第4話

 キーンコーンカーンコーンと、言語にすると間抜けとしか言いようがないお馴染みのチャイムが鳴り響く。何時もは待ち望んでいる放課後が、今日は気が重たい。

(なんだかな……)

 コトバケとかいう謎の人物と交わした約束は、私の気持ちを鬱々と沈めた。約束といえば聞こえがいいが、まぁほとんど脅しである。嫌で嫌で仕方がないが、私のノートの中身を人質に取られている以上、従うほかない。それになんだが、

(悪意を、感じにくいんだよね……)

 それも本当。本来の私なら、この時点でこの世の終わりのような気持ちになっているはずだが、そうはならない絶妙な存在感がコトバケにはあった。落ち着いた低体温な彼の声音は、少なくとも私を傷つけようという積極的な意図は見えない。

 臆病者の私は、こういった空気感を読むのだけは比較的得意であり、その私ですら彼の悪意が読みとれない。

(なんだかな……)

 そうして堂々巡りとなる。何にせよ憂鬱なのは本当で、それでも旧校舎の音楽室に行く以外の選択肢はないのである。

 とりあえず帰り自宅をと、机の中の教科書を無造作に鞄に詰め込む。押さえきれないため息がもれるが、仕方がない。けれども、

「祈?今日はため息多くない?」

 まさか聞かれているとは思わなかった。後ろの席の瑞樹が気がつけば私の傍らに立ち、首を傾げていた。

「大丈夫?何かあった?」

 若干眉根を寄せた瑞樹はいつも通り表情は乏しいが、何というか、心配しているということは伝わる。

「あ、ごめんね。聞こえてた?」

「別に謝ってほしいわけじゃないんだけど」

 咄嗟に何を返せばいいか分からなくなる。額縁通り、予定調和、そういったものから外れてしまったということは、冷たい水を被った後のように、私の体感温度を少し下げる。瑞樹は実際、不愉快そうに眉根を寄せていた。

「だから、そうじゃなくて、何かあったの?」

 相変わらず淡々と、直球の言葉。その真っ直ぐさは普段なら好ましいと他人事のように思っていたが、案外自分にされると困惑しか生まないといこうとに気づいた。

「あはは、別になんにもないよ?」

 へらり、といつものように笑って立ち上がる。さて、会話を切り上げにかからないと。

「ちょっと、今描いている絵のしあがりがいまいちでさ。締め切りちかいなーとか考えてたらため息もでるよね」

 嘘ではない。実際少しばかり部活の顧問にはいい加減作品を出せとせっつかれている。一応部活動である以上何かの賞には出さないといけない。私の場合は自分が書き上げたもので、何らかの募集要項を満たしている場合はそれをそのままだしている。

 私のため息の原因とは本質的には無関係だけど、状況的にはそった言い訳だ。ついでにいうと、なんとなく私の絵のことについては、皆不可侵だった。きっとからかうほどのネタにもならず、興味の対象にもなれず、そもそもいまいち何してるのかわからないという根本的な問題がそうしている。私には丁度よい隠れ蓑。

「ごめんね?そんなに意識してないつもりなんだけど、ため息にでてたね」

「それはいいんだけど」

 珍しく歯切れが悪く、納得していない様子だ。そもそもここまでからんでくるのが珍しい気もする。

 何が彼女にひっかかっているのかは知らないが、そこを掘り下げてもややこしいだけである。

「とにかくしあげなきゃなので、今日もいってきます」

「旧校舎だよね、部室。何描いてるの?」

 会話を切り上げるために投げた言葉に、質問を返される。彼女にしてはしつこい対応に違和感を感じる。

(あれ……?そんなタイプだっけ?)

 なんとなく同一グループに所属していて、席も前後で、一般的に仲がよいという部類には入っているんだろうけれど。グループの中でも没個性というか、地味な私とは特別な接点もない。どこまでいっても私達はひとりとひとりで、ふたりとは言えない関係で。それって集団の中ではただの他人と言って差し支えないわけで。上滑りの会話以外に繋がるものは何もないはずだ。

「うん、今は風景画」

 当たり障りのない言葉で返す。風景画というジャンルで片付けてしまうと、とってもシンプルでとっても話しやすい。

 広義の意味では風景画だが、私が描くのは空の絵ばかりだ。そんなことを彼女に話すつもりは毛頭ない。やっぱりそこは不可侵で、私にとっては原風景みたいな、大切なものだった。

