常闇眷属限界SS

アリクイ

純白の契り

「……誓います」


 ふたりきりの廃教会に、彼女の声が小さく響く。

 普段のボーイッシュな服装とはまるで雰囲気の異なる真っ白なドレスと、真っ直ぐに下ろされた若紫の髪……そして、紅潮した頬。それなりに長い付き合いであるはずの彼女が今はなんだか別人のようで、こちらまで緊張してしまう。


「それじゃあ、指輪の交換を」

 

 声の震えを必死で抑えながら、私はリングピローに置かれた指輪を取る。

 どれだけ可憐な姿をしていようとも、私の目の前の少女は紛れもなく悪魔なのだ。当然、彼女との婚姻を聖都が許す筈もない。それ故こうして見様見真似のみすぼらしい式くらいしか挙げられないが、愛しい彼女とこうして結ばれることが出来るのだから、これ以上の幸福はない。


「手、出して」

「う、うん……」


 差し出された左手を取ると、彼女の体温がじんわりと伝わってくる。ずっと触れていたい気分だが、生憎残された時間は少ない。薬指に指輪を通す。


「次、トワ様の番……だよね?」

「うん。お願い」


 彼女は私がしたのと同じようにリングを取り、私の指に嵌めた。緊張しているのかその動作はどこかぎこちない。

 

「……ふふっ」

「もうっ!こっちは真剣なのに!」

「ごめんごめん、そういうんじゃないんだ」


 思い返してみれば、私が彼女に惹かれたのは他でもない、時折見せるこうした庇護欲を掻き立てる振る舞いであった。いくら服装や髪形を変えようと、彼女は彼女のままここに在る。そのことがなんだか嬉しくて、思わず頬が緩んでしまったのである。もっとも、こんなことを直接彼女に伝えたら照れてしまって式どころではなくなりそうだが。


「……それじゃあ、これが最後。誓いのキスを――「待って」」


 彼女から思わぬ静止が入る。


「あっ、ごめん。手順を間違えてたかな」

「違うの……そうじゃなくて……」


 彼女の声が震えている。しかもそれは、先程のような緊張によるものではない。彼女の顔を覆うベール越しに見える潤んだ瞳が、全てを物語っていた。


「だってこの式が終わったら……契約が……」

「わかってる」


 悪魔である彼女との婚約を許さなかったのは、なにも聖都だけではない。彼女が生まれ育った魔界もまた、悪魔と人族の婚姻を厳しく禁じていたのである。しかも魔界の法は、人のそれと違って隠れれば誤魔化せるようなものではない。ひとたび破ろうとすれば、それがこの世界の何処であろうと即座に罰が下ることになっている。

 

 そこで私たちは一つの方法を選んだ。それが彼女の口にした"契約"である。

 教会が教え広めている通り、悪魔は甘い言葉で人と契約を結び、望みを叶える代わりにその魂を奪う。そして奪われた魂は魔界の最下層である地獄に落とされ、終わることのない責め苦を受けることになるのだ。

 ……だからこそ私たちはそれを逆手に取った。悪魔の契約はとても大きな代償を伴うが、それ故に一度結んだ契約を反故にすることは誰にも出来ない。例えそれが神であろうと、魔界を統べる魔王であろうと。

 

「トワは一人前になったら魔界に帰るんだろう?ならすぐに会えるさ」

「でも……」

「いいんだ、これは僕の望みでもある。だからほら、泣かないで」


 ベールを上げ、彼女の双眸から伝う雫を指で拭う。


「さぁ、目を瞑って」

「ん……」


 瞳を閉じた彼女の顎に手を添え、ゆっくりと唇を重ねる。柔らかな感触に、小さく憩える息遣い。……嗚呼、願わくば、この瞬間が永遠に続いてはくれないだろうか。私達はそのままの姿勢で、互いを感じあっていた。

 

……少しの時間の後、遂に唇は離れ、そして終わりの時が訪れる。


「ありがとう、トワ。これからもずっと愛し……うぅっ……!!」


 突如として強烈な胸の痛みに襲われる。恐らくこれが契約の代償なのだろう。耐えきれなくなった私は、その場で膝から崩れ落ちる。


「――――!!」


 彼女が華奢な体で私の上半身を抱き上げ必死で声を掛けてくれているが、もはや聴覚も機能していないらしく、その声を聴くことも叶わない。

 ……今際の際に彼女の言葉が聴けないことを惜しむべきだろうか?それとも、現世で最後に耳にする彼女の声が悲痛な叫びでないことを喜ぶべきなのだろうか?

 そんなことを考えながら、私は視界を覆う暗闇に身を委ねた。

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