第25話 私を生きる

 駅前に美味しいと評判のお弁当屋さんがあった。そこで私は二つのお弁当を買った。今日は機嫌がいい。天使はレストランで食べて帰りたいとわがままを言う。

 「あんたねえ、店員には私しか見えないのよ。ランチを二つも注文したら、店員さんにどんな目で見られると思う?しかも、目の前で、誰も食べていないのに、どんどん料理が消えていくの。そんなことしたら、レストランがパニックになるじゃない!」

と言って、渋々美味しいと評判のお弁当屋さんで納得させたのだ。

 「最後ぐらい、いいじゃない…」

と天使は寂しそうに笑った。

 「何よ、最後って?」

訝しく思って問い返す。けれど、天使はそのまま黙って先を急いだ。

 公園を抜けると、マンションまでの近道になる。ところが、公園は天気が良いというのに、人影はほとんど見当たらなかった。

「ねえ、外で食べようか」と言った。誰もいない芝生の上にお弁当を広げて、私たちは並んで腰を下ろした。

 「ママ、柚月のこと、よかったわね。ほら、やっぱり必要なタイミングで必要な人に出会うように、人生ってできてるのよね」

と言って、天使は唐揚げをつまむと口に放り込んだ。

「美味しい!これ、美味しいじゃない。もう最高!」

天使は次々とおかずを口に運んでいった。

「私さ、あの先生に叱られるんじゃないかって思ってたんだよ」

私はダメな母親だ。子供は不登校だし、やっと学校に行ったかと思えば、落書きばかりしている。きっと、責められる。「お母さんがちゃんとしてくれなくちゃ困ります」とか言われるんだって思ってた。

 「ママ、あんたさ、忘れちゃダメなことがあるのよ」

天使は口にご飯粒をたくさんつけながら、話し始めた。

 「人間ってさ、すぐに比べるじゃない?できていないところにフォーカスをしてすぐに比べたがるの。でもね、比べることに意味はないのよ」

 天使は空をまぶしそうに見上げた。

 「比べることに意味がない?」

「そう。みんな違ってみんないいの」

「みんな違ってみんないい」そんな詩が確かあった。作者は金子みすゞだったっけ。翔也が小学生のとき、一生懸命暗唱していたことを思い出す。

 「あんたさ~。アサガオとヒマワリを比べたこと、ある?」

「えっ、そんなのないよ」

「じゃあ、バラと桜は?」

「そんなのイチイチ比べたりしないよ」

「じゃあ、桜とヒマワリはどちらが偉いんだろう?」

「え~っ…、お花見とかするから桜かな。でも、夏の代名詞はヒマワリでしょ?そんなの、どっちが偉いとかないよね」

 天使は満足そうにうなづいた。

 「そうなの。花はどちらが偉いとかないの。どちらが優れているとかないの。一輪一輪、自分の花を精一杯咲かせることだけに一生懸命なのよね」

 私の目に公園に咲く花たちが飛び込んできた。彼らは、自分の花を咲かせることだけに一生懸命だ。他の花と比べて、自分を卑下したり、焦ったりすることもない。他の花より優れていなければ、なんて思ってもいないだろう。

 「そうだね。人間だけが比べたがるんだよね」

「ママ。あんたも昔は、そんな人間らしい人間だったわよね」

「あら、私はまだ全然ダメよ。やっぱり比べちゃうかな」

天使は笑って首を横に振った。

 「人間も花を一緒。アサガオには支柱が必要。でも、アサガオが悪いわけでも弱いわけでもない。アサガオには支柱が必要なだけ。

 ヒマワリは自分の力ですっくと育つ。だからって偉いわけでも強いわけでもない。ヒマワリはそういう花だというだけ。そこに良いも悪いもなくてね。みんな違ってみんないいんだよ」

 そうだ。翔也だって柚月だって、アサガオなんだ。花を咲かせるには支柱が必要かもしれない。でも、その支柱は私じゃなくたっていいんだ。あの子たちの人生は、あの子たちのものだから。自分で支柱を見つけていけばいい。

 葉山先生や高橋先生のような先生に巡り会えたのも、きっと何かの巡り合わせなんだと思う。

 「ママ、アタシたちはね、何者にもなれないのよ」

「どういうこと?」

 芝生を枕に私たちは横になった。心地よい風が草木を揺らす。葉と葉の擦れる音が、優しく私たちを包む。青い空に小さな綿菓子が浮かんでいる。

 「アタシ以外アタシじゃないし、ママ以外ママじゃないの」

「だから、それはどういうことよ?」

「翔也の人生を翔也以上に生きられる人はいないし、柚月以上に柚月の人生を生きられる人はいないのよ」

 私は言葉の意味をじっくりと考えた。

 確かにそうだ。私の人生を私以上に私らしく生きられる人なんていない。そう思うと、なんだか私であることが誇らしかった。

 「私も私の花を咲かせなきゃなぁ…」

 何気ない気持ちで吐いた言葉だったけれど、まるで自分の言葉ではないような感覚に襲われた。自分の言葉を聞いて、私は身震いしたらしかった。

 私、まだ自分の人生を生きてなかったんだ。いつも何かを演じている自分がいた。子供時代は「いい娘でいなきゃ」って思ってた。結婚したら、「いい妻にならなきゃ」って思ってた。子供が生まれたら「いい母親にならなきゃ」って思ってた。

 いつもいつも、何かを目指している自分がいた。そして、それができない自分を責めた。できてる人と比べ、羨んだ。呆れるほど遠回りして気がついた。

 私がなりたいのは、私だったんだ。


イジワルな天使の教え13

 『あなた以上にあなたの人生を生きられる人はいない』

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