♯Ⅲ

18 新訳・友達の定義


 課題を受け取りに行っていた杏樹が教室に戻ってきた。それに気づいた玲於菜は席を立ち駆け寄る……はずだったのだが。


「っいた……っ」


 軽やかに駆け出すはずだったところを机の脚にぶつかってガタンと大きな音が鳴る。紛うことなき自爆だが、その衝撃にもたついている間に玲於菜の横をすり抜けて杏樹に駆け寄る者がいた。


「緋上さん、お疲れ!ごめんね、わたしがいなかったせいで」


 そう謝っているのは本日の日直であるクラスメイト。数学教師が杏樹の前に教科担当と日直に声をかけていたことを誰かに聞いたのだろう。


「仕事があるのはお互いさまでしょ。別に謝ることないよ」

「ありがと。あ、配るのはやっとくよ!お昼まだでしょ?」

「そう?じゃあ任せる」

「うん」


 課題のプリントを日直に預け、杏樹は自分の席に戻ろうとして。


「……なにやってんの?」


 ぶつけた足をさすっていた玲於菜と目が合って怪訝な顔をした。


「いや、えっと」

「怪我?」

「それはしてない。ぶつけただけ!」

「相変わらずドジっ子ね」

「どじ……う、お腹空いて気が抜けてただけだよ」

「どんな言い訳よ。て言うかなんでお腹空いてるの。お昼食べてないの?」

「あ、緋上さんと一緒に食べようかと思って……」


 杏樹の怪訝な顔が驚いた顔に変わる。


「わざわざ待ってたの?」

「うん、お弁当でしょ?一緒に食べていい?」

「それはいいけど……ちょっと騒がしいから移動しない?あんまり時間ないから慌ただしくなるけど」

「あ、うん」


 数学準備室との往復をしていたせいでお昼休みは大分削られているが、既に昼食を食べ終わっている生徒もいるので教室内は確かに騒がしい。


「天気いいし、外もいいかもね」

「あ、うん。そうだね」


 お弁当を手に廊下を歩きながら、玲於菜は杏樹に相槌を打つ。確かに今日はいい天気だが、玲於菜の目に外はまったく映っていない。


「風もそんなに強くなさそうだし」

「うん、そうだね」

「まぁ、強くてもあたしは別に……」

「うん、そうだね」


 逐一肯いてはいるものの、あんまり話は入っていない。


(昨日ユリちゃんが言ってたことはどういう意味だったんだろう。朝から噂になってる話だってよくわからない……やっぱりひとりにさせないほうがいいよね。でも理由もなくつきまとうのは不自然だし。うぅ、うざがられたらヤだし)


「美並さんはどっか希望ある?」

「うん、そうだね」

「……うん、だからね」

「うん、そうだね」

「……、」

「……?いだっ」


 あれ?と首を傾げた瞬間、額に受けた衝撃とともに玲於菜の視界が揺れた。


「オイコラたんぽぽ」

「ぅえっ?」


 低い声が聞こえて、衝撃に反射的に瞑っていた目を開いた。指の長い綺麗な手が離れていくのをぼんやりと見つめる。


(……?デコピンされた?)


 直後は衝撃が大きくてわからなかったが、じわじわと感じる額の熱と痛みで何となくそう察する。


「普段は意味わかんないことばっかよく喋るくせに何なの?言いたいことがあるなら言いなさいよ」

「意味わかんないって……あっ、いや、えっと!」


 杏樹の美貌にじろっと睨まれ玲於菜の思考がぐるぐると回り出す。


「んー?」


 険を帯びた眼差しにまともな言葉が出てこない。


「っ、と!」

「と?」

「ともだちにっ、なりたくて!」


 とっさに出てきたのはデコピンの直前まで考えていたことだった。


(仲良しの友達だったら毎日一緒にいても不自然じゃないのに、って思ったけど……思ってたけどぉおお!)


 今の会話の流れで言うのがまず不自然だということはさすがの玲於菜もわかる。

 案の定、杏樹の目が意外そうに見開かれた。


「友達、」

「そ、そう……友達に、なってほしくて」

「別に言い直さなくても。……でも友達って、『なろう』って言ってなるものじゃなくない?」

「それはわたしも、そう思うけど。でも緋上さんには言ったほうがいい気がして」


 もう自分が何を言いたいのかわからないが、『友達になりたい』主張を引っ込めるに引っ込められなくなってしまった。


「そう……まぁ、別にいいけど」

「そっか、ありがと」


 何に対してお礼を言っているのかもよくわからない。


(……ん、「別にいいけど」?いいけど、って何が?)


 そろりと顔を上げれば、立ち止まった杏樹が何とも言えない表情でこちらを見ている。笑っているような呆れたような、文字どおり何とも言えない表情で。


「今の「いいけど」は友達になっても「いい」って意味の「いいけど」だったんだけど、わかってる?」

「っ、本当!?」

「むしろわたしの今の上から発言でそんな嬉しそうな顔する意味がわかんない」

「いや、だって……まさかいいって言ってもらえると思ってなくて」

「何でよ、なったらいいでしょ。友達ぐらい。別に減るもんじゃなし」

「いや、わたしと一緒にいるといろいろ削り取られる気がする、って言う友達が何人かいるから。もしかしたら減るかもしれないけど……」

「自分で言っちゃうんだ……」


 完全に呆れられたが、友達になることに異論はないらしい。

 再び歩き始めた杏樹を追いながら、玲於菜はぐっと拳を握りしめる。何をそんなに気合いを入れる必要があるのか?それは。


「あっ、あ……アンジュちゃん!」

「……!」


 どもりまくった上に思いの外大声になってしまった。歩き始めた途端にぴたりと足を止めた杏樹が、ゆるりと視線を向けてくる。


「って、呼んだらダメかな……?」


 おそるおそる、そう尋ねてみると。


「呼び難くない?」


 素っ気なく返された。


「う……そうかな、」


 ダメかと気落ちしかけたところで。


「わたしの名前って余計な付属語つけたら噛みそうになると思うの。普通に名前だけで呼べばいいじゃない」


 平然とそう続く。

 ぱちくりと瞬きをひとつした後、玲於菜はぱぁっと表情を明るくした。


「……っアンジュ!」

「うん、なに?」

「呼んだだけ!」

「用もないのに呼ぶんじゃないの」

「アンジュ、アンジュ!」

「はいはい。……レオナ」


 面倒くさそうなわりにしっかりと呼ばれた自分の下の名に、感極まった玲於菜は駆け足で近づいて杏樹の腕にしがみつく。


「アンジュ!」

「そんな連呼しなくても聞こえてるから。うるさいし暑苦しいわ」


 言い方が邪険なわりにくっつく自分を引き剥がそうとはしないので、本気で嫌がられてはないらしい。呆れられてはいたとしても。

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