットの隅に置かれた紙袋が目に入った。


「ジャージか」


 2学期が終わって着なくなった学校指定のジャージを思い出す。洗って以降着ていないので匂いはないはず。


 下着はさすがに用意出来ないのでジャージだけを持って風呂場に向かった。


 洗面所と風呂場は別々になっているが、もし洗面所にいたらまずいので一応ノックした。


「入るよ」


 反応がないので風呂場にいるのだろうとドアを開ける。予想通り女性は風呂場にいた。


「あのー」


「はい!」


 シャワーの音で俺が洗面所のところにいることに気が付いていなかったようで驚いたような声が聞こえた。


「着替えとタオル置いておくから」


「ありがとうございます」


 初めて声を聞いた時よりは声のトーンが上がっていた。俺は棚からバスタオルを取り出すとジャージの上に置いて部屋を出た。



「晩飯めんどいな」


 時計はすでに11時前になっていた。この時間にコンビニに行くのすら怠い。だからこういう時のために買って置いたレトルトご飯とカレーをキッチンの棚から出した。あの女性もご飯を食べているのか怪しいので2人分取り出す。


 カレーを袋ごとやかんに入れて温め、その間にご飯をレンジで温める。カレーのルーは温めた後、食べない場合は放置すればいいが、ご飯はそうもいかないので女性の分は後回にした。


 自分のご飯が温め終わるとどこかの部屋が開く音と閉まる音が順番に聞こえた。足音は徐々に向かって来る。


「上がりました」


 廊下の方を向くとジャージ姿に身を包んだ女性が立っていた。ジャージの袖は長かったようで織り込んでいる。ズボンも同様だった。


 風呂上がりの女性は肌が潤っていた。肩の方からは十分温まることが出来たようで湯気が見える。胸の辺りまである黒い髪はまだ濡れているようでタオルで今も拭いている。


「ご飯食べた?」


 聞くと女性は首を横に振った。


「ならレトルトだけどこれ食べてて」


 俺は今から自分が食べようとしていたカレーライスをスプーンと共にソファの前の小さなテーブルに置いた。


「え、でも」


「いいからいいから。俺は風呂に入って来るから」


 そう言うと風呂場に向かう前に付け忘れていたヒーターの電源を入れてから向かった。




 静かな中で頭からシャワーを浴びているといろんなことを考えてしまう。自分の行動は正しかったのだろうか、それともそうではないのか。


 自分で選んだはずの選択を選び直そうとしている。しかしあの人との出会いにまで戻る事はもう出来ない。


 俺は決意を固めるように蛇口を閉めた。



 いつも着慣れた服に着替えると風呂場を出た。廊下を歩きリビングに行くと女性はカレーに手を付けず、ただただ外の方を正座して見ていた。だが俺の足音を聴くとこちらを向いた。


「食べないの?」


「いえ、先に食べるのは失礼と思いまして」


「そうなんだ、待ってくれてありがとう」


 俺はキッチンに置かれたご飯を自分で温めるとやかんの中のルーをかけて女性の前に座った。


「それじゃあ食べようか」


「あの、私、村上むらかみさちって言います」


 女性は姿勢を正すと名前を名乗った。いつか聞こうと思っていたので相手から名乗ってくれたのは都合が良かった。どう名前を聞けばいいか悩んでいたから。


「村上さんね。俺は秋原あきはら晴太せいた東海とうみ高校2年」


「高校、生?」


 彼女は驚きながらも首を傾げた。でもこのことを言ったら彼女がどんな反応をするのか想像はしていた。想像していたのはもっと大きなリアクションだったけど、そこまでではなかった。


「驚いた?」


「はい、正直・・・嘘、じゃないんですよね?」


「証拠見る?」


 俺は自室に入ると生徒手帳を彼女に見せた。村上さんはその中にある生徒証明書をじっと見つめると溜息を着いた。


「私、高校生に迷惑をかけたんですね。社会人として恥ずかしい」


 その言葉に何て返せばいいのか分からず落ち込んだ村上さんを見ていた。


「それで村上さん、どうしてあんなところに座って泣いていたの?」


 これが一番引っかかっていたことだ。なぜあんな人気のない時間に上着も着ずにいたのか。俺がいくら考えても村上さんの事を知らない俺がわかるわけがない。


 村上さんは斜め下に視線を向けた。


「会社の面接、落ちたんです」


 彼女の暴露に再び言葉が詰まる。何て言えばいいのか分からないがひとまず励ましの言葉を贈ることにした。


「大丈夫だよ、他にもいろんな会社が・・・」


「・・・30」


「え?」


 励ましの途中で彼女が数字を口にした。斜め下を見ていたはずがとうとう首ごと下を向いてしまった。


「今日ので30社目なんです。会社落ちるの」


「そ、そうなんだ・・・なんかごめん」


 今度ばかりは俺も下を向いてしまう。励ますつもりが彼女の傷をより深めてしまった。30社、もちろん俺は社会人ではないので会社のどうのこうはわからない。でも高校を30校受けて全部落ちたらと考えるときっと俺も彼女のように立ち直れないと思う。


 そんな話をされるとなんとかしてあげたいと思うのは彼女が可愛い女性だからではないと信じたい。自分の善意だと思いたい。


「家がないのはなんで?」


「ない、と言うよりは帰りづらいんです。今朝、両親と就職のことで喧嘩になり、そのまま家を飛び出す感じでこっちの会社の面接を受けに来たんです。多分落ちていると思いますが」


「そうだったんだ」


 彼女は黙り込んだ。今の彼女はかなりメンタルがやられている。当分は治らないかもしれない。だからといってここまで話を聞いて置いて「はい、そうですか」とはなれない。


「村上さん、少しの間ここに住まないか?」


「え?」


 彼女はようやく顔をあげた。目を大きく見開いて間の抜けた顔をしている。


「どうゆう・・・?」


「家に帰りづらいんでしょ?村上さんが仕事決まるまで家にいていいよってこと」


「で、でも秋原さんにとっては迷惑でしょうし」


「・・・まぁ、でもここまで話を聞いて何もしないのは俺としてはどうかと思うんだ。それに俺は親の仕送りとバイトの金がある。女性を1人ぐらい増えてもなんとかなるさ。それに死のうと考えていた人を見捨てることは出来ないからね」


 そこまで言うと彼女は俺の顔を見てからゆっくりと頭を下げた。


「かかったお金は必ずお返します」


「・・・これからよろしく」


 こうして俺の部屋に村上さんが住むようになった。



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