この子はきっと咲く子だよ〜 イジワルな天使が教えてくれた魔法のことば 〜

くればやし ひろあき

第1話 お母さんをやめたい

 「お母さんがもっとしっかりしてくれなきゃ困りますよ」

わけ知り顔の初老の男がため息を吐きながら言う。私はいつものように小さくなって、ただただ頭を下げるばかり。いつから、こんなことになってしまったのだろう。

 それからも「適応教室」の室長を名乗る男性は、しつこくしつこく親としての在り方を説いてきた。私はもううんざりしていた。いつもいつも同じ話ばかり聞かされるのだ。

 中一になる翔也は、未だに学校に行く素振りすら見せない。中学校に上がれば学校に通えるようになると思ったのに。いや、学校に通うと約束したではないか。それなのに…。

 前日まであれほどうれしそうに袖を通していた制服。ところが、入学式の朝になって「やっぱり行かない」と一言。そのままあの子は部屋に閉じこもった。それが私たち夫婦をどれほど落胆させたことだろう。それ以来、新しい制服は陽の目を見ることもなく、クローゼットの奥で眠ったままだった。

 妹の柚月もそんな兄を見て、

「お兄ちゃんが行かないなら私も行かない」

と言う。勝手なものだ。私だってお母さんをお休みしたいよ。

 今朝も二人の担任に電話を入れた。柚月の担任は心配そうな声を出した。それだって本心かはわからない。一方、翔也の担任は、

「はい、わかりました」

の一言で片付けられた。それもまた悔しい。私だけがこんなに苦しんでいるのに。

 スクールカウンセラーの勧めで、市の教育センターにある「適応教室」の面談に通い始めて3ヶ月になる。月に一度、この室長の男と話をするのだ。

 元校長なのだそうだ。子どもの専門家だと言う。だが、二言目には「お母さんがしっかりしなきゃ」と言う。もう、バカの一つ覚えのように言うのだ。一体、私がどうしっかりすればいいというのだ。今だって私は精一杯やっている。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。最近は夫婦喧嘩が絶えなくなった。わからず屋の旦那にイライラして、すぐに口論になる。誰も私の悲しみを理解してくれないのだ。

 帰宅してからも一人、台所に立つ。リビングでは翔也がテレビゲームに熱中していた。そのBGMにすらイライラしている自分がいた。

 もう限界かもしれない。昼食の準備をしながら包丁を握る。一瞬不吉な想像が頭をよぎって、またはたと我に返る。こんなことの繰り返しだ。


 その夜、不思議な夢を見た。枕元に天使が立っていて、私の顔をじっと見下ろしているのだ。一目で天使とわかる服装をしているのだが、その顔はいかにもおっさんのような老け顔だった。けれど、どこか愛嬌のある顔で懐かしくもあった。はて、どこかで会ったことでもあるのだろうか?まあ、お世辞にもかわいいとは言えないんだけど。

 「あなた、だれよ?」

そう尋ねる私に、

「どう見たって天使でしょ。こんなキュートな悪魔を見たことがある?」

天使はさも可笑しそうに笑った。白いワンピース、白い羽。頭の上には金の輪っかが輝いていて、いかにも「天使な装い」だった。ただ、その顔はどう見ても「天使な顔」ではなかったのだが。

 「でも、天使ってのはもっとかわいい顔をしているものでしょ?あんたの顔、おっさんじゃない?」

 天使の顔色が見る見るうちに変わっていく。顔だけでなく全身赤らめて地団駄踏んだ。

「何よ、あんただっておばさんじゃない!人間は見た目じゃないのよ!中身なのよ!ムキ~~っ!」

なんだか笑える。顔はおっさんなのに、言葉遣いはおばさんなのだ。

「とにかく、これからアタシがママのところに行くから。いい?心の準備だけはしておくのよ!わかった?」

 おっさん顔の天使の両手が私の頬をムギュっとした。その手が妙に温かくて心地よかったのだけれど、おっさん顔のアップには絶えられなかった。

 「ちょっと近すぎ!それに何よ、ママって。なんであんたにママなんて呼ばれなきゃいけないのよ」

 おっさん顔の天使は悪びれもせず、

「だって、あんたはママでしょ?いいじゃない、ママで。とりあえず、明日からアタシ、お世話になるから。よろしくね」

 そう言うと天使は背中を向けた。そして、

「ぷぅ~~っ」

たちまちあたりに異臭が漂った。

「あら、ごめんなさい。贈り物よ♡」

「なんなのよ、あんた!」と言いかけた私に向かってニヤリと微笑むと、天井を突き抜けて天使は消えてしまった。

 私はびっくりして目を覚ました。真っ暗な寝室にエアコンの音だけが虚しく鳴り響いていた。新婚のときに買ったクイーンサイズのベッドに一人は寂しい。今日も旦那は遅いお帰りのようだ。

 部屋がなんだかオナラのような臭いがしたのは気のせいだろうか。

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