 大切なものを無防備にさらけ出す、そんなことはできなかった。

「そう、上手くいくといいね。コンクールとかだすんじゃないの?祈、けっこう賞とかとってたよね?」

「どうかな。出す絵は、けっこう顧問が選んでるから。私はほら、なんとなく描いてるだけだし」

 なんてことないように彼女の言葉を受け流す。意外に色々知られているぞ、ということに本当は驚いていたが、伏し目がちに笑っておく。

「いつか、見せてね、絵」

「うん、機会があれば」

 にっこり、不誠実な相槌。これ以上の回答なんて知らないが、お互いこの会話に気持ちなんかないだろ。

 さてさて今度こそ、と鞄を持ち上げる。コトバケなどという人物に会うことも、あの放課後の空間も私は誰にも知られたくない。

 思わぬ雑談の間に他のクラスメートも、放課後の時間を思い思いに過ごし出していた。このまま勉強していくのか机にかじりついたままの人や、友達との雑談に興じている人、運動部の面々は急ぎ気味にスポーツバックを用意しだしている。

「今日なにするよ?俺ら部活休みだし、遊ばね?」

「ゲーセン行こうぜ!俺久しぶりにやりたいやつあるんだよね」

「いいねぇ!」

 記憶が正しければサッカー部の面々がそのようなことを言っている。聴覚の片隅で会話を認めながら私も教室の後ろの方と扉に向かう。

「わっ……」

「あっ、ごめん!」

 その道中、ちょうど席を立ち上がりかけた男子生徒に、タイミング悪く私の肩にかけた鞄があたってしまった。人数のわりに狭い教室ではよくあることとはいえ、高校生の無駄に重たい鞄が後頭部にあたったのだ。そこそこ痛いと思う。

 咄嗟に身を引いて距離をあける。自分も帰るつもりだったのだろう彼は一瞬自分の頭にふれたものの、あまり変わらない表情で私を振り向いた。

「いや、僕もまわりをみていなかったから……」

 最後の方は上手く聞き取れなかった。教室の喧騒に比して彼の声は小さい。多分、気にしないでといった言葉だったように思うが確かめる術はない。

 男子にしては少し長い黒髪が揺れる。この全体的に頼りなさげな雰囲気の人物は、花咲薫(ハナサキカオル)という、女の子みたいな名前をしていた。前髪が陰鬱と長く、野暮ったい眼鏡をしているせいでよく分からないが、色も白く、華奢な彼は、他の男子と比較してもなんというかあまり男っぽさを感じない。クラスのなかではかなり地味な存在。地味さでは私もひけを取らないが、集団に埋没している私とは異なり、彼はある種浮いている存在だった。

「え、と、ほんとにごめんね、気を付ける」

 これ以上特に言うべき言葉もなく、さぁ去ろうと踵を返すその後ろで、

「薫、帰ろうぜ」

 と彼は話しかけられていた。親しげな、というか実際彼と親しいその人は、サッカー部所属の生島琉生(イキシマルイ)。二人が横に並ぶと、生島がすらりとしたいかにもスポーツマンな体躯をしているせいで、花咲の頼りなさが目立つ。アンバランスな組み合わせ。

 それでも彼等は幼馴染みらしく、仲がよいということは周知の事実だった。

「えー、琉生かえんのかよー。俺らとゲーセンいこうぜー?」

 クラスの人気者であるとこの生島は、同じ部活のメンバーに絡まれている。

「行かねぇよ。今日は薫にべんきょー教えてもらうの俺は。このままだと切実に古典がやばいの」

「げ、琉生、まだテスト期間にも入ってねぇのに。そんなこというなよー」

「あほ、普段部活でできねぇんだから、休みの日にやっとかないとだろ。テスト期間入ってからで間に合うなら苦労しねぇー」

 そりゃそうだと、笑い声がおこる。

(うわ、そういえばテストだ)

 偶然聞こえた声に、確かにまだはやいがテスト期間が近づいていることを思い出してげんなりする。少しずつ勉強をすすめないと後で痛い目みるなと、心のなかで嘆息しながら、私は教室を後にした。

 視界の端でとらえた花咲は、生島と友達とのやり取りの間に挟まれて、たいそう居づらそうな様子だ。花咲が地味なのに変に目立ってしまう大半の原因は生島にある。

(生きづらそう)

 完全に他人事な感想を抱き、私は今度こそ意識をこれからの時間に向けるのだった。

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