第3話

 翌朝。陵はあくびをしながら、大学の門を通り抜けた。


「あーあ……何で一限目の授業取っちゃったんだろ。眠いなぁ……」

 気怠そうに独り言を呟きながら、講義室の方へ向かって廊下を歩いていく。

 席に着き、いつも通り学生証を机の端末に翳す。彼はまたこの場所で、彼女に会えるかもしれないと期待を膨らましていた。

「今日は来てないのか……」

 辺りを見回しても、彼女が来る気配はなかった。


 ――授業終わったら、連絡してみよっかな……。


 授業が終わり、席を立とうとした彼は、周囲の噂話に耳が自然と傾いた。何故なら、噂話をしていた人達の会話に彼女の名前が挙がったからだ。


「――でさ――。やばくない?」

「それ本当だったら学校通う資格無いじゃん」

 陵は、荷物を整えると、鞄を肩に掛けながら噂話をしている彼女達の方へ向かい、話の間に割って入ろうとした。

「ねぇ君たち、誰の話してるんだい? ちょっと聞いてもいいかな?」

「いや、別にあたしたちには関係無いので――……」

 噂話をしていた彼女達は、例の男が来たと冷ややかな視線を陵に送った。陵は 彼女達の態度に呆れながら、話の続きを問い詰めた。

「俺には関係あるんだよ。それ誰のこと?」

「え……翠白さん……の事だけど?」

 噂話をしていた彼女達は、わかっているくせにと嫌々ながら、彼女の名を挙げた。

「……彼女を責める前に、もう少し勉強頑張ったら?」

「……陵さんに言われたくないんですけど」

 彼女達は死んだ魚の様な目をして、陵を睨んだ。そのまま彼の元を去っていく。

 陵は今までの女性との付き合い方が悪く、ある意味不器用な生き方をしていた。

 研究に没頭している様は、一部の生徒達に人気であったりもした為、彼の教授に対して少々威張った態度に関心を寄せ歩み寄って行く生徒も現れた。元カノという部類だが、彼と付き合った彼女らが声を揃えて吐く言葉は、いつも同じだった。


 ――『思っていた以上に冷めた人間だった』

 ――『高圧的で女をなんだと思ってるのって感じ』


 客観的に見える姿とは裏腹で、陵莞爾という男が態度を大きくしたのには、ある理由があった。


 それが先日の『論文をある男に売り渡した』一件であった。


「まさか翠白さんが……氷峰が関わっていた犯罪組織の――」


 ――さすがにもう縁を切ってるから大学に入れたんだろうし……。


 陵は先ほどの彼女の言葉を思い返しながら、講義室を出て翠白に連絡を入れた。


「もしもし? 今日授業来てなかったけど、どうしたんだい?」

 ――『あ、莞爾君。あの今日ちょっとね、急用思い出しちゃって――!』

 翠白が適当な理由を言い放ったとすぐに勘付いた陵は、彼女の言葉に覆い被さる様に話し出した。

「今日、君の噂をしていた人たちがいてね…。後で話聞くから、俺の家に来てくれる?」

 ――『な、何の事かな……? あたしがいきなり莞爾君の家に、遊びに行っちゃっていいの? ……ふふ』

「笑って誤魔化そうとするなんて、愛想笑いが得意なんだな、君は」

 ――『そろそろ、電話切ってもいい? あたし、これから会わなきゃならない人がいるから、莞爾君には会えないの……』

「へぇ……。……俺がついてるから……堂々と会ってくれば? 今までどうせ怖い思いをしてきたんだろ?」 

 陵の告げた言葉には、翠白がこれからどういう人間に会いに行くのかが、目に見えてる様だった。彼女は涙ぐんだ声で、彼の言葉を受け入れた。陵の声を聞いた途端に、あの男がこれから会いに行く男の成し遂げようとしている事を止めてくれるかもしれないと、希望を持った。翠白は、受話器の切るボタンを押すと静かに口を開いた。


「莞爾君には氷峰駈瑠という男が付いてるんだもんね……」


 ――だから、あんな冷たい言い方をしたのね……。


 陵は電話を切ると、すぐさま氷峰駈瑠の連絡先に、あるメールの一文を送った。

【翠白の関わっている男の情報】を聞き出そうと何かに取り憑かれたかのように躍起になっていた。


「あの噂が本当なら、氷峰さんも相当やばそうな人柄だったのかもな……」

 すぐに携帯電話のバイブレーションが鳴り、返事が返ってきた。

 メールの内容は、ある電話番号と一言書いてあっただけだった。

《貴方が彼女の彼氏ならば一言勇気を出してこの番号に掛けてみるといい》

「この番号に掛けたら、貴方の声が聞けるんですかね……。本当に……」


 陵は手のひらに少々汗をかいていた。彼がどういう人物であるか、学生時代の証明写真(アルバムにあるようなもの)以外に見たことがなく、テレビでしか見聞きしていないため、生の声を知らない。実際にまだ会ったこともない。彼の唯一知っていることは、彼が国際指名手配犯だったにも拘わらず帰国しているという事だけだった。詳しくは知らない。理由を聞いていないからだ。


 陵は早速、メールに記された電話番号に電話をかけた。

「もしもし――」


 

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